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ビスコッティ

さて困ったぞ、とタチバナは自室の一角に視線を向けた。

壁のあらゆるところに乾燥させたハーブが釣り下がり、タチバナが視線を向ける先である壁の一面の端から端までというサイズの大きな薬箪笥からは、今にも溢れそうなほど薬ビンや薬を作るための道具が押し込まれていた。

当然、薬箪笥につきものの小さくも大量にある引き出し全てに薬品が納められており、取っ手のそばに張り付いたプレートがその中身を明らかにしている。

そんな薬箪笥を眺めながら、タチバナは困ったともう一度呟いた。

頻繁にというわけではないが、それなりの回数タチバナはこの部屋にシキを引き込み共に眠っていた。勿論、子供のように一緒に眠るだけでは済まないが。

が、昨晩無駄な抵抗をするシキを引きずり込んだ際、どこかに引っ掛けてしまったのだろう、乳鉢をひとつ壊してしまったのだ。

そして彼女は一言いったのだ。

いい加減、整頓しろ、と。


「まずはそろそろ使えなくなりそうなものから処分しましょうか」


シキのその一言は、確かにそろそろやらなくてはならないことだったので文句のいいようもない。

劇物に関しては薬箪笥の一角に厳重すぎるほど厳重に管理しているし、混ぜるな危険系の薬品も同様に保管している。

一番散らかっているのはどこか、と問われれば迷わずハーブティーなどの調合のための場所であると答えることができる。

ジギタリスなどは劇物中の劇物なので厳重注意の棚だが、カレンデュラやタイム、アニスシード、クローブ、シナモン、フェンネル、マロウなどなどハーブティーやオイルなどに利用できる食べられる乾燥ハーブ系はよく使うこともあって、出しっぱなしだったり切りくずが散らばっていたり。

小さなテーブル用の箒を片手に、使えるもの使えないものを選別し整理していく。

そして残るのは、そろそろ使い切らないとまずいけれどまだ十分使えるという困った半端な代物だ。


「どうしたものでしょうね……オイルや軟膏に精製するに足りませんし品質が落ちていますね。これはシキに何か作ってもらうのが一番でしょうか」


どうにかこうにか整理整頓された薬箪笥の傍の調合机の上には、ビンに入ったアニスシードと数本のシナモン、クローブだ。

どれも、薬の調合に使うには日数がたちすぎていたり、量が足りなかったりする。

ちなみに、調合に使える日数のものはきちんと別のビンの中だ。

だが、ここでそれらと混ぜてしまうと品質が落ちるので却下なのだ。

適当な籠にそれらを入れて、下の階に下りたタチバナは、キッチンで仕込みをするシキに声をかける。


「シキ、少しいいですか?」

「なぁにぃー?」


ゴリゴリとなにやらすり鉢で擦っているようだ。

覗き見れば、黒い粒々が香ばしい匂いを振りまきながらすり潰されていた。


「なんですか、この黒いの」

「ゴマだよ、ゴマ」

「いえ、ゴマはいいんですけどね、すり潰してどうするんですか……」

「ビスコッティに練りこむんだよ。香ばしくて緑茶によく合うんだよ。ところで、どうしたの?」


定休日には部屋に引きこもって調合しているのに、とシキが笑う。

人を引きこもりみたいにいわないでほしい。ちゃんと薬草採取のために近くの森に足を運んだり市場に足を運んだりしているのだから。


「これです。整理をしてましたら、使えるけれど量が足りなかったり日数経過が激しかったりで品質が落ちてしまっているものが出てきましてね。ただお茶にするのでは芸がないので」

「で、わたしに聞けばお菓子か料理かなにかレシピが出てくるだろう、って?まぁ、でてくるけどね!!」


すり鉢の横に、ハーブの入ったビンを置けば、即座にレシピが浮かんだのだろう。

タチバナに材料を伝えてくる。


「アニスシードはビスコッティにしよう。アーモンドかクルミ、小麦粉に砂糖、ベーキングパウダー出して。クローブは肉料理の臭み消しに使うからしまっておいて。シナモン…はココアにでもいれよっか」


