うっかり?自業自得でしょ。
カレンとフィリーが朝起きると、本当に珍しい事態が起こっていた。
キッチンに、タチバナが立っているのだ。
それだけなら別に珍しくもなんともないのだが、シキがそこにいないという一点で本当に珍しいのだ。
「おはようございます、お二人とも」
「おはよう、シキはどうしたんだ?」
まさか朝起きることができないほど抱き潰したのか、とカレンが剣呑な視線を向ければ即座に違うと首を横に振った。
「昨日はシキは下の階で寝ていたでしょう?」
「そういえばそうよね。なんか、仕込みが終わらないとか叫んでいた気がするわ」
「では、シキはどこへ?」
タチバナは夕食の余りのご飯と出汁、それから卵を鍋に放り込み火にかける。
一拍おいて、心底落ち込んだ声音で彼は言った。
「風邪で寝込んでいます」
予想外の返答に、カレンもフィリーも一瞬硬直した。
誰が、何だって?
「シキが、風邪をひいた、のか?」
「えぇ、疲労から来る風邪でしょう。薬を飲ませるにもまずは何か食べさせませんと」
鍋からくつくつと煮える音が聞こえる。
卵粥だ。長ネギなども追加して、消化によく咽にも優しくしている。
「湿気にはめっぽう強いって言い張ってたのに…」
「いえ、梅雨の湿気のせいじゃないですよ?」
一番の原因と思われる梅雨独特の湿気による体力低下が原因か?とフィリーが呟くが、それをタチバナは即座に否定した。
確かにそれも風邪を引いた要因の0.5割程度はあるだろうが、それよりも直接的原因になったものがある。
「髪を乾かすのを面倒くさがって放置した挙句、一人で梅酒を飲んで布団にも入らず床でダウンしてたんですよ」
「それは風邪を引くな」
「そうね。引くわね」
梅雨の気候は昼間は暑くて夜は寒い。
雨が一日中降り続いていれば一日肌寒いが、どちらにせよ夜になれば気温は一気に落ちる。
そこに、長い髪を乾かしもせずに放置(一応タオルを肩にかけるくらいはしていたらしい)しながら薄手のナイトウェアで酒を飲んで布団にも入らず潰れれば、アルコールが効いている間は暖かいだろうが冷めてしまえば一気に体は冷える。
しかも誰も気がつかなかったので、朝まで完全に放置だったのだ。
これで体調を崩さないのは、脳筋だけだとタチバナは言う。
体力が万全な状態の人間でも、こんなことをすれば翌日には熱を出すまではいかずとも体に何らかの不調を訴えることだろう。
シキは、仕事の疲れと重なって見事に熱を出しただけのことだ。
冒険者であるカレンやフィリーよりも体力が劣るシキのこと、当然の末路だった。
「というか梅酒できたのか?」
「えぇ、とはいえ此処から暫く置いて熟成させるのであと一月はかかりますが」
「なら、何で飲んだのかしら」
「漬かり具合のチェックとガス抜きかねて、でしょうね」
蒸留酒で漬け込んでいるのでカビなどは相当なことがなければ生えない。
が、味の熟成具合については飲んで確認するしかない。
ただの砂糖の味のするアルコールでは困るのだ。
「それならしかたない…?」
「仕方ないかもしれないけれど、そのまま潰れて寝て風邪をひいたら意味がないのよ」
「フィリーの言う通りです。とりあえず、リビングではおちおち眠れもしないでしょうから俺の部屋に運んであります。申し分けないんですが、二人とも、今日は店を閉めるので自力で朝と夜の食事は確保してください」
喫茶店のマスターであるシキがダウンしている以上、店は開けない。
シキがいなくてもある一定ラインまではどうにかなるが、翌日の仕込みやシキでなくては淹れられないお茶や作れない軽食がある。
タチバナもできないことはないが、シキほどの腕前があるわけではないしそれにギルドに卸す傷薬や店に出しているお持ち帰り用のハーブティなどの調合だってやらねばならない。
店にかかりきりになるわけにはいかないのだ。
カレンとフィリーならばなおさら無理だった。
「わかった、朝食だけは自力で作る。材料は使っても問題ないか?」
「えぇ、かまいません。夕食だけは俺が作りますから」
「昼食は…そうね、どこか大衆食堂でもいってくるわ」
「そうしてください」
タチバナが、卵粥の入った器と大き目の匙、レモン水の入ったグラスをトレイに乗せキッチンから出て行く。シキに朝食を届けるのだろう。
