シキとシオン
シオンが弟子入りしてから、早一週間。
カフェ・ミズホは定休日だった。
彼はかなり飲み込みが早かった。
もともと、ウーヴェの所で練習させてもらっていたと言っていたので、切ったり混ぜたり計ったり、の基礎が出来ていたのもある。
なにしろ、オルタンシアのあの葛餅作りで、及第点には到達できたくらいなのだから。
「と、いうわけで。君にはまずこれをマスターしてもらおうと思います」
どん、とキッチンのシンクの上に置かれたのは、大量の小豆。
そう。カフェ・ミズホで定番商品であるオハギや羊羹、大福にあんまん、どら焼きその他もろもろ。
殆ど全てに使われている食材である、餡子を作ってもらおうというのだ。
ちなみに、いつものメンバーでこの餡子をそこそこ美味しく作れたのはフィリーとタチバナのみである。
カレンは押して知るべし。
「えっと…?豆、ですか?」
「はい。豆です。小豆っていう豆で、和菓子…葛餅もそうだけど、この店で出しているメニューの大半に使われています。なので、これが作れないと殆どの和菓子が作れません。あ、洋菓子…クッキーとかマフィンとかはまた別ね」
「頑張って、覚えます!」
「その意気やよし!」
作業開始、とまず最初に竈に鍋を用意する。
その中に、水洗いした小豆を入れ、水を入れる。
「水の量は感覚で覚えて。鍋に入った小豆を手で押さえて、そこから手首くらいに水がくるといいかな。ただ、周囲の湿気とかで上下するから」
何はともあれ、煮汁から小豆が出てしまえばアウトなので多い分には問題はあまりない。
竈にセットされた二つの鍋のうち小さめのものに、シキの指示でシオンは小豆を入れる。
そして水を測り、シキと同時に火にかける。
強火を維持して鍋を沸騰させ、小豆が鍋の中で踊る。
「なんだか、ちょっとだけ甘い香りがしますね」
「少しづつ火が通り始めたからね。まだまだこれから」
今度は中火で、10分ほど煮る。
そして火を止め、蓋をして蒸らすのだ。
「で、アクをとります。ちゃんと取らないと、美味しくなくなるから注意ね」
蒸らした後の小豆のなかには、アクがもやもやと浮いている。
それを丁寧に掬い取り、減った分の水を足して中火にかける。
そして湯がもう一度沸騰する寸前まできたら弱火にして、一時間ほどアクを取りつつ、減った水を足しつつ煮るのだ。
「うわぁ…こんなに、手間がかかってるんですね」
「そうだよー。だから夜の夕飯の支度の片手間にやるの。で、今回は少量で作ってるけど、沢山作って冷凍保存するんだよ。砂糖の量によるけど、冷凍で最長二ヶ月もつかな」
「そんなにもつんですか!?」
「もつんだよ、これが。冷凍しなくても、氷室に入れているだけでも五日くらいは余裕だから。夏はさすがにそうもいかないけどね」
餡子は、実は優秀な長期保存可能食材だ。
常温保存でも、夏でなければ三日はもつ。
そのため、定休日に大量生産して氷室につっこむこともある。
「で、この空いた時間に他のも作ります。そうだね、竈は使えないから、窯で作れるものにしようか」
言うやいなや、小麦粉や砂糖、バター、卵にベーキングパウダーを取り出したシキは、手馴れた動きで測りも使わずにそれらをボールの中に投入する。
「え、計らなくて大丈夫なんですか!?」
「あぁ、本当は計ったほうがいいんだけどね。私たちのおやつにする程度だから手抜き。ちなみにパウンドケーキです」
材料をほいほい、と混ぜ合わせたシキは、金型にバターを塗りこんで混ぜたそれを流し込み、昼食で使ったまま火が残る窯に放り込む。
そうしているうちに、どうも小豆が完全に茹で上がったらしい。
「で、また蒸らします」
「ま、またですか」
「またなんです」
先程よりは短く、パウンドケーキを焼くために使った道具を片付けていれば規定の時間になる。
「今度はアクを取りながら煮汁を取ります。取りすぎると味が薄くなるから気をつけて」
「これくらい、かな?」
ちまちまとやはりアクを取りつつ、煮汁を減らす。
そして小豆の最初の重さの75パーセント程度の砂糖を投入し、火にかける。
「こっからが本当の勝負だよ!!」
やはり沸騰してきたら弱火にして、木べらでひたすら練る。
油断すると、弱火であってもあっという間に焦げるので、量が多ければ多いほど力仕事になっていく。
少量だと、焦げるのが早いのでやはり油断できない。
練って、練って、少しやわらかいくらいで火からおろして、完成だ。
用意した保存用バットに流しいれる。
「はぁ、ふぅ」
そこまでで、シオンは息切れを起こしていた。
シキよりも少量だったが、練っている間に餡子はあっという間に重くなっていくのだ。
だが、そこで練る手を休めれば焦げ付いてしまうので手を止めることも出来ない。
「はい、おつかれさま。これが餡子作り一連の流れだよ」
「ありがとう、ございました。はぁ、本当に、体力勝負、です」
どうにか息を整えるシオン。
シキはシオンよりも多くやっているというのに、軽く息を乱した程度だった。
ここで、大人と子供の体力差を思い知る。
「はい。食べてごらん」
丁度パウンドケーキも焼きあがったのだろう、窯からとりだしたそれを切ったものと、スプーンを差し出される。
「餡子、のっけて食べるの。バター乗せても美味しいよ」
さっそくシキは味の確認としてパウンドケーキにできたての餡子とバターを乗せて食べている。
「うん、なかなか。後は水分吸ってくれればいいかんじかなぁ」
シオンも、シキにならって自分で作った餡子を乗せて一口噛り付いた。
ふわり、香る小豆の甘い香り。
ちょっとだけ焦げくさいのは、鍋のどこかで小豆が焦げてしまったからか。
だが。
「出来立ては、美味しいでしょ?」
「はい!」
「焦げちゃったみたいだけれど、大丈夫。要は慣れ。何度も作って体で覚えて。で、少しづつアレンジをいれてみればいいよ」
わたしも最初は焦がした、と笑うシキに、餡子をのせたパウンドケーキを頬張りながら頷いたシオン。
できた餡子は、後で他のメニューを作る際にシオンの分として使用されることなった。
次回餡子を作るとときは、絶対に焦がさない。
静かに決意を固めるシオンを見て、シキは微笑む。
一生懸命って、やっぱりいいよね。
カフェ・ミズホの基礎であり奥義。
それは餡子。
無いと、おはぎもどら焼きも羊羹もなぁんにも作れませんから。