良かったって言えること。
昼を回ったあたりの時刻。
寒くなったせいか、少しだけ客足が遠のいているものの体の芯から温まるものを求めてやってきた冒険者たちを相手に忙しく過ごしていたシキたちは、にわかに騒がしくなった表通りに首をかしげた。
春のアルラウネ魔王覚醒騒動とは違って、誰も状況がわかっていないらしく、喧嘩か?とかいっている人間もいれば、我関せずとばかりにココアラテの生クリームに眼を輝かせている人間もいる。
シキたちも、接客中のために動けずにいるものの気にはなっていて、情報を掴むことが異様に早い人間が噂をしていないかと耳を澄ませていた。
「船が事故を起こしたらしいぞ!」
案の定、情報通というかそういうことを誰かに伝えることを使命と感じる誰かが、港で何があったのかを仲間に大声で伝えていた。
注文品を受け取った何人かの冒険者や、ギルドの職員の一部が大慌てで店から飛び出していく。
シキたちとてこの都市の住民なのでそういった事故に関係ないとは言い切れないのだが、野次馬は事故処理の邪魔になるとも分かっているので、後ほどギルドに聞きにいこうと考えて少しだけ鈍ってしまった仕事スピードを元の速さに戻す。
船の事故がどんなものであったのか、正しい情報を知ったのは、その日の夜になってからだった。
「輸送船同士の衝突、ね。死者が出なかったのは不幸中の幸いってやつかな?」
ショリショリという音を立てながら、シキの手でリンゴの皮が剥かれていく。その速さは手伝っているカレンやフィリーの速さの二倍近い。
その横ではタチバナが同じようにジャガイモを剥いていた。
そして彼女たちの傍には、大量のリンゴとジャガイモの山が鎮座していた。
「不幸中の幸いはいいんですけど、これは、ちょっと…」
ジャガイモの皮を剥くことは止めずに、タチバナの視線がその山に向かう。
奥行き620mm、幅300mm、高さ310mmの木箱が林檎は5つジャガイモは3つづつ、しかも溢れんばかりにものが詰め込まれている。
シキたちが飲食店を経営していると言っても、明らかに使用する量を超えている。
何故こんなにリンゴとジャガイモが山盛りにされているのか。
それは今日の昼にあった船の事故が原因である。
入港した二隻の輸送船。
片方はリンゴなどの果物を、片方はジャガイモなどの根菜類を運ぶ船だった。
二隻は順番に規定通りに入港したのだが、運悪くと言うかなんというか。港内に係留していた小さな漁船が流され、それを避けようとして操舵に失敗。
衝突したのだ。
事故の原因となってしまった漁船が流された理由は、子供の悪戯。
しかも貴族の子供だった。
貴族のやんちゃ坊主が馬鹿やらかした、というのが原因だが事故の規模はそれなりに大きく、説教だけで終わるはずもない。
その貴族家には損害賠償を国から命じられ、そして子供には家からとある罰が与えられた。
『二つの船の荷物全ての金額の借金を背負う』というものだ。
貴族の家が賠償の一部として買い取った果物や根菜類。それらを、ギルド経由で格安で売りさばいたのだ。
そして原価から売り上げを引いた分を借金として背負い、こつこつと返済していくことになったらしい。
貴族の家が支払った賠償金に比べればその3分の1すら満たすことのない金額だが、かなりの金額だ。
その子供は、必死で勉強し金を稼ぐ方法を学んでいくことになるだろう。
「で、こんなに買ってきてどうするつもりなの。ジャガイモはともかくとしてもリンゴはそんなに長持ちするような代物じゃないわよ?」
「ふっふっふ、考えがありますとも」
果物は傷みやすい。
長期間は保たないとフィリーが皮むきで少しだけ疲れてきた手をぐ、ぱー、と握ったりして解しながら呆れ混じりに言うが、シキはニヤリと笑いながら皮を剥き続ける。
「わたしの故郷にドイツっていう国があってね?そこでは庭のある家なら一本はリンゴの木が生えているくらいリンゴ好きな国なんだよ。で、そこで冬の保存食として作られるのが林檎のピューレ。常温でも一年保存できる優秀な保存食なんだよね」
「常温で一年…え、ちょ、リンゴでしょう?」
