九話 食い意地と海の魔物
船旅は目的までは快調だった。他の街に停泊したりもして、街を散策することは出来なかったが、地面に足を付けて船酔いを紛らせたりした。
「……うぇ」
ぐるぐると頭の中が混ざって、地面にいながらも揺れてるような気分になる。色んな人が降りて行くのが見えたが、ノーエルはまだ降りないみたいだ。残りは、学園都市とリンドーだと聞いていたから、そのどっちかなんだろう。
「大丈夫か、坊主」
「……うへぇ」
「そんなんで海の魔王を倒せるのか?」
「……魔王? ま、任せとけって。刺身にしてやるぜ、何なら塩辛でも良いぜ。ああ、塩辛、食いたいな」
飲んべえじゃないのにツマミが好きだ。塩辛とかサキイカとか……サキイカ? 天日干しにすれば食えるかな。
「よぉし! ツマミにもしてやる」
「おぉー、その意気だ」
変な意気込みに船長が訳も分からず、引き気味に納得をしていた。イカって、ツマミにされてるんだな。刺身も美味いけど、ワサビも醤油もないんじゃないか?
残りはサキイカにするしか、あとスルメか……。
でも、魔王って呼ばれるってことはダイオウイカだっけ? そんくらいデカイのか? 引き揚げることが出来るのか?
せめて、足の部分だけでも切り落とせたら……いやいや、食えるかすら分からないんだ。
「……食べ物のこと考えたら、胃が……重く」
圧迫されるような苦しみに、せっかく立ち上がっていたのに再び座ることになった。消化に悪いんだよな、イカって。
いや、見た目がイカなだけで実はタコかもしれない。たこ焼きか!! あ、でも粉がない。青のりもない。マヨネーズも鰹節も。ってか、あの丸い鉄板ねぇよ!!
「そろそろ出るぞ。例の海域に行くからしっかりしろ」
船長の顔が引き締まる。よっぽどの相手なんだと悟るが、港で乙女みたいな姿を見ているおれには苦笑いだった。
船内の放送では、今から危険な海域に出るからと部屋から出ないようにと何度も繰り返されていた。
「じゃあ出ないでおくか」
「そんなわけにはいかないでしょ!」
「……トウカ、その冗談はダメだよ? ボクも出るから」
「……魔物、任せろ」
「おお、心強い限りだ」
おれは若干、棒読みで答えた。ああ言ったものの、倒せる自信はない。けど、戦闘の出来ないルゥトも出ると言われたら出ない訳にはいかない。
「もし、おれに何かあっても……イカを仕留めろよ?」
「なに言ってるのよ!」
「イカって、なに?」
「魔物だよ。ほら、前回のスライムでも、おれは食われただろ? なんか、今回も食われそうな予感がするんだよ」
「……」
あの時は大変だったと遠い目をしていると、誰もが黙った。その予感は当たらないことを前提として戦うが、相手はダイオウイカ級かもしれないから気を引き締めないと。
「あ、雷魔法は止めろよ? 魚も船も……あっ、あと、おれも危ないし」
「なんで自分はついでなのよ! 優先が違うでしょ」
「海の中なら、ボクも治療は出来ないから、船から落ちないでね」
「……危険な、目には合わせない」
「オッサン、頼むぜ? おれより、この二人は絶対に死なせちゃいけない」
「だから何で自分を後回し?」
「トウカも守らないといけないよ。命は大事に!」
オッサンの言葉は嬉しかった。なんか右腕みたいな騎士みたいな存在って羨ましい。あなたの命は必ず守る、とか、あなたのためなら命を差し出す所存とかさ。
そりゃあ、もちろんおれも戦いに行きたいけど、背中を守れる相手って良いよな。あれ? おれ意外と戦闘狂だったのか?
