意外な縁
『水浅葱』に荷物を預け、旅装を解いて普段通りの格好になったシキとタチバナはカレンたちを待っていた。
雨が降り注いで、窓の外は煙り遠くまでは見渡せない。
窓越しに見えるハイドレインジアが雨粒に打たれてゆらゆらと揺らめいていた。
オルタンシアに到着したのは夕刻に近い時間。
それからしばらく経っているので、そろそろ食堂などが混み合う時間だろう。
「待たせた!」
「ごめんなさい、思いのほか手間取ってしまったわ」
そうこうしていると、旅装のままのカレンとフィリーが慌てたように部屋に入ってきた。
二階の奥まった部屋を二部屋続けて取っているので、わかりやすいようにドアを開けていたので問題はない。
「おかえり。どうしたの?」
「いや、職員に無理矢理依頼を押し付けられそうになったんだ」
「どんな依頼?」
「明後日の祭の警備だ。それを目当てにここまで来ているし、休暇なんだと言って断った」
「まったく、しつこいったらなかったわ」
入り口の景色で色々吹っ飛んでいたが、そういえば祭が近いとラグのギルドの職員は言っていた。
日にちまでは聞いていなかったが、ちょうどここに泊まり込んでいる期間に遭遇できるようで、楽しみが一つ増えた。
むしろ、よくそんな期間スレスレに宿をとれたものだ。
泊まるところが無かったら、転移魔法でラグまで引き返してまた転移して、ということをしなければならないところだった。
案外気軽にこの魔法を使っているものの、本来は高位の魔術師でなければ使えないし、魔方陣の設置などしなければならないことも多い。
なにより、魔力消費が激しい。
こんな風に気軽に使えるのは、シキの異常なほどの魔力量のおかげだろう。
本人は自覚しているようで無自覚だが。
「とりあえず二人とも着替えてきたらいかがですか?夕食は美味しい所を紹介してもらって、予約も入れてもらってありますから、時間は大丈夫ですよ」
「ごはん!お腹ぺこぺこなんだ、すぐ着替えてくるから行こう!!」
「私たちの部屋は隣でいいのよね?荷物は?」
「運び込んであるよ。これがカギね」
「ありがと。すぐ戻るわ」
ご飯と聞いて即座に動いたカレンが、部屋はどこだったかともう一度のぞき込んできたことに呆れつつ、フィリーはシキから鍵を預かり、あてがわれた部屋へと消えた。
それから15分後。
湿った髪をきっちりと乾燥させ、格好も旅装から普段着に切り替えた二人がシキたちの部屋へと顔を出した。
普段着とはいえ、カレンは獲物である軍刀を、フィリーは護身用の短剣を腰に下げているが。
シキやタチバナは文字通り普段着だ。
シキの武器は魔法だし、タチバナは着ているものすべてに仕込んでいる針や短剣が武器なので問題はない。
治安がよさそうなこの都でも、たとえラグでも護身用具を身に着けず夕刻から夜の時間帯を出歩く者はいない。
昼間ならいいが、夜ならばなおさらだ。
どこにでも異常者というのは存在するし、なにより酔っぱらって絡んでくる冒険者というのも存在する。
自己防衛は欠かせないのだ。
「それじゃいこっか」
それぞれレインコートを羽織ると、入り口のユカリやその双子の弟であるシオンに声をかけて雨の中の都に繰り出す。
オススメだと紹介してもらったうえ予約までいれてもらった店は、水浅葱から歩いて10分ほどの繁華街の入り口すぐそばにある酒場だ。
繁華街といっても二種類あって、都の東に位置するこの繁華街『カネール』は京都の祇園を思い出すような雰囲気だ。
都市の景観統一のための石造りだというのも、苔むしているところも変わらないが、この辺りだけは石材が茶が強いようだ。
祇園のような秘められた賑やかさが、茶の石造りの苔むしそしてハイドレインジアに囲まれた周辺から漂ってくる。
入り口のような圧倒的な華やかさとはまた違う、落ち着いた華やかさだ。
石材でここまで雰囲気が変わるのかと、思わず感心してしまうレベルで雰囲気が違う。
「落ち着いた、けど賑やかな、不思議な感じがするな」
「えぇ、客層もソロの冒険者や、商人が多いようですね」
「少人数で飲んだりするにはいいのかもしれないわね」
「この雰囲気からすると、かなり期待できそうだねぇ」
周囲をざっと観察して、それぞれ感想を言い合う。
余談だが、もう一つの繁華街である『ダイス』は誰もが想像する、喧騒と怒声と客引きの声と笑い声がひしめき合う一般的な繁華街だ。
大勢で集まってドンチャン騒ぎをするならば、あちらの方が向いているだろう。
カネールはあくまでも少人数、遊びたいけれど喧しいのはちょっと…といった人や、商人の接待などで利用される繁華街なのだろう。
