お引越し作業。
シュッツヴァルトの温泉より帰宅し、改装工事を行なってくれたドワーフの大工たちに報酬を渡した次の日。
それぞれ汚れてもいいような服装で、部屋の引越し作業に取り掛かっていた。
最大の難物である薬棚や本棚などはシキの魔法の風で容赦なく軽量化して運び込んだ。
だが、何よりも面倒だったのが。
「いい?絶対に、絶対にこの箱のものはタチバナ以外触っちゃ駄目だからね!?」
元のタチバナの部屋の一角にはまるで何かを封印するかのように、『触るな危険』とか『天地無用』『割れ物注意』『天然危険物』などなどの張り紙がされた箱が数個の箱がある。
中身は猛毒だ。
扱いかたを心得ている人間以外が触ってうっかり瓶を割ろうものなら、火傷なら可愛いもの、全身爛れるようなものや吸っただけで中毒症状を引き起こすもの、混ぜ合わせたら人一人くらいなら木っ端微塵にできる爆発を引き起こすものなど、文字通り危険物がみちみちに詰まっている。
「あの、シキ…そこまでしなくても、爆発するものとかは極々少量ですし、中毒を引き起こす系はちゃんと中和剤用意してますよ。それに、シキの本気の結界の中に封じ込めておいて何を言っているんですか……」
危険物の入った箱を運ぶべく腕まくりをしたタチバナは、なんともいえない表情でそうシキに言った。
危険物であると言うのはタチバナも納得しているし、取り扱いに関しては正直己以外に触らせたくないとも考えているのは事実だ。
だが、ここまで厳重に封印されてさらにああまで言われるのはなんとなくなのだが、納得できない。
「わかってはいるんだけどねぇ……警戒しておくにこしたことはないって思ったんだよ!」
親指を立ててどこかの筋肉馬鹿のように満面の笑顔でそう言いきったシキの表情はどこか自信たっぷりだった。
思わずタチバナはそのほっぺたをうにぃ、と引き伸ばした。
べち、という音を立ててシキがタチバナの手を叩くと、その手はひょいと簡単に離れる。
「なにするの」
「いえ、なんだかこうしなければいけない気がしまして」
とりあえず、運びませんか。と文句を言いかけたシキの言葉を遮って、タチバナはその危険物の入った箱を持ち上げた。
その後に続くべく、シキはそろそろ水に切り替わりそうな風の魔法で残りの箱を浮かべて、三階となった屋根裏部屋に運び込むべく移動を開始する。
「シキ、私たちはあとはどうしたらいい?」
「部屋の絨毯とかはそのままで、棚とか拭いたり、細かなゴミの処理をお願いしてもいい?コレ運んだら後は並べるだけだから、その前にご飯にしよう」
「わかった」
荷物を詰め込む手伝いをしていてくれたカレンやフィリーにそう告げて、新しく増設された階段を今日だけで何往復めだか覚えていないが登る。
カレンたちもその姿を視界の端に捕らえながら、シオンに指示をだして備え付けの棚やクローゼットなどの埃の始末に取り掛かった。
「箱はこちらに。並べるのは後でやりましょう」
「わかった。衣装箱とかはどうする?」
「この箱が終わらないと、空ける場所がありませんね」
「確かに。じゃ、後回しにしよっか」
危険物の入った箱以外にも、屋根裏部屋にはすでにさまざまな荷物が運び込まれている。
新しく調達したベッドや本棚などにはすでに設置が完了している。
クローゼットの代わりとなる衣装箱は二つ用意されているが、その目の前に服を大量に詰め込んだ別の箱が鎮座して開封される瞬間を待ちわびている。
最も面積が多い薬棚には、危険物ではないものに限るもののハーブや薬草、そして調合機材がきれいに詰め込まれていた。
危険物を詰め込む場所にはシキ特性の結界が封じ込められた魔道具によって頑丈さやセキュリティをバッチリにしてある。
シキは常々思っていたのだ。
あんな危険物が入る棚が、いくら鍵がかかるとはいえあんな無防備でいいのか、と。それがこの無駄に厳重になった理由だ。
「うーん、やっぱり片付けだけで残り半日終わりそうだね」
部屋の惨状を見て、シキはため息を吐きながらそう言った。
それに頷いたタチバナも、これからまだまだ入れなければならない荷物の数々を思い出してげっそりとした。
この部屋よりもかなり狭かったはずなのに、案外荷物は詰まっていたらしい。
