葛のお菓子
翌日。
お昼を回る少し前の時間に、雨姫の呼び出しの通りにシキは彼女の住まうという屋敷に来ていた。
タチバナはすぐそばにいるが、カレンやフィリーは来ていない。
彼女たちも共に来てもいいとあったが、用があるのはシキだけのようなので意味が無い。
シキがお土産確保よろしく、と送り出したのだ。
タチバナはシキの護衛として、無言で静かに佇んでいる。
「お待たせしました。ティエンラン・シェンユエと申します」
応接間でふかふかのソファに座り待っていたシキたちは、ゆったりとした声にソファから立ち上がった。
石造りの応接間はタペストリーや数多くの本のおかげかどこか温かみがあり、この部屋の主である雨姫様ことティエンランの雰囲気にとてもマッチしていた。
「初めまして。四季の魔女です」
「はい、はじめまして。急にお呼び立てしてしまってごめんなさい。休暇中だったと知らなくて…」
「いいですけどね。面白いものをいただきましたし」
応接間で待つ間、執事だろう初老の男性がティエンランからの贈り物だと手渡してきたものがあった。
オルタンシアは観光都市であり、紡績都市でもあるが、実は隠れた産業として魔石加工を得意としている。
石材加工から発展したその技術は、魔術国家と呼ばれるとある国より劣るものの、その丁寧さから玄人好みの魔石加工都市として名が通っている。
そんな魔石を利用した懐中時計を二つ譲り受けたのだ。
動力は持ち主の魔力。
現代地球で言う太陽電池の懐中時計だ。
細工も当然美しく、透かし彫りにされたハイドレインジアの花だ。
「試作品です。来季より贈呈品などにする予定なのですよ。業績を上げた店の店主や商人、貴族などに贈る勲章と一緒に贈るのです」
「いいと思いますよ。何しろ綺麗だし、懐中時計はなんだかんだで重宝するから」
どこの都市も、時間を知るには鐘の音頼りなところがある。
シキにとってはなにより、菓子を焼くときに時計が無いというのは中々に不便だった。
時計のかわりに砂時計で乗り切っていたが、これからはこの懐中時計で時間を測れる。
小さいことと言うなかれ、結構切実なのだ。時計は普通に買おうと思うと高いし。
「では、本題に」
「えぇ」
ティエンランがシキたちの正面のソファに座る。
即座に新しい紅茶が注がれ、それを口にしながらシキは視線を彼女に向けた。
座ったソファが小さく音を立てた。
「この都市の食品は、加工品が多いことにお気づきですか?」
「気づいてますよ。この湿気が原因ですね?他の地域に比べて気温は上がらないでしょうが、それでも水分というのは食品を腐らせる」
「その通りです。乾燥させたものも、他の都市に比べて長持ちしません。特に、菓子系統は全滅も同然です」
「湿気たらカビますからね」
肉や魚などの燻製、麺などの乾物はまだいい。
野菜は植物なので、やり方さえ間違えなければ結構大丈夫だ。
が、パンや菓子はそうもいかない。
「シキさんには、水に強いお菓子のレシピを教えて頂きたいのです」
そう言われて、シキは腕を組んで悩む。
飴などなら大丈夫だろうが、求めているのはそういうものではないだろう。
だからといって、ゼリーも完全密封をしなければカビやすいし、焼き菓子はティエンランの言い分通り全滅だ。
東大陸の菓子のなかにも、長期保存のきくものは多くあるが、湿気に強いかと聞かれればある程度まではとしか答えられない。
そもそもこの都市の気候が特殊すぎる。
かといって、地球のお菓子は真空パックとか保存料とかでどうにかしていた一面が強いし、そういったことはこの世界ではできないわけではないがコストがヤバい。
「……結論から言わせてもらうと、無理。なんにしろ、わたしの知るお菓子はどの菓子も湿気は天敵だね」
「そうですか…。では、路線を変えさせていただきます。この都市に似合う菓子というのはありますか?」
湿気に強ければ観光客の土産として提供できた。
湿気に強くカビにくいというのは、つまりは長期保存がきくということなのだから。
が、やはりこの都市の気候は特殊すぎたかと考えを改めたティエンランは、路線を変えた。
土産として持ち帰れずとも、なにか名物になるなら。
直営店を作りそこでのみ食べられるようにすれば、それなりの利益は見込めるだろう。
「花と、水と、んー、アレかなぁ」
「アレ、とは?」
