ケット・シー
珍しい。
それが四人に共通した感想だった。
そしてその存在を知らないシキだけが、あんぐりと口をあけてタチバナとその存在を見比べていた。
「実物長靴を履いた猫!?」
「ケット・シーですにゃ」
リュートを抱え、マントを羽織り、羽飾りのついた帽子をくいっと挙げる仕草はかなり堂に入っている。
身長はシオンよりも低く、文字通り猫が二足歩行をしている、といった風情だ。
揺れる尻尾の先にくくりつけられた鈴が、ちりりん、と可愛らしい音で鳴った。
「シキ、一応彼は獣人族です。まぁ、凄まじくめずらしい種ではありますが」
「獣頭の人とかいるから慣れたつもりだったけど……いるんだねぇ」
こそこそ、とタチバナから説明を受けたシキはこれぞまさにファンタジー、と呟いた。
最初は狼の頭をした人とかに会うたび、びくついていたのだ。
慣れてくればどうってことはないし、結構存在しているので慣れざるを得ないし。
とはいえ、リアル長靴を履いた猫に遭遇するとは。
「友人から話を聞きつけてやってきたのにゃ。今月のオススメはにゃにかにゃ??」
「友人、ですか?」
「にゃ。イブキをご存知かにゃ?」
あがった名前に、最近ここの常連と化してきたコンビを思い出す。
イブキは東大陸の出のはずなので、このケット・シーも東大陸の出かもしくは暫く逗留でもしていたのだろうか。
「知ってるけど…友人?」
「にゃ。我輩、あちこちをふらついているのにゃが、一度アカレアキツで行き倒れたのにゃ。そのとき世話になったのにゃ」
「行き倒れって……」
「我輩もドジを踏む時があるにゃ」
遠い目をしたケット・シーにこれは聞いたらまずいかな、と感じたシキは話をずらすべく注文一覧を取り出した。
本日の軽食メニューは鮭おにぎり、稲荷寿司、タマゴサンドイッチだ。お菓子などはサーターアンダギー、きな粉ドーナツ、おはぎ、鶯豆入りマフィンなどがメインとなる。
「そっか。今月のオススメはイチゴクリーム入りのワッフルだよ」
「おお、イチゴですかにゃ!それを二つほしいにゃ」
「飲み物は何かある?」
「マタタビ茶…はにゃいだろうから、紅茶のストレートでお願いするにゃ」
「あわせて800リラね」
「これで勘定をおねがいするにゃ」
ケット・シーはイチゴクリームワッフルと飲み物の代金を支払うと、とてとてと奥のテーブルの空きに向かう。
ワッフルは出来合いなのでそのまま皿に、紅茶はカップで入れて運んでテーブルに置けば、ケット・シーはシキを見上げてなんとなく神妙な表情で招き猫のように手招いた。
「なにか?」
「イブキにも伝えるつもりだったことにゃのだけれど…」
「はい」
「魔女どのは、金の髪の妖艶な美女に心当たりはにゃいか?」
「………一人だけ」
ケット・シーの言葉に、反射的にあの女を思い出したシキは、眉をしかめた。
そこでふと、あの女は去年の今頃、東大陸に渡っていなかったかと思い出す。
まさか。
「名は、ベル、だと思ったにゃ。その美女が最近アカレアキツの隣国であるシラザサの上層部に取り入って、遺物の封印を解かせているにゃ」
「どういうこと?」
「遺物とは西大陸を裂いた戦争の残り物だにゃ。中にはヤバいものを封印したものもあるにゃ」
真剣な顔で話を進めるシキとケット・シーの二人に、軽くお代わりの紅茶を持ってきたタチバナは、その言葉にヴィンフリートを思い出した。
彼は戦争の遺物といっても過言ではない存在だ。
戦争の狂気によって生み出され、封じられた魔王。
「噂でしか聞いてにゃいけれど、『魔の者を倒す手掛かりを探している』っていうのが、その美女の言い分にゃ」
「はたから聞いたなら、それは魔王を指すけど……」
「あの女だったら、意味が変わりますね……」
もしも、このケット・シーが伝えてくれた金の髪の妖艶な美女がブリーキンダ・ベルだった場合。
倒すべき対象は決して魔王などではなく、シキだ。
国の思い通りにならないばかりか、都を氷付けにされ、支配していたはずの獣人をかなりの数を解放され、亡命した混血児を殺すのを防がれ。
辛酸を舐めさせられまくっている相手であるシキになる。
加えて、あの女に対してはちょっとした意趣返しで周囲の怨念を固めて反しているので、個人的な怨念も相当なものだろう。
たとえそれが、自業自得の的外れなものだったとしても。
「えっと、」
「マツヨイ、にゃ」
「うん、マツヨイ。たぶん、その話はイブキくんだけじゃなくて、ギルドにも伝えたほうがいいと思う」
「魔女どのの心当たりのその美女は、ヤバいやつなのかにゃ?」
ケット・シーもといマツヨイは、ぴくぴく、と耳を忙しなく動かしながら問いかける。
イブキに美味しい喫茶店があって、そこの店主が異世界人の魔女である、と聞いたときから、噂で聞いていたシラザサの上層部に食い込んだ美女の話がなんとなく繋がっていた。
あの美女は、異世界人と聞くと凄まじい反応を返すのだそうだ。
本人は異世界人に酷い目に、などと嘯いているようだが、一般市民や冒険者の情報網を舐めないでもらいたい。
シラザサという国は中央の腐敗が進んで宴に明け暮れすぎているせいで気がついていないようだが。
「ヤバいね。うん」
「わかったにゃ。ギルドには早めに伝えにいくにゃ。向こうにあるギルドから情報は来ている気はするけどにゃ」
が、一般人にも情報が回るようになっている、というのは伝えるべきだろう。
何かあってからでは遅いのだ。
なにせ、あの美女がしているのは遺物の封印解放。
何があってもおかしくない。
「マツヨイ、情報をありがとう」
「気にするにゃ。我輩も、イブキに確認を取ってから、などと考えていたけれど、想像以上にヤバいことににゃりかけているみたいだとわかったからにゃ」
マツヨイに、シキは静かに頷いた。
あの女が諦めていないだろうことは想像がついていた。
カレンの事から一年しか経っていないからもう少し先になってから何かしてくるだろうと考えていたけれど、そうもいかないらしい。
だが。
(わたしの家族に手を出したら、タダじゃすまさないよ。ブリーキンダ・ベル)
不穏な影が、ちらほらり。