お菓子と隣人
12月25日。
シキの故郷である地球であれば、クリスマスである。
が、現在シキが生活しているこの世界『ヒンター・ディ・ヴェルト』においてそんなものは存在しない。
いや、存在しないわけではないのだが浸透してはいない、が正しいだろうか。
異世界召喚もしくは落下によってこちらに存在している人間は過去を含めればそれなりにいたのだが、この世界にも宗教と言うものはしっかりと存在しているうえ異世界の神を信仰する物好きも少なかったため、異世界ではこんな感じの祭りがあるらしい、程度の認識でしかない。
ましてや、宗教国家ともなれば。
「異教の行事を口にしたが最後、首を切られるな」
「それならまだマシです。嬲り殺しか八つ裂きじゃないですか?」
「……だーよねー」
仕事も無事に終わったキッチンで、西大陸中一番の問題児として名高い宗教国家リヒトシュタート出身のタチバナとカレンがキッチンのシンクに大量に用意された型にバターを塗りつつバッサリと答えた。
げそっ、という表情で、昨夜のうちに作っておいた生地を取り出しつつシキは肩を落とした。
分かりきっていた答えなのだが、こうもあっさりばっさり答えられると、あの国は本当に大丈夫なのか、もういっそ滅ぼしておいたほうが世のため人のためなんじゃないか、という考えまで浮かんでくる。
後始末が面倒なので、ちょっかいをかけてこない限りはやらないが。
「で、それとコレがなんの関係があるんですか?」
「あー、うん。タチバナも知らないか。説明してないし」
「毎年この日付になると、何やら不思議な形のケーキと一緒に作ってるのは知ってますけどね」
タチバナの視線の先には、前日に作ったケーキが一つ。
いわゆるブッシュ・ド・ノエルだ。
出来立てを食べてもよかったのだが、生地に赤ワインを練りこんだりしてちょっとだけビターに仕上げているので、馴染むまでは食べないようにしていたのだ。
生クリームは一晩置くとカピカピになってしまうので、先程塗ったばかりである。
「それにしたって、この数の型にバターを塗るのは大変よ。マドレーヌみたいな型なら楽なのに」
タチバナたちと同じように型にバターを塗りこんでいたフィリーが、寒さのせいでやたらと固くなってしまったバターを湯銭でほんの少しだけ温めて柔らかしようと作業を切り替えた。
今現在、タチバナたちがバターを塗りこんでいる金属製の型。
それは、カヌレの型だった。
「ほら、シュッツヴァルトへの出立が3日後に決まったでしょ?手土産を作ろうと思ったのと、ちょうどこのシーズンに作ってるものがあってたっていうか。向こうの習慣っていうか宗教がらみっていうか。ま、お祭りだよ。あっちにおいてあるブッシュドノエルはなまものだから持っていけないけど、こっちのカヌレなら持っていけるし」
「で、今年は大増量、というわけですか」
「そ。使ってる素材も長持ちするものだから、丁度いいかなって」
シュトーレンでも良かったが、レシピが正直うろ覚えなのだ。
保存期間がどれくらいだったかも正直覚えていない。今度試作品を一つ作って試してみる心積もりだ。
「で、このカヌレって、わたしの世界の宗教の中でも世界規模で広がってるやつの修道女さんたちが作ったんだって。どこだっけかな、どっかワインの産地だった気がするんだけど……」
「修道女がお菓子?贅沢ねぇ…」
一応、リヒト教もその他の宗教も、清貧を尊ぶ傾向にあるらしいこの世界の宗教感では、確かに贅沢に感じるかもしれない。
が、カヌレを作った修道女たちも贅沢をしたくて作ったわけではなく。
「うーん、最初は贅沢したいっていう感じじゃなかったみたい。昔はワイン造るときの過程で卵白大量に使ってたみたいで、卵黄が余っちゃったんだって。で、捨てるのはもったいないからどうにかしようって考えた結果が」