「東大陸にあるかもしれないし、すでにあるかもしれないお菓子なんだけど…いいかな?」
「えぇ、どういったものでしょうか」
「わたしの故郷では葛餅って呼ばれているお菓子でね」
「クズモチ、ですか?材料は、まさか」
「うん、クズを使うよ。あと、綺麗な水とちょっとのお砂糖だけ」
「病人の流動食やスープのとろみづけによく使うというのは知っていますが…それを使ったお菓子など、聞いたことがありません」
「あ、そうなんだ。それならいいかな。この葛餅って材料はシンプルだけど、トッピングを変えればそれだけで味が全然違うし、シンプルなだけあって作る人間の腕と材料の良し悪しがモロでるお菓子でね。この都市は水がとても美味しいから、きっと良いものができるよ」
葛餅の作り方はとてもシンプルだ。
水にくず粉を溶かして、火を通し、練り上げる。
それだけだが、油断すると焦げるし練り過ぎると透明度がなくなるし味も落ちる。
そして水が美味しくないと当然、美味しくないものができる。
材料と作り手の品質が出るなかなかに難しい菓子なのだ。
「固めでも柔らかめでもハチミツとかクロミツとかと一緒に食べても美味しいかな。作るのにもそんな時間はかからないし、湿気ることもないから」
「いいですね…一度作ってもらってもよろしいですか?レシピの報酬はこの都市で売る場合の売り上げを二割ほど」
「…専売するつもりなのかな?」
「はい。ですが、シキ様がお作りになる分にはなんら文句は言いません。レシピの公開をこの都市の菓子職人のみにしていただければ、それで」
「期間は?」
「五年ほど。振込先はギルドで」
条件はなかなか良い。
レシピを譲渡したからこちらで作れなくなるわけじゃないし、都市がバックアップするのなら売り上げもかなりのものになるだろう。
永久でないにしろ、レシピ一つでそれを受け取れるのなら、好条件だ。
「それだけだと、ちょっとわたしの方がもらい過ぎになるから…そうだね、葛餅のそのくずで豆を甘く煮た物…あんこっていうんだけどね、包むとまた別のお菓子になるよ。水まんじゅうって呼ばれてるね」
「ミズマンジュウ、ですか?」
「白い豆を甘く煮て、潰して色を付けてそれをつつめば、花みたいになる。材料さえ揃えてくれればすぐにでもレシピの見本品を作るよ」
「!!お願いします!セラ、今すぐ厨房の準備を。質の良いクズ粉と…」
「白花豆、砂糖はなるべく白砂糖かグラニュー糖。和三盆…は無いだろうからそれで。重曹があると助かるかな」
花の様に表情を輝かせて指示を飛ばそうとするティエンランだが、材料がすべてわかっているわけではないので言い淀んでしまう。
その後を引き継いで、シキが必要な材料を付け足す。
頷いたセラと呼ばれたその執事は一つ礼をすると準備をするためだろう、応接室のすぐ外に待機しているメイドたちに支持を飛ばす。
その声は穏やかだが、威厳が満ちていた。
「では、準備が整うまでに契約書を。立会人はギルドの人間をお呼びしますので、問題が起こってしまった場合はギルドを通じて連絡させていただこうと思います」
「それでいいです」
「では、立会人も呼んでまいりますね。少々お待ちください」
ティエンランが、にこやかにそう言ってセラに指示を出す。
長年使えているのだろうこの執事は、一つ頷くと先ほどとは違い応接室の外へと出ていった。
恐らくギルドに向かうのだろう。
さすがに契約できるかわからない話だというのに、呼びつけることはできなかったのだろう。
「ありがとうございます、シキさん。アガーテの道楽も、時には奇縁を呼ぶものですね」
「アガーテ?もしかしてハーフェン卿の」
「はい、姪御の姫です。学園で同級生でして、この前からラムネというお菓子の自慢をよく聞きます」
こんなところにも転がっていた、ハーフェン卿がらみの縁。
やはり世界はなんだかんだで狭いようだ。
この調子だと、きっと繁華街の酒場『ラクシュミー』の店主のウーヴェとも知り合いだと思った方がいいだろう。
紅茶を一口すすりつつ、シキは世間の狭さに小さく苦笑した。
護衛として無言で後ろに佇むタチバナも表情には出していないものの、内心ではシキと同じように苦笑していた。
そして予感を感じる。
いつかアガーテというその女性とは顔を合わせることになるだろう、と。
葛餅美味しいですよね。