そうだ、温泉に行こう。③
シキたちが温泉で寛いでいるころ。
タチバナとシオンは雪だるま亭で昼食をとっていた。
ヴィンフリートの件でやってきていたシキたちが女三人で入った食堂と偶然にも同じだが、意図してやったわけではなくただ歩く人々が話す言葉を拾って総合した結果、ここらで人気の店を見つけたというだけだった。
「このあたりでしか食べられないものを食べるのがいいですかね」
「ランチセットが一番いいのかな?」
「でしょうね。はぁ、にしてもむさくるしいですね……」
「騎士さまたち御用達みたいですから」
カウンターにほど近い一番せまいだろう二人席に座っている二人だが、周囲にはガタイのよいしかも甲冑を着込んでいたりする騎士たちがゴロゴロしている。
女性がいないわけではないのだが、視覚的圧迫感がひどい。
原因は鎧と半数以上を占めるゴツい男どものせいだろう。
そんな中でもランチメニューであるトナカイ肉のシチューのセットを二つ頼んだタチバナはさり気なく視線を周囲に走らせて警戒は怠らない。
なぜかといえば。
(厄介ごとに巻き込まれる前に帰ります。絶対に)
何処かしら遠出するたびに何かしらの厄介ごとを背負っている最近。
買い物などシキとタチバナのみ、もしくは女性陣のみなどならば起きない厄介ごとだが、何故か全員で出掛けるとなると何かしらに巻き込まれる気がするのだ。
「タチバナさん?」
「あぁ、なんでもありませんよ。とりあえず、シオンは他の客に押しつぶされないように気をつけてください」
大柄な人間ばかりが詰まっているこの状態では、小柄なシオンは押しつぶされかねない。
なるべく人がこない角のイスに座っているが、誰も来ないという保障はないのだ。
美味しい店だというので来たのだが、こういうところを気にしないといけないのはちょっと困るかもしれない。
「あ、きました!」
嬉しそうにそう言ったシオン。
どうやら料理が運ばれてきたようだ。
ポテトサラダにベーグル、それからトナカイ肉のシチュー。
ほかほかと湯気を立てるそれは、いかにも美味しそうだ。
「「いただきます」」
声をそろえて挨拶をし、食事に手をつける。
シチューは赤茶色のいわゆるビーフシチューの肉をトナカイに変えたもののようだ。
しっかりと煮込まれているおかげか、ほろほろとトナカイ肉が崩れる。
「おいしい!」
「えぇ、おいしいですね。肉の臭みはハーブ、おそらくローレルで消しているのでしょう。豆に合わせてセイボリーも入っていますね」
「……タチバナさん、よくわかりますね」
「腐っても薬士ですから。そうですね、今度ブーケガルニを作りますから、シオンもやってみましょう」
ブーケガルニと聴きなれない言葉を聞いてシオンは首をかしげた。
もぐもぐと口の中にあるベーグルを何とか飲み込むその姿は、ハムスターなど頬袋を持つ小動物のようだ。
思わず小さく笑ってしまったタチバナは、誤魔化すように一口ポテトサラダを食べてから言った。
「ハーブを束ねた煮込み料理などに使うブーケですよ。組み合わせによってまったく香りも合う料理も変わるんです。オルタンシアではあまり使わないのですか?」
「オルタンシアはああいう気候だから、あまり乾燥ハーブは使わないです。あのあたり特有のは使うんですけど……」
一年中雨が降り注ぐオルタンシアでは、水気に弱いものは全滅必至だ。
料理に使う香草も、あのあたりで取れる水気に強い特殊なものばかりなのだ。
最近は乾燥剤などが出回ってきたので一般的なハーブも使うようになってきているが、やはり料亭などはともかく一般家庭ではコストの面で使用されない。
「あぁ、そういうことですか。それならちょうどいいですね、今度作りましょう。あなたの小遣い稼ぎに、それを知り合いの商人に預けてもいいですよ?」
「ええぇえぇ!?」
タチバナからサラリと落とされた爆弾に、シオンが驚いて声をあげる。