「林檎です。ジャムと違って砂糖は一切使わないから、カレーとかの隠し味にしてもいいしそのままお菓子作りに利用してもいいし。万能なんだよね」
作りたかったが、林檎をこれだけ大量に買うと普通ならかなりの値段になってしまうのでやれなかったのだとシキは言う。
だがしかし。
「この大量のジャガイモはなんなんですか」
「ごめんそれはわたしのミス」
「ほっといたら芽がでてしまいますよ?」
「大変だけど、ジャガイモがなくならない限りで焼き芋バター販売でどうにかします」
「で、なんで俺はこれの皮を剥いているんですか?」
「ジャガイモパン作りたいからです!!」
じと、とタチバナに見つめられたシキはちょっとだけ冷や汗をかきながら胸を張って言った。
ヤバイ、このままだと今夜かそれ以降の夜に逆襲される。絶対足腰立たなくされる。
なんとしてでも誤魔化さねば、と必死に愛想笑いと見逃して?という視線をタチバナに送る。
「今夜の夕食、もしくは明日の朝食や追加メニューのひとつと考えていいわけですね?」
「うん。調理も簡単だし、一度タネを作っておけば一週間くらいならもつから」
「そうですか」
おっしゃ納得してくれた、と心の中でガッツポーズをとるシキだったが、タチバナはやはり其処まで甘くはなかった。
にっこりと、それはもう麗しい相貌に眩いばかりの微笑を浮かべたのだ。
あかんやっちゃ、この笑みは。
思わずエセ関西弁で後日の自身の身を憂うシキ。
その横で、カレンがこっそり林檎を齧っていたのだが、それを咎める気力も綺麗にごっそりもっていかれた。
「もぐ。で、作るための鍋とか、保存瓶はどうするんだ?」
「あ、それは大丈夫。いつものジャムを作る鍋と梅酒の瓶があるから」
梅雨時期に漬け込んだ梅酒は、夏の時点で4分の1まで減った。
なぜなら、梅酒ゼリーをコーヒーゼリーと同じ方式で販売したうえ、酒場に梅酒を卸したからだ。
後はもう、身内で飲む分くらいしか残っていない。
そして残った馬鹿デカイ瓶は、空いたままになっていたのだ。
それに詰め込む予定である。
「なら安心だな。とはいえ一気にはできないだろうから、シキは先にリンゴのピューレを作り始めたらいいんじゃないか?」
「いいの?」
「カレンの言う通りです。一回に作れる量も限りがありますし。指定されたジャガイモは終わりましたし」
「早っ!?とはいえ、タチバナにはそのままジャガイモを摩り下ろしてもらいたいかな。あ、摩り下ろしたらざるにあげて、水気を切ってくれる?その水は捨てないで残しておいて、上澄みだけ捨ててデンプンだけは残すように」
まったく別々の材料なので同時進行はなかなかに大変だ。
なので後で泣くのは諦めてタチバナに作業をお願いすると、シキは大量の剥かれたりんごをキッチンへと運び込み、林檎のピューレ作りを開始する。
ジャムを作る用のバカでかい鍋を引っ張り出し、竈にセット。その中に林檎を一口大に切りつつ投入する。
皮むきのような作業は制御が面倒なのでやらないが、乱切りにする程度ならそんなに集中もいらないので、冬の魔法の定番である氷の魔法で刃を出し、それでフードプロセッサーのように林檎を切っていく。
鍋の中に大量に林檎が入ったら、水を少しとレモン汁を少しいれる。林檎の量が量なのでそれらもそれなりの量にはなるが。
そのまま焦げないように混ぜつつ、ひたすらに煮る。
そして林檎がくたくたになるまで煮込んだら、マッシャーで潰しつつ冷めないうちに煮沸消毒した瓶のなかに密閉する。
ひとつの鍋が終わったかと思えば、次々に運ばれてくる林檎。
同じように処理を続け、空き瓶となっていた梅酒に使っていた瓶が全て埋まると、ちょっとだけ余りをだしつつも処理が終了する。
詰め終わった林檎のピューレは少しでも長持ちさせるため氷室行きだ。
「さ、次はジャガイモパンだよ!」
「ジャガイモでパン?って聞いたことがないんだが」
「パンっていうより、うーん、おこげに近い、かも?本当はタマネギは摩り下ろして入れるとおいしいんだけどこれ以上は面倒なのでみじん切りにして投入します」
