そういえば。
ごぉぉぉぉぉ。
という音が、窓越しから聞こえる昼前のカフェ・ミズホ。
海からそれなりに離れているというのに、風がうねる独特の音が聞こえており、まして外は見事に吹雪いていた。
港周辺区域は高波のため非難区域となり、立ち入りを禁止されている。
当然、こんな吹雪では客など期待できるはずもなく、カフェ内は運悪く宿を取り損ねた冒険者三人と、この猛吹雪の中伝令に走り回ったデューフェリオ、イブキのコンビ、それから納品にやってきたものの帰れなくなったゾルダンが席を温めていた。
「蓄えは梅雨前の魔王討伐とか、この前の大使やったのでかなりあるからいいけど、なんだかなぁ……」
カウンター越しに閑古鳥が鳴く寸前の店の状況を見て、シキがぼやいた。
カフェ・ミズホの儲けはシキとタチバナ、現在は下宿という形に収まっているカレンとフィリーの生活の一部を支えつつ余力がある。
通常業務でも、決して格安ではないものの利用者が多いこと。時折入る魔王討伐やらの依頼や、知り合いの貴族からの菓子の大口注文、食材の取引先の商人がかなり安く素材を卸してくれていること、等が理由だ。
加えて、ラグという国の名誉貴族であり異世界人であるという理由で一定金額の援助があるのも強い。
溜め込んで殆ど使っていないが。
「明日の仕込みでもしますか?」
先日仕入れた薬の材料を詰め込んだ箱を抱えて移動しながら、タチバナが言う。
が、明日の仕込みといっても出来るものは限られている。
冷凍保存できるもの以外は衛生面を考えて当日に用意したいのだ。
それに。
「クッキーとかマフィンとかドーナツとかの生地はもう仕込んじゃったよ。氷室の中にみっちみち。後は焼いたり揚げたりすれば出来上がり」
「羊羹や大福は?」
「まだストックがいっぱい」
最近の天候不良で、客足が伸び悩んでいるあおりだ。
現在の軽食メニューは、紅茶とおからの揚げドーナツ、チーズ入りワッフル、黒豆大福、あんまん、にくまん、ホットドッグ、おにぎり(具は日替わり)だ。
他に、紙袋詰めにして渡す菓子として、チョコチップクッキーやジンジャークッキー、紅茶とハチミツのスコーン、羊羹、あられ(しょうゆ風味)、カステラなどが並ぶ。
他にも細々とあるが、メインはこのあたりだ。
飲み物は、冬の定番のショウガ強めのチャイ、蜂蜜バター茶、ハーブティ数種、お茶を数種、ココア、コーヒーなどだ。
ハーブティの調合は完全にタチバナ任せだし、ココアやコーヒーは輸入頼り。
チャイはその場で作るので、ストックの管理だけで十分だ。
「あの、魔女殿。相談があるのでござるが……」
「ん?何?」
獲物が損壊しているデューフェリオは、新しく獲物を用意すべく、鍛冶師であるゾルダンの元へ突撃している。
最近、時間がある時のみギルドの槍の教官をしているカレン曰く、槍も性格も猪突猛進という評価を受けている彼らしい行動だ。
突撃した結果、武器の扱いに関して説教を受けているのはご愛嬌か。
そんな相方をほったらかして、イブキは緑茶のお代わりを注文しつつシキに声をかけてくる。
「どら焼きは、作らぬでござるか?」
「…あ、あぁ!そういえば、結構簡単に作れるんだった!!」
「ドラヤキ……?」
今の今まで失念していた、とシキが声をあげた。
タチバナが花梨を引っ張り出しながら首を傾げる。珍しく、彼も聞いたことがないものなのだ。
「簡単に説明すれば、パンケーキで餡子挟んだおやつ。そのパンケーキ部分の材料が普通のパンケーキとちょっとだけ違うんだけどね」
「おお、魔女殿の故郷にもやはりあったでござるか!」
「ということは、東大陸にもドラヤキ?があるのですか?」
取り出した花梨を手早く処理しつつも、タチバナはイブキに問いかけた。デューフェリオはともかく、このイブキという青年は基本的に礼儀正しい。
ギルドの配達員として、健脚を生かして精を出しているようだ。
教官役のカレン曰く、質実剛健。地味だが、基礎から固めるタイプとのこと。
デューフェリオの暴走を止めようとしていたあたり、如実に現われている。
そんな彼が、どら焼きができるというシキの言葉に目を輝かせる。
「拙者の故郷、アカレアキツの創始者が異世界人なのでござるよ。なんでも、ヒノモトという国から戦時中に引きずりこまれたと習ったでござる。その創始者が好んでいた菓子でござる。祝い事のたびにあれが楽しみで楽しみで」
「アカレ、アキツ……別れ秋津、かな。それに日ノ本って、完璧に日本人だね。それにしたって、どら焼き好きって、どっかの青い猫型ロボットじゃあるまいに……」
国民的人気キャラクターの青い猫型ロボットの好物を思い出しつつ、まさかどら焼きが祝い事で食べられているとは。
「ひまですし、試しに作ってみてはどうですか?で、ろぼっとってなんですか?」
「そうだね、暇だし作ってみようか。で、ロボットはこっちでいうゴーレムね。魔術で動かしているわけじゃないけど」
「だから、シキの故郷の技術力は一体どうなってるんですか……」
またもやシキの故郷の技術力のおかしさに少しだけ頭痛を覚えつつも、タチバナは薄切りにした花梨を種ごと蜂蜜と一緒にビンの中に放り込んで閉める。
「あ、花梨の蜂蜜漬け?」
「えぇ。今冬の分は足りていますが、その後はちょっと足りなくなりそうなので」