「今作ろうとしている焼き菓子になるわけですか」
「そういうこと。ま、今じゃ嗜好品です。おいしいよー。焼きたてはさくふわ。時間がたってもしっとり。どっちもいいね」
シキのその言葉に、三人が思わず唾を飲み込んだ。
シキがおいしいというものは基本的に外れない。
外れたのは納豆くらいのものだ。何故シキや東大陸の人間はあのねばっこい豆をあんなにも美味しそうに食べるのだろうか。今でも三人の中で共通の謎である。
そうこうしているうちに全ての型にバターを塗り終わる。が、今度は蜂蜜を塗ってくれ、と瓶を中央に出された。そろそろ指が吊りそうである。
その横で、シキはバターとハチミツを塗り終わったカヌレの型の中に、昨夜のうちに作った生地を流し込む。
実はカヌレというこの菓子。かなり手間がかかる。
ぶっちゃけ生地を作るだけで三日ほどかかっているのだ。
最初は牛乳に香りをつけるためにバニラと一緒に煮た後一晩放置。
翌日には、全ての材料と混ぜ合わせてやはり生地を一晩放置。
そして本日。
やっとのことで焼成に入れるのだ。
だが、この手間があってこそカヌレの美味しさは発揮される。
店に出すにはやはり手が込みすぎて出せないが、土産、しかも騎士団長一家に渡すのならばやはりコレくらいはしなければならないだろう。
「ん、よし。全部はいったね。後は焼くだけ!あ、ついでだから夕飯は修道女つながりでワッフルにしちゃおっか」
「え、ワッフルもそうだったのか?」
「うん。とはいえ生地はわたしのオリジナルだから、彼女たちが作ったものとはまた違っちゃうんだけどね」
シキの作るワッフルは、ワッフル型でホットケーキを焼いているようなものだ。
いわゆるアメリカンワッフルタイプだ。
ベルギーワッフル(二種類あるらしい)タイプも作ってみたいが、あれはイーストを使うので手が出ない。
シキが思うに、あれはパン屋の領分だ。
「カヌレの半分はシュノちゃん家、半分はわたしたちで食べちゃおう。ワッフルは甘くないタイプにするから、そうだね、テリヤキチキンだそうか。あと、香草焼き。サラダに、寒くてやんなるから昨日のシチューに野菜を足して温めよう」
「いつもより豪華ですね?」
「ま、お祭りですから。ちゃんとその宗教信仰してる人はもっとちゃんとするみたいだけど、わたしは信仰してた訳じゃないし、故郷の国でも冬のお祭りみたいな認識でしかなかったから」
「本当にシキの故郷の国は、宗教に関して寛容と言うか、あけっぴろげと言うか、無頓着と言うか」
「本当よね。ヤオヨロズ、すべてのものに神は宿る、だったかしら?」
カヌレ作りの片付けをしつつ、夕食の手伝いを始める三人。
シキが無造作にも見える手つきで材料を混ぜ、竈に準備したワッフル用の型でそれを焼いていく姿を横目にそれぞれ苦笑を零す。
リヒトシュタートも災難である。
こんなふうな宗教観を持つ人間に、この宗教を狂信しろと言ったところで本人の性格もあるだろうがそうホイホイ駒になるような狂信のしかたをしてくれるわけがないだろう。
「そう。だから全ての恵みに感謝を。どこにいたって、何をしてたって、神様はそこにいるから。ど派手な奇跡をポコスカ起こしてくれるわけじゃないけど、迷う背中を押してくれる、優しく厳しい隣人、かな」
だが、シキが言うそんな神様なら。
「信じてみたいわね」
「あぁ、いいな。リヒト教の神よりよっぽど信じられる」
宗教で良い思いをしたことがないのだろう、カレンとフィリーが互いに頷きあう。
だが、その二人に呆れたようにタチバナがツッコミを入れた。
「っていうか、俺たち、シキの故郷の神様のお使いに会ってるんですけどね」
「そうそう。スイちゃんがそうだから」
「「あ」」