青い鳥
本格的に春の香りがただよい始めたこの頃。
この日は、タチバナだけ休日をもらっていた。
いつものシャツにカーディガンという出で立ちからは一変して、厚手のオーバーオールに、厚手のシャツ、編み上げタイプの厳ついブーツ、やはり厚手の手袋をして、しまいには大きな竹編みの籠。
どう見ても、農作業をするおじさまの恰好である。
本人の美貌と相まって、ひどくミスマッチだ。
違和感バリバリである。が、タチバナ本人はそんなことを気にすることもなく、ラグの城壁の外に存在する森、通称『ルシニアシアンの森』に向かっていた。
この森は、サイレントボアや針羽根ウコッケイ、角持ち兎などの魔獣の生息地帯でもある。
大雑把に三階層に分類され、入り口付近の初層は冒険者初心者から慣れてきたあたりの人間向き、中層はパーティーならば中堅ランク、ソロならば上級者が挑むのが適正とされている。
角持ち兎は初層、サイレントボアや針羽根ウコッケイが出現するのは中層だ。
初心者から上級者まで挑むことができ、なおかつ実入りがいいのでこの森に入る人間は後を立たない。
が、油断していれば入り口に中堅がパーティで狩るようなレベルのサイレントボアがひょっこり出てきたりするので、毎年なんだかんだで被害が出ている。
そして、たとえ中堅であろうとも進入することを拒む場所がある。
深層だ。
高ランクであっても油断すれば大怪我を負う、文字通り深層だ。
だが、それだけの見返りはある。
迷うことなくその深層に踏み込んだタチバナは、流れる川の近くに青い鳥を見つける。
チンチチュルル、と鳴くその鳥の名前はコルリ。
ルシニアシアンの森の名前の由来となった鳥だ。
「今日は運がいいようですね」
本来なら少しだけ標高の高い山地にいる鳥なのだが、何故かこの森を住処にしている固有種がいるのだ。
警戒心が強いため探し出すことは声はすれども難しく、姿を見ることができた場合は深層に入ってしまった初心者冒険者何故かヤバイ魔獣に襲われることなく依頼を達成できたとか、貴重な薬草を手に入れたとか、そういう話が多くある。
「さて、何から採取しますか」
タチバナとしてはあまり信じていない話ではあるのだが、数多く生息していると分かっているのに何故か見ることがあまりできない存在を見ることができたのはラッキーなんだな、くらいは思う。
コルリの可愛らしい囀りをBGMに籠からスコップを取り出して、最初は目に付いたハシリドコロを引っこ抜く。
このハシリドコロ、山菜と勘違いしてよく中毒症状を起こす人間がいる。
しかし、ちゃんと加工してやれば胃痙攣などの薬になるので、適当な本数を引っこ抜いて紐でくくり、薬草名を書いたタグをつけて籠のなかに入れる。
「あぁ、レンゲが群生してるじゃないですか」
春になると畑や田んぼに咲き乱れるレンゲも、薬草として重宝する。
通常は農家から買い取るのだが、見つけたからには回収、回収、とハシリドコロ同様にスコップを使って引っこ抜き、くくって籠の中へ。
「……さて、まだ咲ききってはいないと思うのですが」
他にも目に付いた薬草類を採取しつつ、タチバナは周囲の木々を見渡した。
年中使えるタイプのものは鋼糸で使用部分を切り落としたり、枯れない程度に根や葉を回収しているが、そうもいかないものもある。
「すこし、来る時期が遅かったですかね、これは」
少し奥に進んだ場所で目当てのものを見つけたタチバナは、思わず眉をしかめた。
目の前で咲き誇る白い花。
コブシだ。
大量に咲く白い花は見ている分には美しいが、薬士としては頭が痛い。
この樹木、薬として使えるのが花が咲く前の蕾なのだ。
「少し残っているのだけ回収しますか」
半分以上咲いてしまっているが、まだ咲いておらず薬として加工できる状態の蕾を選んで回収。
籠の中から瓶を取り出し、詰め込む。
その下に生えていたリュウノヒゲも回収して、籠につっこむと、タチバナは後ろに毒針を投擲した。
ギィ!