タチバナがリビングで力尽きている。
擦りおろすという作業は案外力と持久力が必要だ。
こういう時風魔法のシーズンは楽なんだよなぁ、と思うものの今の季節の魔法は氷なので忘れる事にする。できないものはできないのだ。
「最初に、摩り下ろして水を切った芋に、出た水から回収したデンプンを加えます」
「デンプン?」
「あー、片栗粉とかスターチの別名っていうかわたしの故郷の世界での呼び方のひとつ。理科…錬金術っぽいものだとそう呼ばれるかな」
「なるほど。くず粉と同じか」
「あっちよりは精製かんたんだけどね」
摩り下ろしたジャガイモにデンプンと小麦粉を入れ、さらに其処にみじん切りにしたタマネギや卵、塩、ナツメグで風味や味を簡単に調える。
そして手のひらで適当な大きさに成型し、多目の油を引いたフライパンでカリカリに焼く。
「……じゅる」
「カレン、よだれよだれ」
タマネギとジャガイモの焼ける甘く香ばしい匂いが充満する。
力尽きていたタチバナも復活し、いそいそと皿の準備を始める。
焼きあがったジャガイモパンは油をきっちりと切って、彼の用意した皿に山盛りにされていく。
テーブルにどん、と置かれその横にはちょっとだけ瓶に入りきらずに余ってしまった林檎のピューレ。
「さぁ、出来たよ!」
林檎のピューレのほかにも、ディップとしてストックのツナマヨやミートソースが置かれる。
各々が席につき、夕食となる。
本日の夕食はジャガイモパン(ディップは三種類)と店の売れ残り数種。それからコーンスープだ。
お茶は珍しく緑茶である。
ジャンルがごちゃごちゃだが、誰も気にしない。
「うわ、何もつけなくてもいいな、これ。タマネギの香りがいい」
「確かに、これならタネを作っておけば出来上がりも早くていいわね。焼くだけだもの」
カレンとフィリーが何もつけずにジャガイモパンに齧りつくと、そのシンプルながら素材の風味が引き立つその味に思わず次から次へと手を伸ばしてしまいそうだと呟く。
「タマネギと林檎が合うか分かりませんでしたが、案外いいですね。林檎のピューレは本当に林檎の甘さだけですから、邪魔をしませんし。確かに、これなら他の料理の隠し味にも応用が利きます」
これなら案外早く消費できるかもしれない、と大量の林檎を処理したピューレと未だ残るジャガイモのストックを思い返しつつ、タチバナが笑う。
とりあえず、シキへのお仕置きは少しだけ軽くしてあげるつもりだ。少しだけ。
「我ながら、うまー♪ジャガイモパンは紙袋に適当に詰め込んであげれば歩きながら食べられるスナック菓子としても優秀だと思うんだよね。ピューレはこの後ドーナツの餡として入れてもいいし」
「何故、今まで作らなかったんですか……って、あぁ、人手ですね」
言いかけて、何故こういったタイプのものが店で売らなかったかを思い出して口をつむぐタチバナ。
二人だった間は、作り置きができる、ドーナツやマフィンなど冷めてもいいものを中心にしていた。
だが、今は簡単な調理なら出来るカレンとフィリーがいる。
お茶を淹れるのは変わらずシキの役割だが、二人がいることで店内で調理してから提供できるものが増えたのだ。
それでも、回転をあげるためにこういった焼くだけの簡単に作れるものに限られてしまうが。
「ちょっと二人には悪いなって思うけど、二人がここに来てくれて本当に助かってるよ」
カレンは故郷を追われ。
フィリーはそれに巻き込まれ。
シキはそんな二人を拾った。
良かった、というにはちょっとだけ躊躇いがある出会い方だ。
だが、カレンもフィリーも口一杯に色々頬張りつつ笑った。
「こひらこひょ(こちらこそ)!!」
だって、シキがいなければ出会えなかったものも、行けなかった場所も、様々なものがある。
出会い方は微妙だったが、ここでの生活は楽しいのだから、気に病むことなんてないのだ。
「とりあえず、何か話すなら口の中のものを飲み込んでからにしてください」
ほんわかとした雰囲気を作る3人に、タチバナは静かにツッコミをいれた。
カレンとフィリーは、慌ててコーンスープで口の中のジャガイモパンを流し込んだ。