当然、質は高くなる。一般的な繁華街の質が悪いわけではないが、大衆食堂と高級料理店を比べるのはそもそも土俵が違う、という話だ。
「え、っと。あった、『ラクシュミー』そういえば、わたしの故郷でラクシュミーって女神様の名前なんだよね」
「へぇ、初耳ね。後で詳しく教えてちょうだい」
木製の扉を開けば、カランとベルが鳴った。
入り口ではウェイトレスの女性が微笑みながら待っていた。
名前を告げれば、席に案内される。
殆どの席が埋まっているというのに、バカ騒ぎをしている人間はいない。だからといって、静まり返っているわけではなく、それぞれの客が他のテーブルの客たちに迷惑にならないように声の大きさなどをセーブしているのだろう。
「本日はご来店くださいましてありがとうございます。ご注文はいかがいたしますか?」
テーブルに座り、それぞれメニューで好みの料理を見ていれば、決まった頃にタイミングを測ってウェイトレスが声をかけてきた。
「ディナーセットの魚ってなんですか?」
「一番がコクウタチウオ、二番が葉食いスズキですね」
聞いた四人は、それぞれディナーセットで自分の好みのものを注文する。
フィリーとタチバナが二番の葉食いスズキのバジルパン粉焼きとフレッシュトマトソースの冷製パスタ。
シキとカレンが一番のコクウタチウオのソテーとキノコと燻製ハーブ入りウィンナーのクリームパスタだ。
そこに、ヴィシソワーズとデザートのゼリーがついたセットだ。
なかなかのボリューム。
これで1500リラ。
駆け出し冒険者には痛い値段だが、普通に働いている人たちや安定して稼いでいる冒険者からすれば手が出ない値段ではない。
当然、シキたちにとっても同じことだ。
「おまたせしました、ご注文のお品です」
カートに乗せられ運ばれてきた料理をみて、四人が四人ともニンマリと笑う。
彩りも考えられており、見目にも鮮やかだ。
香りも、ハーブの香りや焼けたバターの香りが胃袋を刺激する。
「それじゃ、「「いただきます」」」
食前の挨拶をし、それぞれフォークやスプーンで思い思いに食べ始める。
当然、最初に手を伸ばしたのは魚だ。
「うふふ、サクサクでおいしいわ。野菜のソースもいいわね」
「えぇ、甘酸っぱくて、さっぱりしていていいですね」
「こっちも美味しいよー。バターも強すぎないし。白身魚って、強い味と合わせると淡泊だからすぐ本来の味が消えちゃうんだけど、これはそんなことないし」
「白身魚って、ちゃんとすればこんなに美味いものなんだな…私が散々川で釣って焼いていたのはなんだったのか……」
「や、それたぶん火の通し過ぎ。パサパサになったんでしょ」
「……その通りだ」
そして、それぞれの魚を食べつつ、パスタも頬張る。
乾燥パスタではなく、生パスタらしい。
フレッシュトマトソースの冷製パスタはごろごろ入っているトマトとバジルの組み合わせがかなり美味しい。
オリーブオイルとニンニク、塩だけのシンプルな調味料で作ったのだろうが、シンプル故に美味しい。
シーズンではないのにここまで美味しいトマトにも驚きだった。
キノコと燻製ハーブ入りウィンナーのクリームパスタは、いわゆるカルボナーラなのだが、燻製にされたウィンナーをパスタと一緒に口にすれば、レモングラスなどのさっぱりとしたハーブの香りが通ってカルボナーラ特有のごってり感がなく、さっぱりしている。
だからといってコクが無いわけでなく、キノコから出た出汁が効いているのだ。
「あー、もう、美味しいわ…」
「本当よね……でも、シキのご飯も好きよ?」
「テリヤキチキンとか至高だな。あと、カステラとかダイフクとかオムライスとか」
「褒めたってなにも出ないからね。家に帰ったら串団子くらいは出してあげるけど」
「餡子はウグイス餡がいいです」
「さりげなく要望をださない、タチバナ」
それぞれ食べすすめ、最後にデザートへ。
が、そこで三人の手が止まった。
「どしたの?」
「いや、お菓子はやはりシキのが一番美味しいな、と」
「えぇ。これは甘いだけで、他に味がしなくて」
「仕方ないとはいえね…特に貴族が、甘ったるいものイコール高くて美味しいお菓子っていう感覚らしいもの」
シキの店から菓子を買い込んでいく客や、その味を知っているラグの最上級に位置する貴族たちはそうでもないのだが、甘味である砂糖をたっぷり使っていればいるほど良いものであるという法則を信じている貴族や商人は、甘ったるいほどの菓子を好んで口にする。
そうではない、適量が一番であると知っているものも多いが、砂糖たっぷりの菓子イコール高級品のイメージがそう簡単に拭えるわけでもなかった。
