そうだ、温泉に行こう。②
シュッツヴァルト城下町南方にある湖まで、乗合馬車で移動したシキたちは目当ての温泉場を発見してはしゃいでいた。
作りは煉瓦で、見た目がひどく可愛いその建物は確かに女性が好むだろう。
実際、出入りしているのは女性ばかりだ。
中に入れば、落ち着いた雰囲気ながらもどことなくやはり可愛く、だからといってゴテゴテした感じは一切なく。
掲示板と思しきものを見れば、本日のランチメニューやバイキング予定などがイラストとともに書き込まれていた。
温泉に入りつつ、ご飯も美味しく。
加えてエステ的なサービスまで充実しているようだ。
とはいえ、その分。
「料金はコースによって高くなる、と」
ただ温泉に浸かるだけならそんなにかからない。
が、今は昼前で、ご飯も考えなくてはならない。
このあたりは温泉街らしいので外に出ればいくらでも食堂なりあるだろうが、食べてからもう一度入館料を払うのもバカらしい。
それくらいなら、昼食つき個室ありコースでも選んだほうが得だ。
「どうする?」
「私はご飯と温泉に入れれば別にかまわないんだが」
「わたしもそうなんだけどね……」
エステとか別にいいや、なシキとカレンは一番安価で定番だろうコースを選びたいのだが、フィリーは違った。
「エステ…いいえ、マッサージのコースも…」
エステとマッサージまでつくコースに心惹かれていた。
が、値段も相応に高くつく。
具体的に言えば、ゼロがひとつ違う。
「フィリー、そんな手持ちがあるのか?」
この三人の中で一番女子力が高いフィリーがそのコースに心惹かれるのはわからないでもない。
が、温泉に入るだけの予定で来ている現在、お財布の中身はそんなにない。
合わせて、そんな時間もない。
温泉に入って、ご飯食べて、とやっていたらあっという間だろう。
実際、一番高いコースは長時間であると注意書きがなされている。
「ゆ、夢見るくらいいいじゃないのよ!」
「時間と財布を気にしないと、あとで破産すると散々私に言っていたのはフィリーだろう?」
「ひ、ひどいわ……」
悪気無くフィリーにトドメを刺しながら首を傾げるカレンに、フィリーは思わずよよよ、と泣き崩れるようにシキに寄りかかった。
と、鼻を擽るお菓子やスパイスの甘い香り。
そしてその中に香る、薬草の独特な……。
「シキ」
「何?」
「エステは諦めるけれど、色々聞かせてもらうわよ。い・ろ・い・ろ」
いきなり立ち直ったかと思えば、そんなことを言い出したフィリーにシキは唇を引きつらせた。
同じ屋根の下で暮らしていると言うのに、こういう好奇心は消えないらしい。
日頃、砂糖吐くわーとかいってくる癖にどうしてこうも態度が豹変するのだろうか。
「…別に今更面白くもなんともないと思うんだけど……」
「馬に蹴られるのは嫌よ、無自覚ノロケもご馳走様。け・ど。あのタチバナがどうシキを口説いているのか知りたいじゃない」
なにしろ、ハニトラ得意な元暗殺者。口説く言葉や仕草などのスキルは異様にある。
あるが、それがシキには効かないわけでもないが好まれていないとはフィリーにだって分かる。
リヒトシュタートに散々杜撰なハニトラ仕掛けられてきたシキが、そういうことを完全に嫌悪しないのが不思議なくらいなのだ。
そんなシキを相手に、そういうスキルがあっても使用禁止も同然なタチバナがどうやって口説いているのか。
やはり気になるではないか。
「ちゃっちゃと白状してもらうわよー!!」
「えー……」
エステが入ったコースは選べなくても、面白い玩具をゲットしたとばかりに上機嫌になったフィリーはまずは昼食!とどんよりした眼差しをしたシキをひきずりながらカウンターへと向かう。
「……がんばれ、シキ」
カレンは小さくそう呟いた。
温泉に入る前にご飯を食べてお腹を休ませてからにしよう、とまだ時計の短針が天辺よりも少しだけ手前の時間だがランチをいただくことにして三人は宛がわれた個室のカーペットの上で行儀がわるいなぁとは思いつつ、ミニテーブルの上にランチを乗せて食べていた。
ランチメニューはベーコン、きのこ、ほうれん草のキッシュに、ソラマメのポタージュ。雑穀入りのデニッシュにサラダ。
「む、これ美味しいな」
「キッシュはレシピ持ってないからなぁ。パイ生地は作れるけど」
「あ、私が知っているわ。かぼちゃで作るやつだけれど、基本は変わらないはずよ」
「お菓子以外はまったく作れないのになんで知ってるの?」
「だ、だってかぼちゃで作るキッシュって、甘いもの」
相変わらず、お菓子は作れるのにご飯は作れないフィリー。
カレンも変わらずご飯は作れてもお菓子は作れないのだが、まさかフィリーがご飯分類になるだろうキッシュを作れるとは思わず驚いて彼女を見る。
シキも、ソラマメのポタージュを飲みながら呆れたように視線を向ける。
甘ければ主食じゃない、お菓子だと判断されるのだろうか。