薬はタチバナ自身が調合しているので問題はないだろう。ただ、凄まじく苦いのを飲まされるんだろうな、と二人は遠い眼をした。
トントン、という階段を登る音を背後に聞きながら、カレンがお腹をおさえた。
「とりあえず、朝食にしよう」
「そうね。材料は使ってもいいってことだったけれど」
「下手に使い過ぎると問題だろうし、余ったパンと卵、牛乳に砂糖でフレンチトーストとか?」
「そうね、窯に火を入れるのも面倒だし、それでいいわね」
朝食のメニューが決定したので、早速二人は準備に取り掛かった。
卵と砂糖と牛乳をボールで解きほぐし、平らなバットに流し込んでから昨日のあまりのバゲットをスライスしたものを漬け込む。
片面を着けている間に皿を準備。もう片面を漬けながらフライパンを温める。
適当にすくったバターをフライパンに投下。
じゅわぁ、という音と共にバターの焦げる香りがただよいだす。
「今日は簡易式だから、ちゃんと漬かってないけどいいわよね」
「一晩漬けたやつは本当においしいけど、時間がかかるのが難点だな」
本気でパンの芯にまで卵を染み込ませたフレンチトーストはおいしいのだが、今日は朝食にするためそんな時間はない。
が、仕方がないので諦める。
フライパンのバターが溶けたところでパンを投入。
そして蓋をする。
「半熟としっかり、どっちがいいかしら?」
「半熟だな」
「了解よ」
弱火でじっくり焼いて完全に火を通してもいいが、噛み付いたときにふるふると卵がふるえる半熟状態なフレンチトーストもおいしい。
どちらにせよおいしいが、二人の好みは半熟だった。
シキも半熟派で、タチバナだけが完熟派だ。
「ん、焼けたわ、お皿」
「ほい。ん、いい色だ」
蓋を外し、ひっくり返して焼き色だけをつけて皿に盛る。
ふわりと香る、卵とバターの混ざった香り。
きゅるる、と二人のお腹が小さく鳴いた。
紅茶を淹れる訓練がてら、温かい紅茶を淹れ、焼きあがったフレンチトーストをテーブルに運ぶ。
「「いただきます」」
食膳の挨拶をし、二人で静かなリビングで朝食をとる。
「なんていうか、久々だな。いつもシキとかタチバナがいたし」
「そうね。別に二人きりにならなかったわけじゃないのに」
半熟フレンチトーストを口にしつつ、二人は笑う。
「あのころより、料理の腕はかなり上がったな」
「ま、ジャンルが偏っているけれどね?」
「それは言わない」
朝食のため、軽めに準備したせいかあっさりと食べきってしまい、紅茶片手にさてどうしようか、と二人首をかしげた。
「シキはダウン。タチバナはシキに付きっ切り」
「外は雨。狩りには向かない。どうしたものか」
暇を持て余すとはこの事だ、とため息をついた。
冒険者として、ドラゴンゾンビ討伐部隊の一員として動いていた頃は、休みともなれば溜まりに溜まった疲れを取るために宿屋で気絶するように眠っていた。
訓練も、高難易度の依頼も、どちらも精神から体力まで限界まで削る代物だった。
が、シキに助けられた此処半年は、そこまで自分を苛めぬく理由もなく。
店は忙しかったが、休日はのんびりまったりできていたように思う。
が、突然の休日と言うのは困ってしまう。
「ギルドの訓練場にでもいってみる?」
「そういえば、新米の鼻っ面叩きおってほしいとか言われていたな」
「報酬も結構よかったのよね」
「そうだな、そうするか」
とりあえず、ギルドの訓練場で新米冒険者の訓練の手伝いでもするか、と予定を決める。
二人は慣れた手つきで食器類を片付けると、それぞれの獲物を手にして身支度を整える。
昼食も自力で、とタチバナは言っていたので、出掛けても問題はないだろう。
何かあれば、行き先のメモは残しているので連絡してくるだろう。
「じゃ、いってきます」
返答のない玄関へと声をかけて、二人は雨の都市に一歩踏み出した。
タチバナの薬を飲まされただろうシキも、夕方には復活しているだろう。
夕食はタチバナが担当だし、なかなかに楽しみだ。
とりあえずは。
「いつかシキも訓練に放り込んで体力つけさせようかしら?」
「いいかもな。魔法による遠距離砲台にも限界があるだろうし」
帰宅した暁には、ぶっ倒れたシキを笑ってやろう。
自業自得だよ、と。