タチバナとシオン
「……値上がり?」
「そうさぁ。ほら、最近あんたのとこのハーブティ飲んで不眠が治った連中とか、肌の調子が良くなったとか、色々あってなぁ。他の薬士連中がその恩恵にあやかろうとこぞって買っていってんのさ」
「確かに誰でも調合できるものではありますけどね」
少しばかり空が薄く曇った日。
タチバナはシオンを連れて仕入れのために市場をあちらこちらうろついていた。
春になると、薬草などが増え始めるのだが、ハーブティに使用するハーブ類も当然増え始める。
乾燥させたり漬け込んだりすることで長期保存するが、やはりできるだけ新鮮なものを利用したほうが美味しいハーブティが作ることができるのは常識だ。
最近はルシニアシアンの森に入って採取したりしていたが限度はある。
それに、専門的に栽培している人間がちゃんといるのだから、そういうところから買ったほうが品質が高い。
魔術薬ともなるとマンドラゴラなど、そうもいかないものが大量にあるが。
薬草もハーブも漢方も同じものが被っていることが多いので、どちらにせよ苦労は変わらない。
「あぁ、でもやっぱり味の方は、な。新米連中が荒稼ぎしようとして、マズいの作ってクレームになってる。名のある薬士の連中はそんなこたぁ、ないがな」
「調合の割合には、かなり気を使ってますから。新米ごときに負けませんよ。で、もしかしてそのせいで品薄に?」
「おう。契約してる薬草園も、そんなに大規模なトコじゃないからな。結果として、値段をあげるしかなくなってる。ドコも同じなんじゃねぇかな。しばらくすりゃ治まるとは思うが」
「それまで待っていたら、仕事になりません」
ハーブティ、というのが今までなかったわけではない。
ただ、薬効目的で飲むものだったのでシキが提案しタチバナが調合したような嗜好品と薬効を併せ持ったものが少なかったのだ。
が、たとえ嗜好品として調合したものでも薬効が確か、加えて豆茶よりは高いが紅茶よりは安くすむ。
となれば、浸透してきたのならば真似しようと考える輩がいてもおかしくはない。
結果がこれだが。
シキに頼んで転移魔法でシュッツヴァルトかハルニレあたりまで飛んで仕入れようかと考えるタチバナだったが、商人が何やら布袋が幾つも入った箱を取り出したことで首をかしげた。
「で、タチバナ。提案なんだが。お前んとこのカフェの裏って、植樹林だよな?」
「えぇ、まぁ」
「小さくていい。薬草園、作ってみねぇか?」
袋から取り出されたのは、大量の種。
それも、どれもこれもハーブや薬草の種だ。しかも専門的な手が必要なタイプのものではなくて、一般家庭が庭で育ててしまえるような簡単なものばかり。
「店で使える、と考えると中々いい案ですが…手入れの時間でどうなるか、ですね」
「そこはほれ、そこの魔女の弟子にハーブの扱い方を教えるのと並行すりゃどうだ?」
「ぼ、ぼくですか!?」
商人が広げた大量のハーブや薬草、漢方の素材となるものを物珍しげに覗きこんでいたシオンは、突然話題を降られて驚く。
タチバナも、ひとつ手を打つとそれもいいですね、と笑う。
「シキの作るお菓子の中には、かなり大量にスパイス、つまりはハーブや薬草に分類されるものが使われています。覚えて損はないですね」
「おまけに、薬草はともかくハーブは下手に触りすぎると逆に枯れちまうからなぁ…。ちぃっとばかりほっとくくらいが丁度いい。どうだ、タチバナ」
「やりましょう」
「おっしゃ。一般家庭でもハーブが育てられるっていうセットを売ってみようって話になってな。植木鉢でも育てられるタイプから、庭で育てるのまで家にあわせてセットを組んでみたんだよ。感想よろしくな!」
「のせられた感はありますが、そうですね。庭のセットで。庭面積は?」
「それこそ、お好みだ。育て方は中の冊子を読んでくれりゃぁいい」
タチバナはさっさと商人からハーブ栽培セット(庭用)を購入し、それと当初の目的だった乾燥させたハーブ類を十数種、値切って購入する。
商人としても、実験ができるのでありがたいのだろう。あっさり値切られてくれた。とはいえ、値上がりしているところから値引きしているので、いつもよりは安く済んだけれど、そんなに…といったレベルだが。
「あ、あの、タチバナさん」
「どうかしましたか?」
買い込んだハーブの一部を抱えて、シオンはタチバナを見上げた。
シオンは、実はタチバナがあまりよく分からない。
とんでもない美人で、穏やかなようで怒らせると凄く怖い。シキを誰よりも大事にしていて、甘いものが好き。
そして、元は暗殺者。ギルドからの異名は『魔女の騎士』
シオンが知っているのは、これくらいだ。
暗殺者だったと聞いたときも、あまりピンとこなかったし、今だってそんな風には見えない。
自己紹介された内容と彼の気性があまりにチグハグで、シオンとしてはどう接したらいいのかが分からないのだ。
