少年の踏み出した一歩
「よろしくお願いします!!」
深々と礼をしたシオンに、こちらこそよろしく、とシキたちは笑った。
シオンがシキに弟子入りが確定し、ギルドを挟んで契約を交わして一週間。
元々は客室だったシキの家の最後の一室をそのまま彼の部屋にすることとなり、衣類や日常で必要な小道具を揃えて、この日を迎えたのだ。
何故こんなにもすばやく事が進んだかと言うと、シキの転移魔法である。
あの唐突な訪問の後、シオンを炊きつけたウーヴェにも事情を聞くべく、まとめて転移したのだ。
そのウーヴェの状況と言えば、それはもう凄まじいものがあった。
シキが教えたレシピを完全に我が物にしたのは彼と数人だけで、他の人間はてこずっているようなのだ。
結果として彼らに負担がかかり、自らの店との両立で休む暇などない有様。
もちろん、葛餅や水まんじゅうはオルタンシアに似合うし美味しいので観光客が喜んで食べていくという。
嬉しい悲鳴と激務とで、これはシオンのフォローに回れるはずもない、とシキたちは唇を引きつらせたのだ。
そのため、後日手紙での通達にして、その後にミズアサギ親子を家に送り届けて後はもうギルドにお任せにした。
契約さえ済んでしまえば日にちなどは自由なので、じゃぁ、今から準備しようとなり。
一週間後の今日となったわけだ。
「じゃ、まずは家の案内だね」
「お願いします、ま……っと、師匠!」
「ふふ、師匠、ですか。いいんじゃないですか?ねぇ、シキ」
「ちょっと、タチバナ笑わないで。慣れなくてすっごくこそばゆいんだから!!」
シキの事を魔女さんから師匠と呼び替えたシオンに、くすぐったいなぁと居心地悪そうにしたシキをからかうタチバナ。
カレンもフィリーもニヤニヤしている。
「く、カレンだって猪青年に姐さんとか呼ばれてるくせにっ」
「慣れだ、慣れ。慣れてしまえばとうってことないぞー?」
「むきぃぃぃ!」
その余裕の態度に、思わずカレンを揺さぶるシキ。
呆れたように見つめるフィリーは、おろおろとするシオンの横に並ぶと、その自分より低い場所にある細い肩を叩いて言った。
「慣れよ。いつものことだから」
「えっと、そう、なんですか?」
「えぇ。仕事してるシキはちゃんとした大人だけれど、そうじゃない時は案外子供っぽい所もあるのよ。カレンとはじゃれあってるだけだから、気にしなくていいわ」
「はぁ……」
そういうもんなんですかね、と首を傾げるシオン。
最終的にカレンがギブアップして終わったらしく、シキがあははー、と笑いながら案内を再開した。
「ここからが店舗とキッチン。キッチンとリビングは繋がってるから、中が見えないように扉はちゃんと閉めてね。で、そこの階段を上がると二階。その横の扉から廊下とか裏庭とか水周りに出ることができるから」
シキの家は玄関が存在しない。
というのも、カフェの部分がそうなのだ。あとは裏口。
なので、案内はどうしてもカフェ店舗からとなる。そのままキッチンやリビング、風呂などに繋がる廊下。裏庭というより植樹林に直結する出口。
大雑把に一階を案内すると、さっさと二階にあがる。
「で、ここがシオン君の部屋になるよ」
案内されたのは、最奥の客間だった部屋だ。
中に入れば、ベッドがひとつと、棚がひとつ、それからテーブルと本棚。
生活に必要な家具が一揃いだ。
クローゼットは備え付けで、掛け切れなかった服はその下の箱に入れてある。
まだまだ人が住んでいる気配のない部屋だが、少しづつシオンらしい部屋になっていくことだろう。
「うわぁ、いいんですか。こんなにいい部屋」
「そんなに広くはないんだけどね」
「いえいえ、普通収納がこんなに充実している部屋を宛がわれるなんて、ないです」
大きな商家や職人のところになると、この部屋のサイズに二人というのが当たり前だ。下手をすれば四人ほど詰め込まれることもある。
部屋ではなく、屋根裏や倉庫だった場所を改造して部屋にすることもあり、そういう場所になると冬はとんでもなく寒く、夏はとんでもなく暑くなる。
ぶっちゃけ地獄だよ、とは近所にいる知り合いの料理人見習いの言葉だ。
「そうなんだ。うちはそんなことしないから、安心して。あと、向かいの部屋二つがカレンとフィリーの部屋、階段正面がタチバナの部屋だから」
「あれ、師匠の部屋は?」
他のメンバーの部屋の場所も伝えると、其処に名が挙がらなかったシキの部屋を聞くシオン。
目を逸らしたのはシキだけで、タチバナは苦笑しているし、カレンたちはやはりニヤニヤと笑っている。
「だいたい、俺の部屋か下のリビングの一角を占領してますから」
「あの、それってもしかして、ぼく、師匠のお部屋、とっちゃいました、か?」
が、正確な部分はやはり伝わらなかったらしい。
自分がシキが使っていた部屋を取ってしまったか、とまたもや慌てだすシオン。
その様子から、弟子入り志願騒動の後にこってり絞られたことが窺えた。
もともと、真面目な子ではあるようだし。
「いや、ほら、タチバナとシキは夫婦だから」
「あ、そうでした!」
カレンが最終的にフォローに入り、よかった、と胸を撫で下ろしたシオンを連れて、もう一度リビングに戻る。
「じゃ、改めて」
リビングにあるそれぞれの定位置に座り、その中心にシオンをおいて、シキはとっておきのティーカップに、とっておきの紅茶を淹れる。
フォートナム・アンド・メイソン
王室御用達の最高級紅茶だ。
基本的に貴族にしか手に入らない代物で、一般にも流通自体はしているものの中々凄まじい値段をしている。
だが、その洗練された上品でいて優雅な味わいはシキの知る紅茶の中でもトップクラス。
店の商品としては出すことはできないが、こういった特別な時に出せるよう、ほんの少しストックしてある品だ。
「カフェ・ミズホにようこそ、シオン君」
お茶請けには、林檎のピューレを練りこんだレアチーズケーキ。
これも、やはりとっておきだ。
「わたしも君もまだまだ未熟。互いに、学びあいながら成長していこう」
シキの全力での歓迎。
それを感じ取ったシオンは、決意を秘めた眼でシキを見つめ返しながら言った。
「はい。よろしくお願いします」
なりたいものがある。
その一瞬で憧れたものが、ある。
シオンはそれに向かって、確かに歩き出せたことを感じていた。
そして、非常識だらけのカフェの住人に振り回される日々が始まるわけです。
貴重な常識人枠のシオン君です。