一番怖いこと
言葉を紡ぎ。
言葉を刻む。
反発しようと荒れ狂う琥珀色の魔力を力づくで抑え込み、刻印を刻み付ける。
「やさしきけもの いえきかな なのらさね なんぢがまなは おしなべて われらこそをれ しきなべて われらをこそませ いざやなのれ、なんぢはこはくのまのおう 『ヴィンフリート・リデイル・フォン・ベルンシュタイン』」
安全対策として騎士団の訓練場の中央で、宮廷魔女による拘束結界を併用しつつの、魔王への隷属魔法の行使だ。
本人の意思は受け入れると言う方向に向いていても、魔王としての魔力がそれを許さない。
本人も歯を食いしばって魔力を押さえつけているが、なかなかの荒れ具合だ。
が、契約者であるシュノの勅令と、拘束結界、そしてシキによる呪縛魔法から逃げられるわけも無く、魔王の魂に隷属魔法が刻み付けられる。
バヂッ
「……っ」
シキだけではなく、ギルドなどの組織を魔法の範疇に入れるためには少々小細工をしなければならない。
その小細工と言うのが、ヴィンフレートの左頬に描かれた魔術刻印だ。
シキの血と、様々な魔術薬を混ぜ合わせて作ったギルドの特注インクで描いたそれは、シキの魔法詠唱が完了し、術が発動すると同時に彼に焼きついた。
デザインも当然考えられており、見目を損ねるものではないが、見るものが見ればそれがなんなのか、理解できるだろう。
「『琥珀の魔王』か」
「うん、あなたの髪の色と魔力の色からつけさせてもらったよ。これで隷属魔法がかかったから、後はあなた次第」
「……私に何かあった場合、頼む」
「シュノちゃんとも約束してるから、安心して」
「感謝する」
無事に隷属魔法をかけ終えた事を周囲が理解したのだろう、ヴンフレートにかけられていた拘束結界や周囲の魔力を遮断する結界が解除される。
その要の位置には、力尽きたように崩れ落ちる宮廷魔術師や宮廷魔女を含む十数人の高位魔術師たち。
「あ、あれで汗ひとつかいてないとか、魔力切らしてないとか、おかしいわよ……」
平然とした足取りでヴィンフレートと共にタチバナやシュノの元へ戻るシキを指して、まだ歳若いが実力だけはある高位魔術師が、荒れた息を整えながらそう呟いた。
彼女の師にあたる筆頭宮廷魔女アラディアでさえも、夫である騎士団長の肩を借りてようやく立っている有様なのに、あの異世界の魔女は魔王の拘束に加えて隷属魔法の焼付けまで行なってみせた。
荒れ狂う魔力の余波を抑え、魔王としての本能で暴れてしまうだろう彼を押さえつける役割を担っていた魔術師たちは、誰もが唖然とシキを見つめる。
「異名は『琥珀の魔王』で……登録……ギルドがやって……」
「お疲れ……体…ぶですか…これで………ラグ」
シキの夫君であるという『魔女の騎士』も、それが当然とばかりの態度で接しているようだ。
会話の内容はよく聞き取れなかったが、仕事の完了と帰路についての会話のようだ。
何とか呼吸を整えて立ち直った宮廷魔女アラディアは、ふらつく体でそれでもシキに声をかけた。
「お疲れ様です、四季の魔女」
「あ、かーさん……じゃなくて、アラディア様」
「ほへ?シュノちゃんのお母さん??」
思わず仕事中だと言うのに母と呼んでしまったシュノは、慌てて言い直してから後ろに引っ込んだ。
シキは、まだ少しだけふらつく彼女にイスをすすめつつ首をかしげた。
「どうかしましたか?」
「ひとつだけ、聞きたいことがありまして。よろしいかしら?」
「ええ、かまいませんが」
高位の術の使用と、魔力の大量放出によるふらつきはやはり大変だったのでアラディアは薦められるままイスにゆっくりと座り、そして問いかけた。
「魔力の残量は、いくらほどでしょうか?」
「んー、回復早いからなんともいえないけど、魔法発動直後なら、七割は持ってかれてましたよ」
「……今は?」
「残り四割まで回復しましたね」
絶句。
シキがヴィンフレートの直接拘束と隷属魔法の二つを担当していた。
魔王を拘束し、魔王を隷属者にするのだ。並大抵の魔力ではどうにもならないはずだった。
が、それによる消耗は七割。
しかもすでに三割は回復し、残り四割。この短時間に、だ。