「よく効く咳止めだもんねぇ……」
「おぉ、これまた懐かしいものがあるでござるなぁ」
花梨の薬効はよく知るところで、タチバナがギルドに卸している薬の中でも人気のもののひとつだ。
怪我などは回復魔法など癒しの術があるので案外どうにかなるのだが、病気に関してはあまり効果がなく、漢方や薬に頼るしかない。
昔に召喚された異世界人の知識などのおかげで、衛生がどれだけ大切かは説かれているので、劣悪な環境の治療院(病院)がないし、ものによっては治療法が確立しているのが救いだ。
そして冬場は風邪や嘔吐下痢症などが現代と変わらず流行るので、甘くて飲みやすく、けれどしっかりと効く花梨の蜂蜜漬けは大量注文が入る。
また、カフェのメニューのひとつとしても人気だ。
「これで俺の作業は終わりましたから、キッチン空きましたよ」
「よし、じゃぁ、どら焼き作ろうか!!」
タチバナが大量の花梨の処理を終えたと言うので、タチバナはイブキリクエストのどら焼きを作るべくキッチンに引っ込む。
まずは小麦粉、卵、牛乳、砂糖、みりん、重曹を用意する。
卵を割りほぐし、卵と牛乳としっかり混ぜる。
ちゃんと混ざったら、今度は小麦粉をふるい入れてケーキやマフィンの生地を混ぜる時と同様にサックリと混ぜ、そしてみりんを少し加える。
竈にフライパンを準備し、油を少し。
温まったら、あとはホットケーキやパンケーキと同じ要領で小さめに焼く。
「……泡がたったら、よし、ほいっと」
フライ返しで生地をひっくり返し、両面が狐色になり、かつ火が通れば皮は完成だ。
甘い香りが漂って、ゾルダンやデューフェリオ、休憩中だったはずのカレンやフィリー、そして冒険者三人組までもがカウンターの傍にやってくる。
「シキ、私たちの分もあるだろうか!!」
リビングの扉を少しだけ開けて、ほっぺたにご飯粒をつけたままカレンが顔を覗かせる。
カウンターでも、一個ほしい、注文できないか、という声にタチバナが困っている。
「…えぇい、ひとつ200リラで一人一個!!」
「了解しました。お一人様一個限り、200リラになります。くわえて、作りたてをお渡しするので時間がかかりますがよろしいですか?」
どうせ外は猛吹雪で暇だ暇だとぼやいていたのだから、やってしまえ、とシキが声を張り上げた。
並ぶ客たちにタチバナが説明すれば、歓声が上がる。
「やったわ、新作一番乗り!」
「ボク、はじめて来たのにいいのかな……」
「いいのよ、宿が取れなくてこんなことになったけど、逆にラッキーだったわ。ここの新作とか季節限定のお菓子はホント、争奪戦なんだから」
「ランク昇進祝いだと思っとけって。な。」
「おお、おまえさんの相棒、よくやってくれたの」
「じぃさん、髭に豆の粒ついてるぜ?にしても、アイツの言うドラヤキ?旨いのか?いや、この店のメシって、変わってるけどうめぇからあんま心配はしてねぇけどよ」
「マスターの作る菓子もメシも美味い。それで十分じゃわい。ところで、ボウズの槍の扱いはだの」
「げ、ヤブヘビ……」
歓声を背後に、シキは次々と皮を焼き上げ、ひとつ焼いている間におはぎなどに使うために準備してある餡子の入ったバットからひとすくいスプーンで掬いあげ、焼きあがった皮に挟む。
皿の代わりに、スコーンやサンドイッチを渡す際に使っている油紙に包んで出す。
情緒がないが、仕方がない。
「おぉ、どら焼きでござる!」
一番最初に受け取ったのはイブキだ。
言いだしっぺでもあるので。
対価を支払い、邪魔にならぬように店の端に拠った彼は、大きな口で出来立てのそれにかぶりついた。
ほんのり香るみりんの香り。
ふかふかの皮に、甘さ控えめの餡子が映える。
故郷で食べていた味とはまた違うが、紛れもなくどら焼きである。
「うまいでござるぅぅぅ」
イブキの故郷では、創始者が好んだとあって祝い事の席になると出される高級菓子扱いだった。
普段は草団子などがおやつで、時折出るどら焼きはとっておきだった。
「あ、うまい」
「デューも結局買ったのでござるか」
「そりゃぁ、な。こんな吹雪じゃギルドにも帰れねぇし。食うしかできねぇじゃんか」
「ボウズ、逃がしはせんぞ」
「うお…っ!?」
もしゃもしゃとどらやきを食べながら、二人にゾルダンが絡んでくる。
イブキとしてはなかなかに勉強になるので助かるのだが、勉強嫌いのデューフェリオには鬼門らしい。
自分で突撃しておいて、講義が始まったから逃げるなど無理がある。
良い武器のため、諦めて聞いておけと肩を叩いた。
「…あれ、結構好評?」
「えぇ、みたいですね」
「シキ、おかわ「自分たちで焼きなさい」……はい」
おかわりを要求してきたカレンとフィリーを秒殺し、シキは最後に焼いたどら焼きを頬張った。
横でタチバナももぐもぐと幸せそうに食べている。
「ワッフルにアンコもいいですが、これのほうがくどくなくていいですね」
「あー、そうかも。ホットケーキとかワッフルに乗せると、かなり甘いからね」
「あれも人気でしたが、男性にならこちらのほうが受けますよ、きっと」
「…常備メニューにしてみる?」
「いいんじゃないですか?アンコはおはぎと共通で」
「じゃ、次のメニュー改定の時に増やそうか」
カフェ・ミズホに、新しくメニューが増えた瞬間だった。