懐かしいレシピ
「シキ、ピーツェが食べたい」
寒い冬も遠ざかりはじめたとある初春の朝食時間に、カレンがやたらと真面目な表情で言った。
今日の朝食は何にしようかな、と氷室の中身を漁っていたシキは、その言葉に一瞬首を傾げた。
「ピーツェ?」
「あぁ、こう、ナンみたいな生地の上にトマトソースとか肉とかチーズや野菜を乗せて焼いたやつなんだが。異世界から伝わった料理だと聞いた覚えがあるんだ。ただ、あまり正確に覚えていないんだ」
シキは、カレンの言う料理を脳内検索し始める。
ナンみたいな生地の上に、トマトソースに肉に野菜を乗せて焼く料理。
そこでシキはひとつ思い出した。
最初は材料からラザニアかと思ったが、生地がナンみたい、つまりパンであると考えれば自ずと答えは出てきた。
「『ピザ』ね?」
「シキのほうではそう呼ぶのか?」
「正しく発音すればピッツァ。多分、長い年月で発音がなまったんだと思う」
「あぁ、なるほど。で、作れるのか?」
その言葉に、シキは悩んだ。
作れないわけではないが、生地の仕込みに時間がかかるのだ。
生地の材料はシンプルで、強力粉、薄力粉、お湯、オリーブオイル、ドライイースト、塩だ。
これらを練り合わせて生地を作るのだが、材料を見るとおりドライイーストなどをいれて醗酵させなくてはならない。
醗酵作業に大体2時間ほどかかる。朝食には間に合わないのだ。
そのままカレンに伝えれば、彼女は肩を落とした。
「そうか……駄目なのか…」
それがあまりにもしょんぼりして見えたので、シキはひとつため息を吐いて問いかけた。
「簡易版なら作れるけど?」
瞬間、カレンの表情が見事に晴れ渡った。現金なものである。
だがしかし、食い意地の張ったカレンがこうも真剣に料理をねだるのは珍しい。いつもあれを食べたい、これを食べたいと言うにしても、時間だったり材料に無理があれば代替案をだしてくる。
「珍しいね、カレンがこうも粘るって」
「うん…、あぁ、うー…。笑わないか?」
「うん。笑わない」
「今朝見た夢で、な。母様が出てきたんだ」
カレンの母。
元は冒険者で、差別があると理解しながらリヒトシュタートの貴族の青年と恋に落ち、そして結ばれた人。
結ばれ、カレンを生み、育てた人。
「変わらず豪快に笑ってるみたいだった」
「………そっか」
「それで思い出したんだ。母様と一緒に作った料理があったな、と」
もう二度と合えない人に、夢の中であれ再会して。そして懐かしくなったのだろう。そしてその懐かしさに誘われるように、思い出した味があるのだろう。
笑えるような話ではないし、シキだってせめて故郷の味を忘れたくないから、和菓子を作ったりしているのだ。
遠くに流れていってしまう記憶というものを、少しでも手のひらに残しておきたいと願うのは誰だって同じだ。
「オッケー、それじゃぁ、簡易版だけど作ろうか」
「あぁ、力仕事なら任せてくれ!」
最初に準備するものは、小麦粉、お湯、オリーブオイル、ベーキングパウダー、塩だ。
小麦粉とベーキングパウダーを振るったものににお湯を少しづつ入れながら練り、そこにオリーブオイル、少しの塩を入れてさらに練る。
指示を出されるままカレンは腕をまくってえいやこら、と生地を練る。
練っている間にも少しだけ醗酵しているのか、膨らむ感覚がする。
が、練りあがると容赦なく押しつぶして麺棒で平たく伸ばす。
「で、これを乗せます」
「ほうほう。好きなだけ?」
「そう、好きなだけ」
ドン、とシキが取り出したのはドライトマトのオイル漬け。
夏の終わりに購入したトマトを天日干しにし、さらにそれを白ワインで戻したものをオリーブオイルと香辛料で風味付けをしたものだ。
そして他にはチーズやバジル、ベーコン、タマネギなどだ。
「まずはドライトマトのオイル漬けのオイルをこう、塗ります」
「あぁ、いい香りだ。このままでも…」
「生地が生だからダメ」
生地にオイルを塗ったら、タマネギやドライトマト、ベーコン、バジルを好きなだけ乗せる。
「ニンニク乗せたらダメか?」
「お仕事に支障が出るので却下です」
「うぅ…」
具材を乗せたら、軽く塩コショウを振り、そしてチーズを散らす。
そして、窯の中へと突っ込む。
「そういえば、クッキーやマフィンを焼いていなかったか?」
「あぁ、大丈夫。クッキーはまだストックがあるし、マフィンとかはご飯してる最中に窯の中に入れておけば間に合うから」
窯の中にピザを入れたシキは、店の準備をするために今度は竈にもち米や米を炊くべく、大きな炊飯釜を用意する。
カレンも、開店までに準備しなくてはならないものは沢山あるのでその準備に取り掛かった。
本日の朝食はドライトマトのピザと、ジャガイモのポタージュ。
焼きたてのピザを前に、四人全員食欲全開だった。
「あつ、あつ、ああでもうまぁぁ」
「ちょっとカレン、二つもっていくのは反則よ、私にも寄越しなさい!」
「あぁ、これはカキのオイル漬けを乗せたりしても美味しそうですね」
「テリヤキチキンも合うよ。っていうか基本的に何でも乗せていいものだしね」
うにゅぅぅぅ、とチーズがのびる。
それを噛み千切って、オイルがたっぷり染み込んだトマトと一緒に噛み締める。
すると、じわ、とうまみが口いっぱいに広がる。鼻に抜けるバジルの香りが油っぽさを中和して、くどさを無くしている。
あとからぴりっとくるのは、オイルに一緒に漬け込んでいた鷹の爪か。
「トマトソースがあればもっとちゃんとしたのが作れるんだけどね」
「いや、十分だ。ありがとう、シキ」
「いえいえ。今度はちゃんと、マルゲリータ作ってあげる」
「マルゲリータ?」
「そ。カレンのお母さんが作ったピザの名前」
「マルゲリータ……。よし、覚えた。また今度、頼む」
「了解だよ」
カレンが、カレンの母と作ったピザとはまた違うものだったけれど、同じものをまた作ってくれると言うし、それになによりドライトマトのピザも美味しかった。
寝起きの時に感じた寂しさと懐かしさは、どこかに吹き飛んでいた。