なるほど、この回復速度ならば単騎で国ひとつあっさりと滅ぼせる力だ。
どうやら表情に出ていたらしく、シキは苦笑しながら種明かしをする。
「魔力の回復に、大気中に漂う魔術の残滓含むマナを吸収していますから」
「…属性、は」
「わたしには関係有りませんね。全ての属性に対して適性がありますから。わたしの魔法は『四季の司』というんです」
全ての四季を司るシキの魔法は、季節ごとに属性を変えるが吸収するだけなら、どんな属性でもかまわないのだ。
たとえそれが魔王の魔力であっても。
だからこその、この回復力だ。
普通の魔術師ならば、自身の属性の魔力以外は一切吸収できず、故に回復が遅くなる。
シキは全ての属性の全ての魔力を回復のために吸収できる。
ただでさえ馬鹿みたいに大きい魔力タンクに、川が直結しているようなものだ。
精密な操作をすれば許容量オーバーでリヒトシュタート脱出時のようにふらつくし、刺客襲来の時のようにいくつもの場所に注意を払わねばならない場合も困ったことになるが、今回のように二つくらいならまだなんとかなる。
もちろん、シキが手加減せずに叩きつけるような制御なんて殆どない力技にしても大丈夫だとわかっている魔王相手だったからこそだが。
「………恐ろしくは、ないのですか。その力」
魔王さえ超えるだろうその力に、アラディアは背筋を凍らせる。
勝てない。勝てるわけがない。
夫や他にも多くの仲間の犠牲を覚悟して挑まねば、この魔女には決して勝てない。
「慣れました。それに、わたしは人を殺す覚悟なんてないんですよ」
呆気らかんと言ってのけたシキに、アラディアは思わず自分の養女に視線を向けた。
「シキさんは大丈夫だよ、かーさん。何が一番怖いのかを知ってるから」
「……そう、なのね?」
「うん。それに、シキさんは喫茶店のマスターが一番似合ってるし」
「そう……あなたがそう言うのなら、そうなのね」
静かに隻眼を閉じ、開いたときにはアラディアはシキに対する警戒を最低限にまで下げた。
アラディアは正直恐ろしかったのだ。
国の全力でかからねばならぬほどの強さを誇る魔王。
それを押さえ込めると言う、異世界人の魔女。
どちらも、国や家族を護るために警戒せねばならぬ相手だ。
だが、シキの言葉と、シュノの言葉で分かった。
確かに、シキは力を持つ上で一番恐ろしい事を知っている。
「ごめんなさいね。あれだけの魔法で、まだ平然と立ってらしたものだから」
「ま、そうだと思いますよ。とりあえず、わたしは押し付けられた仕事をしただけですし、たまに遊びに来るくらいなので。お土産にちょっとしたお菓子を持ち込むことはありますけど」
「あら、異世界のお菓子ね?うふふ、この前いただいたカヌレは、とっても美味しかったです」
「お褒めに預かり光栄です。レシピを置いていきますから、作ってみてください」
にこにこと笑いながら言葉を交わしあい、アラディアは席を立った。
まだ、後始末が残っている。
明日には帰るというシキに、帰りまでにお土産を届けると約束し、未だグッタリとしている配下や弟子たちを叱咤すべく歩き出す。
その背を見送ったシキは、困ったように笑う。
「強い人だね」
「えぇ」
頷きあったタチバナも、彼女を眩しそうな目で見送っていた。
アラディアが警戒し、シュノが大丈夫だと言った、一番怖いこと。
それは、力に呑まれることだ。
そして呑まれたまま、暴走することだ。
それは、自我をなくすこと。自分を無くし、本能だけのものに成り下がることだ。
シキは、その恐ろしさをよく知っている。
「いつか、ああなりたいな」
「なれるでしょう、シキなら」
「うん。なってみせるよ」
遠ざかる友人の母の強い背中を見て、シキは呟いた。
権力という力に溺れたリヒトシュタート上層部。
暴力という力に溺れた魔獣から生まれた魔王。
シキは、この世界では固定砲台だとはいえ最強の一角です。
ですが、現代人としての倫理観と、そして力に溺れた者たちの醜さを間近で見たことによって、ああはなりたくないと心底思っています。
特に、リヒトシュタート上層部が酷かったので。
もしも、今のシキが力に溺れるとしたら、タチバナを亡くした時でしょう。
本人に自覚はないでしょうが。