クジラの歌
どうにかこうにか、街道沿いの少しばかり開けた場所を確保した四人は、今日中に中継地点の街に辿り着くことを諦めた。
雨の中駆け抜ければどうにか到着できるだろうが、それでは風邪をひく可能性が高い。
特にシキ。
攻撃特化の魔女で、しかも行ったことのある場所ならば転移魔法が使えるので、店優先で体力作りとか一切やっていないからだ。
濡れたくらいで倒れないと本人は言い張ったが、後半になってダウンされても困るので却下した。
街道に街道横の少し開けたその場所は、どうやらさまざまな人間が休憩場所や野営地として利用しているらしくたき火の跡が残っていた。
こういうところは盗賊に狙われやすい場所でもあるのだが、テントを張ったその周辺にさらにシキの結界を張っている。
ラグにある自宅よりは簡易式の結界だが、それでもただの剣や弓、レベルの低い魔術ごときでどうにかなるような柔い結界ではない。
本気で破りたいなら魔剣や高位の魔術を持ってこいとシキは豪語する。
盗賊でそのレベルの技能を持ったものはほんの一握りどころか砂粒からダイヤモンドを探す程度に存在していないので、安心だ。
「ごっはん~ごっはん~♪」
ちょうど昼時だということもあり、適当に拾ってきた濡れる寸前の木の枝で火を熾し、鍋をかけてご飯を投入する。
その中に、一応狩りが失敗したときを考えて持ってきていたベーコンと、フィリーが側の森に入って回収してきた山菜やキノコ各種を放り入れる。
そこに、ニンニクや香辛料を入れて、蓋をする。
超簡易式だが、ベーコンとキノコのパエリアだ。
ニンニクとコリアンダー、ターメリックを入れているのでカレー風味になっている。が、トウガラシもクミンも入れていないのでもどきである。
それでも十分に美味しいので、文句は出ない。
炊き上がったら蓋を外して、そのままスプーンで小皿に掬いつつ食べる。
「これ、ベーコンよりも海鮮類の方があうんだよねぇ」
「たとえば?」
「エビとかカニとか貝類…ホタテとかアサリとかハマグリとかカラス貝とか」
「カキはどうなのかしら」
「カキは試したことないなぁ…今度やろうか」
キノコとベーコンが良い出汁を出しているうえ、適度な塩気と香辛料の香りがたまらない。
ニンニクがさりげないアクセントになっている。
特におこげがたまらない。
「携帯食料でなく、米持ってきて正解だったな」
「だから言ったじゃないですか。不味い携帯食料はごめんですって。確かに、馬がいなかったら諦めましたけど」
口いっぱいにパエリアを頬張りつつ、携帯食料の味気無さにため息をもらすタチバナとカレン。
おかわりを食べていたシキも苦笑しつつそれには同意していた。
会話の所々に雨の音が混ざりこむ。
その水音の中に、不思議な音を聞いたような気がして、フィリーは一人立ち上がった。
「どうしたの?」
「何か、聞こえないかしら?」
言われて全員が耳を澄ます。
聞こえるのは、雨が地面をたたく音と、テントにあたるぽたぽたという音。
そして、時々馬の小さな鳴き声と、雷鳴。
「雷…?では、ないですね?」
「え、タチバナは何か聞こえたの?」
タチバナとフィリーの二人はこの四人の中で飛び抜けた聴覚を持っている。
その二人が雷鳴と雨音以外を聞き取っているというのなら、確かに音が響いているのだろう。
シキは風を使って、周囲の情報を集める。
風魔法で空気の震えを分類して辿る。排除するのは雨音だ。
すると、超低音や、超高音が繰り返し同じリズムで繰り返されていることに気が付く。
鳥の形に練った魔力に視覚をリンクさせて、音の発している方向へと向かわせる。
雨雲を突き抜けた上空。そこで空クジラがいた。
「クジラの歌だ…」
「??」
音はその空クジラが出していた。
繰り返し、繰り返し、高音と低音を重ね合わせて空クジラが歌う。
シキがぽつりと呟いた。
脳裏に蘇るのは、日本にいたころ。父親と一緒に見ていたネイチャー系のテレビ番組。
クジラが歌う、恋の歌。
クジラの声は海の中、とてもとても遠くまで届く。
それこそ、数千キロという単位で、声を響かせるのだ。
地球でのクジラは海中にいるものだった。水中は音の伝達が地上よりも早い。
そこらへんの詳しいことはわからないけれど、空クジラの声はそれよりも短い距離しか届かないと思われる。まして、分厚い雨雲の壁があれば尚更だ。
「シキ?何がいたんだ?」
「空クジラ…歌を、歌ってる」
こぉぉん、きゅぃぃぃ、と歌うクジラの歌を、空に飛ばした魔力の鳥を介して聞く。
やはり魔力を介して音量を調節しながら、シキはカレンたちにも聞こえるように歌をテントの中に響かせた。
「求愛行動ね。そんなシーズンだったわね」
聞いた瞬間、納得したように頷くフィリーとカレン。
そこでニヤリと笑いながらぼんやりと空クジラの声を聴き続けるシキに寄りかかりながらフィリーは言う。
「クジラの歌、なんて詩的な表現をするわね?」
カレンやフィリーたちにとって、人間を襲うわけではないので魔獣として分類していないものの、それでもあれだけの巨体を持ち、時折落下しては被害をもたらす空クジラは、良くて獲物という認識だ。
が、シキの言うその言葉にはどこか憧れが込められていた。
シキにしては、珍しいのだ。
「わたしの故郷にもね、クジラっていたんだよ」
からかうつもりで声をかけたのに、返ってきた言葉がそれで、二人は瞬時に硬直した。
タチバナも、無言でシキを見つめる。
「ここみたいに空を飛んでるクジラはいなくて、海にしかいなかったんだけどね。その海の中で、コミュニケーション手段として、クジラたちは歌うんだよ。地域ごとに、違うメロディで。お父さんが、教えてくれたんだよ」
遠いどこかにいる君へ歌う歌。
恋の歌だったり、仲間を呼ぶ歌だったり。
そしてあのクジラたちにとって、歌こそが言葉だった。
「海の中で聞く恋の歌、ですか」
タチバナがポツリと言った。
なんだろう、とてもとても不思議な気がした。
触れてはいけない神聖な領域に招かれて歌を聞くような、そんなイメージ。
「そう表現されると、ただの獣の声も、もっと意味があるんじゃないかと思えるな」
「実際、いっぱいあるみたいだよ。わたしの世界だとそういうの研究する人もいてね、いろんな研究結果が出ていたみたい。まぁ、あんまりにも専門用語のオンパレードで読めなかったけど」
「吟遊詩人をバードと呼ぶくらいなのだから、鳥に関しては私たちも歌っていう認識を持っていたけれど、そうね、他の獣たちにも歌があるのか、気になるわね」
テントの中に響く、クジラの歌を聴きながら、四人は密やかに会話を重ねる。
誰かを呼ぶ歌だと思って聞けば、その声はとても切なく響いた。
雨は、まだ止まない。