「まぁ、作れるなら教えてよ。戻ったらわたしが作るからさ」
「いいな、シキが作るのは確実に美味しいだろうし」
「わ、私だってできるようになって見せるんだから!」
などと不毛なやりとりをしつつ綺麗に昼食を平らげ、胃が落ち着くまではごろごろしよう、とそれぞれ思い思いにカーペットに寝転がる。
牛になる?知らんなそんなこと。
「で、タチバナはどう口説いてくるのかしら?」
「えー、ここで話すの?」
「お風呂だとのぼせちゃうかもしれないじゃない」
だから今だ、とフィリーは笑う。
「口説くも何も、そういうのはなぁんもないよぉ…」
べしょん、とクッションに顔を埋めたシキは、困ったような声音でそう言った。
「そうなのか?」
レモン水を片手に、カレンがソファの上から声をかけてくる。
それに頷いてから興味津々といったフィリーにも言葉を少しだけ選びながら答えを返す。
「わたしもタチバナも、そういう言葉は虚が混じるもんだと思ってるから」
誰かの何かを褒める。
それは当たり前の言葉ですればいい。
口説き文句みたいに、綺麗なだけの綺麗さを繕ったうわべだけの言葉は要らない。
少女を花に喩えるのもありだろう。
瞳の強さを宝石に喩えるのだって。
誰かを喜ばせようと紡ぐ言葉のすべてがそうだとは思わない。
そんなことを言い出したら、何もかもが嘘になってしまう。
誰かを褒める、誰かを喜ばせる、誰かのための言葉。
それは嘘なんかじゃないと分かるけれど。
「普通の恋人がするような睦言は、互いに薄っぺらく感じちゃってね」
愛している。君だけ。○○が一番。
なんでもいい。恋に絡んでのそういう言葉に、シキたちはどうしても共感できないのだ。
故に、二人きりのときであってもそういう言葉は交わされない。
ただ、ひとつだけ。
「ひとつだけ、タチバナがわたしの真名を呼んでくれるくらいかな」
だが、シキにとってそれで十分だった。
たぶんきっと、タチバナも。
「なぁんていうか…」
シキのその言葉たちに、カレンもフィリーもため息と共に色々吐き出しつつ呟いた。
「互いに面倒ねぇ……」
要約すれば、そういう感想になる。
彼らの経歴を考えれば仕方がないとはいえ、このような状態ではそりゃ、恋人期間などまったくない状態で熟年夫婦みたいになるわけだ。
互いに、『恋』がどういうものかを知りながらそれを恐れ疑い信用せず、そのままそれを迂回して明後日の方角を経由して家族まで至ったわけなのだから。
愛がないわけでは決してない。むしろいい加減にしろ新婚夫婦みたいな部分が多々ある。
だが、それは恋特有のトキメキというものが一切合財入ってはいないのだ。
あるのはただ、そこに相手がいるのが当然であると言う自信と誇りのようなもの。
「捻くれているのは自覚してるから。わたしもタチバナも」
それでも、まだシキは素直なほうである。
タチバナは残念なところが見え隠れしているが、根本的な部分は歪んでいる。
本人も自覚しているし、一年も同じ屋根の下にいればカレンにもフィリーにもわかる。
当然、シキとてそれを理解している。
「おかしいわね、普通の恋バナしたかったはずなのに、あなたたちの変なところが浮き彫りになっただけだわ?」
「だからわたしにそういう話題を降るのは無理があるんだってば」
どうしてこうなった、と頭を抱えたフィリーにシキが苦笑を零す。
カレンは自身が持っているものとは別のグラスにレモン水を注ぐと、フィリーに差し出した。
「シキとそういう話が合わないのは分かっていたと思うんだがな?」
「えー、えー、そうね。期待したほうが間違っていたわね。もう、普通の女の子みたいなのを求めるのは止めるわ」
「いや、恋愛じゃなければやれると思うぞ?」
言われてフィリーは首を捻る。そして視界に入った化粧っ気の一切ないシキとそしてその普段の服装を思い出して気がつき、燃え上がった。
「そうね、そうよね……」
「あ、あの、フィリーさん??」
「さぁシキ!!お風呂上りに化粧道具と服を見に行くわよ!!!」
「ええぇぇぇぇ…!?」
恋バナが駄目ならファッションとかすればいいじゃない。
と開き直ったフィリーは、即座に温泉に入る支度を整えるとシキを引っ張って歩き出す。
引き摺られる形になったシキは、どうにか自分の分のお風呂セットをひっつかんでそのままひきずられていく。
「カレーン、相棒でしょー?とーめーてー!」
「悪い、シキ。最近溜まってるみたいだから付き合ってやってくれ」
「うぇぇぃ」
引き摺られていく中で、いかにも気が乗らないというシキのため息が風に流れて消えていった。
シキとタチバナは世間一般がいうところの恋愛に懐疑的です。
ハニトラ祭りだったせいです。
なので、二人は夫婦ですが世間一般から見ると、確実に何かがおかしいです。
愛が無いわけでは無いです。恋という過程を吹っ飛ばしたり回避しただけです。
なので互いにときめきは存在しません。