なんか、ルゥトそれゲームの作戦名みたいだな。命は大事に……か。
目的の場所に着くと、不思議と天候は穏やかだった。海も荒れていなくて、最高の航海となっている。おれたちは甲板に出て辺りを見渡した。
「出てくれないのが一番だが、さっさと倒さないと色々と不便だろうな。海路での物質の交流はな」
「そうね。物資が届かないと大変な場所もあるわ。その土地で作られないが主食としてるものとか。あと、魔物避けのものとかね」
ウィズが隣に並ぶ。金色の糸のように細く柔らかい髪が太陽に照らされて光っていた。肌触りが良さそうだと思って、思わず触れていた。
「な、何するのよ!」
「ぐあっ」
「あっ!!」
「トウカ!!」
照れなのかウィズのビンタにより手すりを滑って通り越して、やはり海へと落ちていく。ルゥトが名前を叫び、ウィズが飛び込もうとしてオッサンに止められてるのが見えた。
「トウカーーーー」
ウィズの叫び声が最後掠れていた。そんなに叫ぶと声が潰れるぞ、なんて余裕があるような考え方をしていたら、背中から海へとダイブしていた。
いてっ!! 全身最悪な打ち方をしてしまった。飛び込みの選手みたく綺麗に入水すれば良かった。背中を強く殴打されることにより、上村灯架さん享年……何歳だっけ? あれ、おれ今何歳だっけ? まあ、良いや、亡くなりました。
最悪な死に方じゃねぇか!! 女の子にビンタされて、海水に濡れた手すりを飛び越したとか。
前回と違って餓死じゃないけど、ろくな目に遭ってない。
「ぶがごばっ」
何故か口を開いてしまい、口から大量の海水が入った。耳が痛むから多分、耳にも入ったに違いない。
仄か暗い海水の底に、キラリと何かが光ったのを見たが、一瞬、まるでホラー映画のタイトルだと思ってしまった。集中力が欠如してるのが、おれの悪いところなんだろう。短所ってか、履歴書の長所、短所って正直に書く人がいるのか?
上へと明るい水面に向かって泳ぐが、服を着込んでるおれには難しい行動だった。
「ぶはっ……はぁ、はぁ」
口に入っていた海水を吐き出し、しぃんと静まり返っていた海上。エンジンを止めていたため、海水の揺れる音しか聞こえない。
ちゃぷんちゃぷん、って音、好きなんだよな。
荒く呼吸を繰り返し、差ほど移動をしていない船を見上げる。
「エンジン……止まってて、よかった」
こんな広い海域に一人残されたら地獄だったな。遭難したとしても、探せるはずがないからな。
嘆息をしてから、船に近寄ろうとした。おれを見つけたウィズたちの叫ぶ声が聞こえる。そんなに興奮しなくとも無事だっての。
「トウカーーー!!」
「そんな、大声出さなくても大丈夫だっての!」
「違う!!」
何が違うんだ。きっぱりと切られたような言葉に疑問が生まれた。動揺を見せるウィズとは別に、冷静にルゥトが答えた。
「真下に魔物の影が!!」
「なっ!?」
慌てて周りを見ると、他のとこと海の色が違っていた。薄暗く、とてつもなく大きい何かが近付いてきた。
声に反応をしたのか、何かが足にまとわりついた。そして、反応をする暇もなく海へと引き込まれた。
呼吸の準備をしていないおれは、ほとんど息を吸わないまま海へと戻された。
「……っ」
正直、キツかった。肺に残された酸素は全くなくて、ほとんど意識が失われていた。
「……トウカ!」
ボフンと赤い何かが周りを通りすぎた。けど、水圧により勢いも効果もかき消された。
炎魔法、役に立ってねぇじゃん。
そして次は水しぶきの音がしたが、大きな物が落ちたのか波が大きくなった。
すぐに足に絡みついていた力がなくなった。そして、体を掴まれるとすぐに酸素が戻った。上を見ると空が見えた。
「げほっ……酸素」
海から出たのだと把握し、おれを掴んでいたのはオッサンだと気付いた。どうやら救い出してくれたらしく、魔物の切られた部分から赤い血のような物が海に浮かんだ。
「ありが、と」
「……礼は後だ」
「そうだ、な」
まだ海にいて真下には魔物がいる。そして、おれたちをターゲットにしている。
「トウカ!」
「……よかった。本当に、よかった」
ウィズとルゥトの声が上から聞こえるが、まだ終わってないから応えることはしなかった。
「よく、剣に魔法をぶつけて魔法剣とかあるが、それを試してみたらどうだろうな」
ようやく酸素も確保出来て落ち着いたおれの言葉にオッサンは難しい顔をする。ふと思ったが、あの大剣持ったままって結構キツいよな。浮かんでるのでさえやっとのはずだ。
やっぱり、おれがやるしかないか。
さっきみたいに消えるかもしれないが、ウィズの強い魔力なら何とかなるかもしれない。
「……オッサン、ちょっと離れててくれるか?」
「……何をする気だ」
「少しな。ウィズ!」
上の方が賑やかになっていたのは、船員たちがやって来たのかと思った。けれど、それはすぐに理解した。ウィズが反応しなくて、まるで止めてるような声もする。何が起きてる?