「まったく、何かと思えば殺戮大雀蜂ですか。と、いうことはここらへんに巣が出来てしまっているんですね」
殺戮大雀蜂とは、全長一メートル程の雀蜂だ。
凶悪なほど太い毒針や人の首をもぐことができるほどの強靭な顎をもち、牛や鹿、果ては魔獣のゴブリンなどを狩る魔獣の一種。
大型化してしまったが故にそれほどすばやい動きはできず、毒針にさえ気をつけていれば単体では初心者でも狩れる。が、この魔獣が中堅パーティ推奨される理由は別にある。
こいつらは、本格的な狩りをする際に、集団で動くのだ。
これが異常なほどに厄介なのである。
当然、巣を潰さねば家畜や人間に被害が出るので巣を見つけた、もしくは斥候と思われるものと遭遇した場合は、即座にギルドに知らせねばならない。
「はぁ、まだ籠の半分も集まっていないというのに」
わざわざ休日をもらって、少しでも制作費を浮かせるために薬草採取にやってきたと言うのに、なぜこんな魔獣と遭遇せねばならないのか。
深層の入り口で出会ったコルリは幸運の証ではなかったのか。
色々と納得いかない、と思いつつもタチバナは全力疾走で森を駆け抜けた。
昼直前のギルドは、案外空いている。
と、いうのも儲けのいい依頼は朝のうちに取り合いなのだ。
この時間にギルドに来るのは、配達系依頼を受けていた冒険者や、新しく登録しようとする者、ギルドの横に併設されているポーションやタブレットと呼ばれる傷薬や解毒剤、特殊状態異常(コカトリスやバジリスクによる石化など)の治療に使う魔術薬などを販売している店があり、そこに納品に訪れる錬金術師や薬士、その他書類の提出をするためにやってきた者ばかりだ。
「お、タチバナ。納品日でもないのに、珍しいな。あと、なんだその恰好…」
「ルシニアシアンの森に薬草採取に行ってたんですよ」
受付にに声をかければ、カフェ・ミズホのマーク入りタンブラー片手に職員の一人のオヤジが顔をのぞかせた。
タチバナの姿に一瞬唇を引きつらせていたオヤジだが、殺戮大雀蜂が深層に出たと聞くと真面目な顔つきになり、書類を作り始めた。
「蜂は深層で見つけたんだな?」
「えぇ、深層到達場所から、大体100メートルは進んでました。川沿いですね」
「ってぇと、あの辺りにある洞窟かなんかに巣を作りやがったな……」
「まだ外殻も柔らかいでしょうから、狩るならいまのうちですよ」
「とはいえな、深層だからな……初心者は無理だ。中堅連中から高位連中突っ込ませねぇと。あと、火炎系魔術師だな」
「水系でもいけますよ。虫ですから、洞窟内を凍らせてしまえば気温が落ちて最低でも動きは鈍くなります。風系なら、洞窟内の空気を抜いて窒息させればいいんです」
虫、もしくは植物系の魔獣のセオリーを口にしたオヤジに、タチバナが他の属性での対応の仕方の例をあげる。
盲点だった、とオヤジはひとつ頷き、そしてニヤリと笑いながら問いかけた。
「誰の入れ知恵だ?」
「分かっていて聞いていますね?シキですよ。あと、洞窟の出入り口が全て判明しているなら、中に火をつけてから穴を塞いで蒸し焼きにする、というのもありです」
「普通の蜂の駆除の方法まんまじゃないか!」
「えぇ、魔獣とはいえ虫ですし。カレンたちが昔やったそうですよ」
「オイオイオイ……睡蓮のも、風弓のも、何やってんだ」
カレンもフィリーもシキを非常識扱いするが、彼女たちも案外非常識なことをやっている。
リヒトシュタートにいた頃に、殺戮大雀蜂の討伐依頼をうけ、その際にとった方法が、それだったそうだ。
魔術師がいなかったので、カレンが単騎で蜂の巣になった洞窟に突入し、大量のアルコールと火炎瓶で着火。即座に離脱し、蜂が出てくる前に準備しておいた土をフィリーの精霊魔術で洞窟入り口に放り込み、時折加熱のために風を送り込んで蒸し焼きにしたのだそうだ。
大規模な巣ではなかったので出来た方法だが、パーティや組織でやればもっと大規模な巣も簡単に破壊できることだろう。
「あー、作戦の案のひとつとして会議にかけておく。知らせてくれた報酬だ。相手がアレだし、場所も初心者連中じゃ分からないから、十万リラだな」
魔獣の情報提供料としてはかなり高い。
ドラゴンなどのヤバいレベルのものだと平気で百万を超えるが、春になると必ず出てくる殺戮大雀蜂の情報料としてはいい値段だ。
ちなみに、ランクの低いゴブリンなどの巣ならば最低五千、巣の規模によって上下する。
「いつものように口座にいれておいてください」
「あいよ。此処にサインな。じゃ、近々討伐隊の募集をかけるから、ヒマなら手伝ってくれって、睡蓮のや風弓のに伝えといてくれ」
「えぇ、了解しました」
臨時の収入を得て、タチバナは家に戻ることにする。
背中の籠は軽いまま。
少しだけ、憂鬱だ。
だが、今更もう一度森に採取に行くのも面倒だし、家でチマチマと納品用の薬を調合していよう、と心に決めた。
「お帰りタチバナ。そこにある稲荷寿司、食べていいからね」
帰宅し、シキに指差された先には稲荷寿司。
「やっぱり、いいことありました」
我ながら現金だと思うが、つまりあの魔獣と遭遇したのはこれをカレンたちに食べられぬうちに帰宅せよ、ということだったのかもしれない。
ありがとう、コルリ。良いこと、ありました。
森で考えた事とは180度反対のことを思いつつ、タチバナは出来立ての稲荷寿司にかぶりついた。
あぁ、美味しい。