いわれるがままに、タチバナは色々準備する。

タチバナが準備していく材料を慣れた手つきで重さを量り、それぞれに分けていくシキ。

二つ用意されたボールの中に材料を入れ、片方にはゴマ、もう片方にはアーモンドやクルミとアニスシードを入れる。

ビスコッティの材料は単純で、卵と小麦粉、砂糖にバター、ベーキングパウダーだ。

卵とバター、粉類、トッピングの順番に混ぜ合わせ、打ち粉をした台の上でひとつに纏める。

それを窯につっこんで、数分。

表面が軽く焼けたら、小麦粉を降りつつ1cmほどの幅に切る。

そして切り口を上にして天板に並べなおし、完全に乾燥させるまで焼く。

この際に気をつけるべきなのは、水分を早く蒸発させようと窯の火を強くしないことだ。

油断すると炭と化す。


「いい香りですねぇ…」


窯から漂う香りに、心なしかタチバナの尻尾が揺れる。

甘い香りは、恐らくアニスシードの香りだろう。香ばしい香りは、ゴマ。

人間よりも嗅覚の発達した獣人だからこその嗅覚で、香りを嗅ぎわけつつタチバナは出来上がりを今か今かと待っていた。

その横で、シキがココアを淹れてそこにシナモンスティックを差し入れた。


「んー、本当はアップルパイとかに使いたかったけど、りんごは季節がまだきてないからなぁ」

「結構香りが飛んでしまっていると思うんですが…大丈夫ですか、そのシナモンスティック」

「大丈夫大丈夫。表面軽く削ったら香り出たし。ココアに入れる程度なら十分だよ」


そしてタチバナにもココアを差し出し、適当なイスに腰掛けた。


「はぁー、おいし」

「それよりも俺はビスコッティを待っているのですが」

「まだだから。もう少し待ってよ。それより、片付いたの?部屋」

「片付きましたよ。もともとそんなに散らかっていたわけじゃないんです。不純物が入ったら困りますし。少々、作業をほったらかしにしたのがあっただけで」

「それが問題なんだと思うよ…。割れちゃった乳鉢、後で買いにいく?」

「付き合ってくれるんですか?」

「理由はなんにしろ、割ったのはわたしだしね。ついでにゾルダンのおっちゃんのところ寄って、竹のカップとか新しい金型とか、受け取ってきたいかな」


コーヒーゼリーは、竹のカップがある分割高な商品だが、カップを返却すればその分割引があるし、ゾルダンの予想したとおり男性から圧倒的な支持を得る商品になっている。

また、竹のそのカップは見た目がシンプルゆえに気に入ったとカップがほしいと言う人間も稀にいる。

そのためか、カップの消耗が激しいのだ。

そんなに高いものでもないので、店的には問題ないのだが、補充が頻繁になっていけない。


「そういえば、残り少なかったですね。では、ビスコッティを食べてからいきましょうか」

「そこは外せないんだね…」


ビスコッティを食べるという部分だけは決して外さないタチバナに少々呆れつつも、荷物もちをしてくれるようなので素直に受け入れる。

時間を計っているオルタンシアでもらった懐中時計に眼をやれば、ちょうどいい時間だ。


「じゃ、焼けただろうし。カレンとフィリーの分を残して食べようか」


耐熱性のミトンを装着し、シキは窯の扉を開けた。

中には、ちょうどいい具合に狐色に焼けたビスコッティ。


「火もちゃんと通ったね。はい」


天板を出し、台に置いてから一つづつ火傷に気をつけつつ用意したバットに移動させる。

焼けた中でも端のほうをタチバナに差し出せば、タチバナはそれを口で受け取った。

いわゆる、あーん。である。


「……手で受け取ろうよ」

「ココアを持っていますから」


しれっと答えるタチバナ。

流石にこの程度で真っ赤になるような性格をシキはしていないと知っているが、それでも恥ずかしさから眼を泳がせる程度はするので、その微妙な表情を見る。

ちょっと楽しい。


「なんか、遊ばれてるってわかってるけど、わかってるけど、ムカつくなぁ?」

「たまには恥らってくれてもいいんですよ?」

「言いたかないけど、わたしにそれを求めるのは間違ってるから」

「そうですか?夜はか…むぐ」

「そっちの恥じらいは捨ててないから!!」


口の中に暖かいビスコッティを突っ込まれて黙らされるタチバナ。

けれど表情はどこかニヤニヤしている。

きちんと咀嚼して飲み込んだ後、口を開く。


「シキ、もうひとつください」


餌をねだるひな鳥のように、シキにおねだりをするタチバナ。

美人なので無駄に絵になるけれど、やってることは子供だ。


「なんだかなぁ」


その口にもうひとつビスコッティを放り込んでから、自身も焼きたてのビスコッティを頬張る。

端から見たらバカップルな行動なんだろうなぁ、とため息をつきつつも、もうひとつと強請るタチバナに餌付けをするようにビスコッティを与えるシキ。

仕方がないな、というシキのその表情にほんのちょっぴり悪戯心が浮かびつつも、タチバナはまんざらでもなさそうに笑った。

出かけるのは、もう少し後になりそうだ。


ココアにシナモンスティックを入れると風味が増しておいしいです。

が、最近スーパーでスティックタイプを見かけなくて困ります。


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