シキもタチバナも荷物は多くないほうだと思っていたので、驚きもある。
「三年…いえ、四年ですね。それだけ此処で生活していれば、案外荷物は沢山できるってことでしょうか?」
「多分ね。けど、わたしたちにとってはいいことかもよ?」
同じように荷物にげっそりしていたはずのシキが笑う。
「わたしもタチバナも、ちゃんと根を下ろしたってことだもん」
きょとん、とタチバナはシキを見て、そしてその意味に思い至り笑う。
「確かに、そうですね」
いいことも、悪いことも様々な事を含めて、確かにその通りだと思ったのだ。
今のタチバナやシキは、巻き込まれた通りがかりなんかじゃない。
れっきとした、ラグの住民なのだから。
片付けを一時中断し、一階に降りたシキとタチバナは昼食の準備を開始する。
まず鍋に水を入れ、沸騰させる。
そこに芯をくり抜いたキャベツを丸ごと投入し、一枚ずつ剥がしながら柔らかくする。
全ての葉がほぐれたら、小さいものや太い葉脈部分は切り落とす。
切り落とした部分も使うのでとっておく。
「シキ、鳥か豚か、どちらに?」
「混合で。割合は好きにしていいよー」
シキの作業の横で、タチバナが取り出した鶏肉と豚肉を手回しタイプのミンサー(ひき肉製造機)でミンチにする。
その中に、タチバナの好みでニンニク、セージ、ナツメグなどのハーブやスパイスを投入し、塩コショウで味をつける。
そして練りこむ前にシキが横に避けたギャベツの芯やタマネギを細かな微塵切りにして投入し、そして一緒に粘り気が出るまで練る。
「タネはできましたよ」
「ありがとー。トマトと和風どっちがいい?」
「色々ハーブも入れたので、トマトですかね」
「りょーかーい」
タチバナから練ったひき肉を受け取ったシキは、ほぐし終わったキャベツを新しく出した鍋に敷き詰め、そこにひき肉を同じ厚みになるように詰めこみ、そしてキャベツを、さらにそこにひき肉を、と交互に詰め込んでいく。
そして水と調味料、それからトマトを乱切りにしたものを入れて蓋をして。
「後は焦がさないように煮るだけー」
「他のおかずはどうしますか?」
「んー、主食もかねてパスタでいい?」
「いいですけど」
「じゃ、きのことバジルとオイルサーディンのパスタで」
言うなり、シキはストックのパスタを取り出した。
空いている竈に水をたっぷり張った鍋を置き、一気に沸騰させる。
パスタと塩を投入し、規定の時間茹でればパスタの完成だ。
それをオイルを絡めてザルにあげておき、フライパンを準備。
オリーブオイルに、潰したニンニク、鷹の爪を入れて弱火で香りが出るまで熱し、オイルサーディンと石突を取って適当にほぐしたきのこ数種類を投入して炒める。
「どれくらい食べる?」
「普通に一人前でいいですから。あの二人は知りませんが」
「……一気に七人前くらい茹でたから余裕あるし、やっちゃいますか」
きのこがしんなりしたら、茹で汁を取っておいたものとほんの少しだけ醤油を入れて乳化させる。
乳化とは大雑把にいってしまえば水と油をちゃんと混ぜ合わせるための作業のようなもの、だ。
本当はもっと詳しくかつちゃんとした理由などがあるのだろうが、シキとしては美味しくなるならそれでいいので気にしていない。
乳化したその中に、ザルにあげていたパスタとバジルを投入し、強火で一気にソースを絡めながら炒めれば、完成だ。
「我ながらいい感じ~♪」
「面倒ですし、大皿でいいですよね」
「うん。どうせキャベツのケーキも鍋ごと出すしね」
パスタが出来上がると同じころに、煮込んでいたトマトソースのキャベツケーキが出来上がった。
蓋を開ければ、とろとろに溶けたトマトソース。
肉の中に練りこんだハーブ類が混ざり合った美味しそうな香りが漂う。
そのなかに、ほんのり赤くなったキャベツが、これまたとろり、とした感触で煮えていた。
「ん、いいかな」
軽く味をみて、足りない塩気などを足せば完成だ。
本日の昼食はトマトソースのキャベツケーキと、オイルサーディンときのこのバジルパスタ。
「三人とも、ごはんだよー!!」
テーブルにセットするのはタチバナに任せて、シキは二階で大掃除をしてくれている三人を大声で呼んだ。