だものだから、話しかけるときは緊張する。
「裏の植樹林って、なんですか?森に直通しているようにしか見えないんですけど」
「あぁ、シオンは知らないんでしたか。この都市は二重の外壁に囲まれています。その外壁の間に、人工的に作られた森があるんですよ」
「え、ってことは、見えている森は…」
「一応、都市の中にあるものです。許可をもらえば、一部を切り開いて畑にすることも許されています。山脈側の所では麦畑に変わっている場所もありますよ」
穏やかに該当する方角を指差して説明するタチバナ。
思わず、ため息にも似た声を出して納得するシオン。なるほど、都市に入った時、町並みが見えるまで門をくぐってからやたらと時間がかかると思ったら、そういう理由だったのか。
「さて、シオンは畑仕事の経験は?」
「ないです…」
「…俺もです。シキの祖父母は農家だと聞いているので、シキとこの説明書頼りになりそうですね」
実はこっそり当てにしていたタチバナ。
だが、互いに畑仕事というか家庭菜園の経験がないと分かったので即座にシキに頼ることにした。
本だけで、できるなんて思わない。
だがとりあえず。
「シャベルにスコップ、土…は森からで良さそうなので、あとは鍬?」
「肥料もいるみたいですよ。ジョウロも必要ですし、区画割りにレンガとか用意したほうが後々楽みたいです」
「助かります、シオン。俺はそういうのが苦手で……」
「そうなんですか?」
「えぇ、書かれている最低限のみを揃えて後であると楽なものに気がついて買い足すとか、よくやるんです」
人の動きを見てサポートする事は得意だ。
というか、それができなきゃ暗殺者などやってられなかった。
が、こういう作業になると途端に気がつかなくなってしまう。必要最低限あればいい、というのが根本にあるのだ。
その点、シオンは宿屋で手伝いをしていたためだろう、何があれば楽になるかに気がつく。
気配りとサポートは違うのだ。
「では、これらを一度置いてから買いにいきましょうか。その時に、あなたの分の秤等も揃えましょう」
「え、いいんですか?」
「えぇ。あなたもハーブティーの調合が出来る様になれば、ぐっと皆の負担が減りますから。最優先は、お菓子や軽食の作り方ですけどね」
「はい、頑張ります!」
握りこぶしを作って意気込むシオン。
その頭の片隅では、タチバナは案外話しやすいし優しいからそんなに緊張する必要はないのかもしれない、と考えていた。
が、その感想はその日のうちに消えた。
買い物を済ませ、夜の仕込みの一部を教わり、その後にハーブティの調合を学んだのだが。
「下手くそですね。違います。そこは割合が0.3刻みです」
「はい、すみません…」
課される数式の山。しかも暗算。
丁寧な言葉で、出来るまでみっちりと同じ作業を繰り返し。
最終的にひとつは合格を貰えたものの、脳みその中は数式で一杯だ。
優しげな風貌に騙されてはいけない。
彼は、案外厳しかった。
「まぁ、及第点でしょう。数式をもう一度自習することをオススメしますね」
「はい…ありがとうございました」
お菓子を学んでいた時よりもキツかった。
こう、丁寧なのだが威圧感があり。
柔らかい口調なのに、底冷えする。
笑っているのに、笑っていない。
言われている内容は鍛冶師のところへ修行にいった知りあいから聞くよりも優しいし、見て覚えろ、みたいな状態ではないので分かりやすいのだが。
雰囲気が、精神的にキツい。
「あー…お疲れ。調合やってる時のタチバナは、威圧感半端ないから、慣れるしかないな」
「カレンさん…」
「誰が威圧感を放っていると?」
「タチバナ。こう、近寄るなオーラと、ヘマするなよオーラ?が凄い。シキもわかるだろう?」
「分かる。危険な薬品もあるから分からないでもないけど、あんまりにも鬼気迫ってると近寄りがたいかなぁ」
どうやらそう感じているのはシオンだけでは無かったようだ。
が、彼女たちは慣れているらしい。
タチバナは二人の言い分に、ふてくされている。
「丁寧に教えたつもりなんですよ、これでも…」
「いえ、分かりやすかったですから!」
怖かったけど、というのは付け加えず、シオンは言った。
すると、苦笑したタチバナに頭をなでられた。
「割合計算は、お菓子を作るときにも役立つはずですから。感覚的なものも必要ですが、最初はちゃんと計ってやれば失敗はしません」
なんとか仲裁をしようとするシオンに苦笑しながらそう言ったタチバナは、もう少しだけ調合中の自分の雰囲気とやらを考えてみようと思った。
ハーブティはともかく、薬草の中には毒草も平気で入っていますから。
失敗すれば我が身に返る。薬士というのはそういうものです。
なので手抜きをせずに教えたタチバナですが、タチバナの真剣な雰囲気って、その美貌とあいまってめっちゃ怖いと思うんですよ。