ラグはそういう意味では、自然な甘さを良とする東大陸の文化の影響もあって、かなり恵まれているのだろう。
「んー…見た目は綺麗だよねぇ。ハイドレインジアの砂糖漬けを中に封じてあったりとかして。それに、これはこれで、ね。この味が好みの人もいるだろうし」
「帰ったら、シキのゼリーが食べたいな…」
「ですね…とりあえず、食べきってしまいましょうか」
紅茶を追加で注文し、それで甘さを流しながらゼリーを食べつくす。
すると、周囲が一瞬ざわついた。
何事かと食後の紅茶を啜っていたシキが顔をあげれば、そこには。
「頼みがある」
厳つい表情の、調理師姿のオジサンが立っていた。
四人そろって彼のその言葉に硬直する。
「え、えぇっと??」
「オレの名はウーヴェだ、ここの店主をしている」
「は、はぁ…シキです」
「ハーフェン卿の姪の姫君、アガーテ様をご存知か?」
「直接ではないですが、知っています。それが?」
「ラムネ、という菓子は美味だった。諸事情から、あの方からそれを分けて頂き、食した時、いつか貴女に会いに行こうと思った。ここでお目にかかれて光栄だ」
まさかこんなところでその名を聞こうとは。
シキとウーヴェの話の邪魔にならぬように引っ込みながらも、自分たちの後見人の貴族の姪っ子の名を聞いたカレンとフィリーは、世界は案外狭いのかも、とささやき合っていた。
「それで、頼みっていうのは?」
「…このゼリーの問題点を、貴女の視点で構わないので教えてもらいたい」
「これがいいっていう人もいるんじゃないかな?」
「いや、甘すぎて、という声はよく聞く。これで満足して帰るのは、高いものを大量に食べられる金を持っている、ということを宣伝したい舌が死んでいるような輩だけだ」
だが、菓子をまともに作ったこともなく、料理の応用で作れるのは溶かして冷やして固めるくらいしか思いつかないし、指導を願った菓子職人も、甘ければ甘いほどいい、という貴族の悪習に染まっていてあてにならなかった。
ウーヴェと名乗ったこの男は、そう言って苦々しく笑った。
「わたしみたいなのでよければ。甘さはこれの半分、砂糖だけでやろうなんて思わないで、ハーブやレモンなどの柑橘系を混ぜるといいよ。あと、香りをちゃんと立たせて。見た目は本当に綺麗だから、このままでいいと思う。今言えるのはこれくらいかなぁ」
「…そうか。すまない、助かった」
「こんな助言でよければいくらでも。料理は本当に美味しかったから、あなたの舌を信じていいと思う。たとえ|どこの誰に何と言われようとも《・・・・・・・・・・・・・・》」
シキのその言葉に、ウーヴェは小さくありがとう、と呟いた。
予想だが、彼は彼の言うその舌の死んだ貴族たちに散々言われ放題だったのだろう。
まともに肯定してくれたのはアガーテくらいで、彼女が助言をしたのだろう。
砂糖を大量に使わなくたって、美味しいお菓子は出来上がる。それが当然なのだと。
だが、バカ貴族の言葉や菓子職人でさえ甘ければそれでいいという思考に染まっていたのでは信じ切ることもできなかった。
厳つい顔をして、何気に繊細なおじさんである。
「いつか、貴女の店に行こう」
「ちっちゃいカフェだけどね。歓迎するよ。もしかしたら、わたしの方が魚料理を教えてって言うかもね」
「ならば、オレも歓迎しよう」
では、と一つ礼をしてウーヴェは去った。
周囲の空気も和らぎ、また元通りの雰囲気へと戻る。
「びっくりしましたね」
「本当だよ。でもまぁ、いい人と知り合いになれたから、いいかな」
「もしかして、シキはレシピを聞きに行くつもりなのか?」
「出来ればね。今は忙しいだろうし、空いている時間を狙っていきますとも。逆に、お礼としてラムネのレシピを公開してもいいかもね」
問題は湿気だろうけど。と、窓を指さす。
火が落ちて街灯が揺らめくなか、雨はまだ降り注いでいる。
「本当に降りっぱなしなのね」
「水の中にいるようだというのも、あながち間違いじゃなさそうです」
「うん。とりあえず、お腹いっぱいだし、お酒をちょっと譲ってもらって帰ろうか」
「果実酒あるかしらね?」
「あまり強いのは飲まないでくださいね。特にシキ」
「なぜそこでわたしをピンポイントでついてくるのかなタチバナ」
「さぁ?」
言いながら、四人は席を立って会計を済ませる。
リンゴ酒とヨーグルトの変わった酒を一本づつ購入して帰路についた。
雨の強さが、少しづつ増していた。
トマトと紫蘇をお好きな量だけみじん切りにして、バターで軽く炒め、それをパスタに絡めたシソトマトパスタが美味しいです。味の調整は塩だけというシンプルさ。
簡単ですし、トマトが苦手な私がまともにトマトを食べられます。
お試しあれ。