「弱者はいらない。覇者のみが相応しい」
「……?」
変な言葉が聞こえる。まさにウィズの詠唱に似た何か得体のしれない何か。ざわりと空気が震えた。顔色を変えたオッサンがおれを引っ張って、その場から離れた。
魔物から距離をとったが、揺れる波紋が不安定にさせて上手くその場に留まることは出来なかった。
「海をかき消す。邪悪で邪魔な存在は不必要」
床を蹴るような音がした。すると魔物が引き寄せられるように水面に現れた。そして、上から一つの剣が降ってきて魔物の眉間辺りに深く突き刺さった。
その剣は美しかった。鏡のように曇りのない表面には海が映っていてキラキラと海面に差し込む太陽の光で眩しかった。
突き刺さった部分から、どす黒い炎が魔物を包み込んだ。風圧なのか、それともそういう特質なのか、剣は空へと戻っていった。
……おれは、その詠唱の声を知っている。
魔物は跡形もなく消えていた。上も下も静まり返っていて、誰も声を発せずにいた。
その空気を破ったのはウィズだった。
「なんで……ここにいるの?」
「……早く、彼を助けたらどうだい」
「っ! トウカ! 無事!?
知り合いなのか、いや、あの口調だけじゃ知り合いとは限らないな。
「ああ、無事だ。イカを食いそびれて残念だけどな」
「自分が食べられてたかもしれないのよ!? まったく、そんな無駄口が言えるなら元気って証拠ね」
船員たちが垂らしたロープでおれたちは無事に帰還できた。甲板に戻ると周りを見渡してみたが、声の主も、あの剣も見当たらなかった。
「トウカ! 怪我はない?」
「大丈夫だって」
ルゥトがすぐに駆け寄ってきて、おれの頬に手を当てて顔を覗き見た。くしゃくしゃになって今にも泣きそうなルゥトの頭をポンッと叩くように撫でた。
「ほんと心配性だなぁ」
「怪我したら、嫌だから」
「してない。無事だ」
「でも、血が……」
「たぶん、魔物の血だろ。おれは、どこも痛くないし……オッサンは無事か?」
「ああ、問題ない。あの剣の使い手……は」
「そういや、誰だったんだ、あれ」
オッサンもウィズも知ってる人なのか。ルゥトは分からないらしく首を傾げていた。
「トウカ……」
「ん?」
「……ごめん」
ウィズが気弱に謝る。膝を床に付けて、座っていたおれと視線を合わせた。俯いているため、前髪で隠れた表情は分からないが、少し震えているのが見えた。
それに気付いたことを誤魔化すように、ウィズの頭をポンッと叩いた。
「倒せたんだ、結果オーライだろ?」
「……なにそれ」
「まあ、気にすんなってことだ」
「……うん」
元はと言えばおれがウィズの髪を無断で触ったからなんだしウィズが謝る必要はない。
それより、あの強い魔力の塊みたいなの何だったんだ。あの力に魔物も引き寄せられたみたいだし。それに、あの細工に拘ったような宝剣は……。