それを行儀がわるいと注意しつつも、苦笑しながらタチバナは言葉を続ける。
「薬草はともかく、スパイスやハーブの扱い形は基礎ができ始めています。あとは回数をこなしていくだけです。回数をこなすその過程で、使われないものを量産するより少しでも売ってあなたのお小遣いの足しにすればいいと思ったんですよ」
シオンは非常に熱心な弟子だ。
シキから教わった事を全てメモに書き込み、そのメモと記憶を頼りにノートをつくり、そしてわからない部分があれば聞きに来る。
タチバナが秤などを扱うために覚えろと言った高等算術も、必至で覚えようとしているようだし。
今日は連れてきていないが、ネルトゥスと組んでの戦闘訓練もがんばっているようで、角持ちウサギ程度ならばどうにかできるようになった。
攻撃は自力では出来ないが、防御結界の中から的確に指示を飛ばしている。
いわゆる獣使いというやつだ。
色々と詰め込んでいるが、あって困る技能ではないので適当な所までは叩き込んで、あとは得意分野の方向に特化していけばいいだろう、と計画している。
「いまも、ちゃんとお給料もらってますし…」
シオンとしては、かなりの高待遇過ぎて逆に申し訳なく感じていた。
普通、一年目は雑用係で終わる。
だが、シキたちは最初から徹底的にシオンに技術を叩き込んでいる。
加えて、タチバナが言ったように一定以上のレベルのものが作れるようになれば、店に出すまではいかないが常連の客に味の意見を貰うことが出来る。
そして、お小遣いも恐らく普通の弟子としては多く貰っている。
「そうですね。この際ですからハッキリ言っておきますと、カフェ・ミズホは最高の危険地帯であり、安全地帯なんですよ」
「そ、れは、師匠が、異世界の魔女だから、ですか?」
「それと、リヒトシュタートに恨み…いえ、怨念を買っているからですね」
恐らく、各国からの経済制裁とシキによる本気の恫喝が無ければ、あの国はシキを狩るために軍を出してきただろう。
いくら軍が来たところで本気のシキの敵ではないのだが、昔はともかく今のシキは大切な人がそれなりにいる。
それらを盾に取られかねないのだが、その大切な人間たちが揃いも揃って冒険者で自分の身を守ることができるのでそこはいい。
だが、シオンは違う。
ちゃんとシキの大切なものリストにランクインし始めているけれど、その戦闘能力はぶっちぎりの最下位だ。
恐らく、連中が狙うならば彼だろう。
そんなリスクを、弟子となったシオンは背負っているのだ。
「シキと俺の問題に巻き込む可能性がゼロではない、というよりも確実に巻き込んでしまうだろうことが分かってますから、まぁ、罪滅ぼしですね」
ちゃんと、可愛い弟子だから、という理由もありますよ。と付け加えながら、タチバナはシチューをベーグルに染み込ませてから食いついた。
うん、コクがあるのにさっぱりしていていい。
「ぼくは、それに納得して、師匠の弟子になったんです」
ベーグルをちぎりながら、シオンは小さくそう言った。
少しだけ俯いてしまったその頭を撫でて、タチバナは言う。
「気にすることはありません。シキも俺も、初めての弟子を可愛いがりたいだけです。あなたは、あなたが思うよりずっと努力家で、優秀なんです」
だからそのまま、思うままに才能を伸ばしていけばいい。
大人であるシキもタチバナも、カレンやフィリーだって。
ぐんぐんめまぐるしく成長するその姿が、楽しみで仕方がないのだから。
「……はい。ぼく、もっとがんばります!」
「はい。無理をしないようにしながら、頑張ってください」
タチバナの手が、シオンの頭を軽く一回撫でるように叩いて離れる。
そのままウェイトレスを呼びながら、タチバナはお茶目に笑って言った。
「まずは、ちゃんと食べて大きくなることです。お菓子作りは、体力が資本ですよ」