花の名の少年③
シキとタチバナがリビングに戻れば、カレンとフィリーが興味津々、といった風情で待っていた。
「で、シキ。どうするんだ?」
「んー…弟子入りって、あれくらいの年齢でするもの?」
現代日本では、働くには特定の年齢にならなければ許されない。
家の手伝いならばともかく、弟子入りするのも確か中学卒業後だったはずだ。
舞妓さんとか、料理人とか。
だが、この世界ではどうなのだろうか。
「彼、今何歳かしら?」
「十歳。もう少しで十一歳になるって」
「少し早いくらいだが、おおむねそれくらいか。成人前に礼儀作法とか叩き込んでもらうのが目的の場合は十二か十三くらいが多いが。職人とか、商人につくならそれくらいになる」
読み書き算術歴史に諸々を教えてくれる学校は本人の習熟度によって終了が早まるし、早めに履修が終了すれば、職人や商人が街の行政を通して募集する弟子の枠を狙いやすくなる。
弟子には、その職業に必要な教育と衣食住の安定、それから少量だがお小遣いを渡すことが最低限の契約になる。
現代の舞妓さんの修行形態に似ているな、とシキは思う。
「ということは、彼は修行を始める適齢期ってことだね」
「そうなるわね。私たちは、弟子として取るべきだと思うわ」
フィリーが静かに言う。
理由は?と視線で問いかければ、淀みなく答えが返ってきた。
「ひとつめは、従業員が不足していること。前は二人で回っていたけど、今よりメニュー少なかったでしょう?」
「うん。カレンとフィリーがいてくれるから、増やせたかな」
「私もカレンも、ここに戸籍を持っているし、後見人にハーフェン伯爵がいるし、リヒトシュタートの件もあるからラグに定住確定状態だけど、狩りに出たり、もしかしたらシキとか誰かが風邪とか病気になったりするかもしれないわよね?」
「わたしが倒れる可能性を真っ先に挙げられたのが泣けるけど、そうだね」
「そうなった時、毎回店を休ませるわけにはいかないじゃない。一人でも作れる人間が増えれば、シキがいなくても回せるようになるかもしれないわ」
今の時点のカフェ・ミズホはシキが動けなくなると休業になる。
小さな店はどこもそんな状態のところが多いが、それを続けると客に迷惑がかかるし何より売り上げに響くイコール生活費がヤバい。
「二つ目よ。シキが抱えている異世界のレシピ。ちょっとアレなんだけど、シキが死んだ後ギルドが保存してくれればいいけれど、そうでなかった場合散逸するわよ。確実に」
「だ、誰も読めないと思うんだけど」
「東大陸の文字とそっくり殆ど同じでしょう」
レシピブックは、現在シキしか読めない。
文字がそもそも違うのだ。
シキはこちらの世界の文字も読めるが、それは必要だから必死に勉強したからだし、タチバナに読んでもらうという切り札があるからだ。
だが、東大陸の特定地域の文字は日本語そっくりだ。
ちょっとばかり古典に近いが。
「おうふ……」
「下手をすれば争いの種よ。ちょっとした揉め事くらい、引き起こしかねないわ」
だれだって、新しいメニューが欲しいのだ。
飲食店の悩みの中でも、かなりの割合を占めている。
そこに、異世界のメニューなんてきたら確実に奪い合いだ。
「三つ目。シキの考え次第だけれど、シキは、この店を残したい?それとも、シキ一代で無くしたいのかしら?残したいなら、跡継ぎ問題は必ず出てくるわ」
子供を作るにせよ、作らぬにせよ。
この店をどうするかは考えなくてはならない。
死んだ後、遺言でも残して解体するのか。それとも、子供か弟子に継がせるのか。
いつかは直面する事態だ。
「カレンと、フィリーは、わたしが弟子を取ったほうがいいって思ってるんだね?」
「そうね」
「そうだな。ここから離れる気はないが、どうなるか分からんのが世の中だ」
「……タチバナは?」
いままで無言を貫いたタチバナが、何か悩みながら言葉を紡ぐ。
彼にしては、ひどく歯切れが悪かった。
「…個人的には、反対と、賛成と、入り乱れています」
「うん」
「カレンたちと出会って、共に住むようになった時とは違います。弟子にした場合、シキは、一人の子供を育てる義務を負います」
「そうだね。一人前にしなきゃいけない」
「カレンたちは、出会った時には高ランクで、避難所として此処にきて、今では仲間で店のメイン戦力です。ですが、彼は違う、下手をすれば、今の俺たちのある意味完成された場所に入りこむ異物のようなものです」
それが何をもたらすかが、恐ろしいとタチバナは言う。
だが、この店を続けていったり、いつか誰かに託すのならば良い機会なのだと理解している。
カレンとフィリーが転がり込んできたときは、タチバナは何も言えなかった。
シキが立ち入らせてくれなかったし、タチバナも立ち入らなかった。
それに、リヒトシュタートの被害者だったから、同情もした。
だから、受け入れた。
だが、今はシキに踏み込める。それを許された立場にいる。だからこそ、言葉にする。
「結局、俺はシキが心配で、それでいてとられるのが怖いだけです」
要約すれば、そういうことだ。
だから、タチバナはどちらにも賛成できない。
どちらも、シキのためになるかもしれないからだ。
「だから、申し訳ないですが俺の意見は頭数に入れないでください。シキが、決めたことを、俺はサポートします」
必殺、丸投げ。
だが、シキがどちらを選んだとしても、それで泣いても見捨てたりなんてせずにサポートし続ける事は確定している。
丸投げして何もかもをシキの責任にしようなんて、思わない。
「ん、わかった」
シキも三人の意見を聞いて、ひとつ決めた。
その答えをシオンたちに伝えるべく、カフェの店舗側へと戻る。
と、どうやらミズアサギ親子のほうも決着がついたらしい。
「まず、結論から」
「はい」
シオンも、父親も、背筋を正してシキの言葉を待つ。
「条件付になりますが、弟子にしてもかまいません」
「条件…?」
「はい。まず、わたしの感覚だとシオン君くらいの年齢の子を働かせるのに抵抗があります。だからといってわたしの感覚に合わせていたら成人を迎えてしまうので、まずは朝の仕込から昼前までの仕事をしてもらいます」
「朝から晩まで、ではないのですか?」
「違います。うちはそんなブラックじゃないです」
「ぶら…っく?」
「分からないならそのままで。もうひとつの条件は、わたしが送り迎えはしますので週に二日は実家に帰りなさい、ということ」
「はい!?」
この条件が、一番の驚きだったようで、シオンも父親も目を丸くする。
普通、弟子になった場合は住み込みで実家に帰れることはあまりない。もらった休日に帰るか、一人前になってから帰るか、だ。
「転移魔法あるから、一瞬です。それで金を取ろうとか思わないんで安心してください。ただ、うちは小さい店なので、ご飯はともかく衣料品や家具などはそちらで用意してください。週に二日、帰ってもらうのはそれも理由です」
「なるほど。どちらかといえば、泊りがけの学習院、ですか」
「まぁ、そういうことですね」
学習院とは、恐らく学校のことだろうと憶測をしつつも、シキは頷いた。
シキにとっては、子持ちのお母さんなどがよくやるバイト形態に似ているかも、と考えている。住み込みではあるが。
「…それで、お願いしても良いでしょうか。後ほど、ギルドを通して正式な依頼書を送らせていただきますが」
「えぇ、了解しました。シオン君は、それでもいい?」
「はい、はい!!ありがとうございます、魔女さん!!!」
結果、シキは弟子としてシオンを迎えることになった。
正式な依頼書や契約など後日、ラグのギルド本部で立会人を入れて交わすことになる。
彼らが今夜泊まる宿に引き上げた後、シキとタチバナはカフェの机を直しながら話す。
「タチバナ、サポートよろしく」
「はいはい。こうなると思ってましたよ」
「変化は怖くて、逃げたいのはわたしも一緒だから。けど、いつかは向き合わなきゃいけなかった問題に気がつけたわけだし」
「そうですね。シキは、この場所を残したいのでしょう?」
「うん。わたしという存在がちゃんと此処に生きていたって、残したい。シュノちゃんみたいに落ちてきてしまった人、考えたくもないけど、わたしみたいに攫われて来た人。そういう異世界人の、導にもなれたらいいなって思うよ」
「だから、シオンを弟子にするのは、その予行演習だと?」
「そういうこと。店自体は自分で産んだ子に継がせたいとは、思ってるけど」
「……産んでくれるんですか?」
「当然。タチバナと同じで、わたしも家族は欲しいんだよ?」
「今以上に?」
「今以上に。三人か四人いてもいいね」
「それは、賑やかになりますね」
「好きでしょ?賑やかなの」
いつかの未来に想いを馳せつつ、二人は笑う。
外は、ゆっくりと美しい紫苑色に染まりつつあった。