襲撃
「お、決まったみたいだね」
朝ごはんの席で、ポストに投函されていた封筒を開封したシキは、ニコリと笑った。
今日の朝食はオニオングラタンスープと、昨日の残りのバゲット、燻製にした針羽根ウコッケイの鳥ハムと大根サラダだ。
なんとなく統一性のないその朝食をもりもりと口にしつつ、カレンとフィリーは首を傾げた。
ぴらぴらと封筒を振りながらシキは言った。
「二人の後見人、決まったみたい。わたしの後見人の公爵様所縁の伯爵様」
「それなら安心ね」
「追っ手もなかったし、万々歳だな」
カレンとフィリーがあの国から逃亡したのは真冬。
今はもう春も真っ盛りだ。
リヒトシュタートからラグまで、雪が残っている中の移動だったと仮定した道程としては約二か月ほど。
これなら襲撃の心配もないだろう。
「それはどうでしょうね?」
それに水を差したのはタチバナだった。
オニオングラタンスープに入った卵を潰しながら、思考を纏めるように彼は言う。
「シキにまたもや煮え湯を飲まされたあちらは、無駄に高いプライドにかけて、お二人を逃がすわけがありません。恐らく、死の翼を送り込んでくるでしょうが、その中でも搦め手よりも直接戦闘に長けた者を送り込んでくるはずです。しかも、俺とシキの時のように容易に解放されないように、洗脳と薬漬けと、高位の隷属の首輪で雁字搦めに縛った者を」
タチバナの戦闘能力は、本当に暗殺向きだ。
針や毒、ハニートラップや幻惑術による搦め手を得意としており、直接戦闘には向かない。
ハッキリ言ってしまえば、正面切ってのガチ戦闘になればカレンとフィリーにすら劣る。
敵だと認識された状態ならば、シキの魔法による猛攻を防ぐ手段すらない。
「死の翼の戦闘能力特化型となると、何人か心当たりがありますが……誰が来ても、俺には防ぎきれません。ですから、お願いですから気を抜かないでください。追っ手は必ず来ます」
「とはいえ、送り込むなら一回が限界だろうね。このシーズンってことは準備に時間がかかってるんだろうけど、そのせいで後見の決定から戸籍の移動、貴族位の返還まで全部の準備が整ってる。手続きが終わってしまえば、もう手出しはできないよ。貴族の後見を受ける人間を害すれば、それは国際問題だからね」
念を押すタチバナと予想を立てるシキに、カレンとフィリーは頷いた。
何しろタチバナは追っ手であるだろう死の翼に属していた人間だ。どういう命令を下され、どういう扱い方をされ、そして連中がどういうふうに考えるかを、よく知っている。
そしてタチバナの予想通り、追っ手は現れたのである。
よりにもよって、伯爵との面会の日に。
「グラァァウッ!!!」
「壁ッ!!」
振り下ろされるかぎ爪を防ぐために、シキは声を荒らげた。
後ろに庇うのは伯爵と使用人たちだ。
結界が一つだけなら声による発動など必要ないのだが、狭い室内で窓から飛び込んできた十人近い襲撃者から非戦闘員を即座に庇ったため分散してしまい、結果として発声による魔法の発動をせざるを得なくなった。
風による結界だが、強風によって攻撃を弾くだけなので油断をしていると突破されかねない。
時空魔法系結界を張れればよかったのだが、詠唱の暇もありはしない。
「くっ、私も出る…っ!」
「駄目よ!そうなったら相手の思うつぼよ、大人しくなさい!!」
暗殺者たちの目的はカレンとフィリーだ。
とはいえ、こぼす言葉や方向、痛みを忘れたかのような猛攻を見る限りそんなことは考えられない状態だろうが。
首にはまった首輪と、口から吹く泡から漂う香りから、やはり麻薬漬けにされているのだろう。
幻惑術でいくつも己の幻を作り、敵を撹乱するタチバナは予測する。
暗殺者たちをとどめているのは、ギルドから来ている審査官やその護衛たちだ。
だが、一人二人と負傷していくのを目の当たりにして、飛び出そうとするカレンをフィリーが抑える。
「あああもう、うざったいぃぃぃぃ!!電撃麻痺させていい!?」
「ダメですシキ、電撃麻痺は範囲無差別でしょう!?」
風魔法が強くなっている現在、電撃系魔法が使用できる。
死なない程度の電流を流して気絶させてしまうのが一番早いだろうが、あいにくとこの場にはそれを食らわせるわけにいかない身分の方々がいる。
「ガァァァァ!!」
「くっ、抑え込め!!」
暗殺者の一人が、風の結界に刃を突き立てる。攻撃を弾こうとする結界に無理矢理押し込もうとしているため、腕の骨が砕ける音がする。だが、正気を失ったこの虎の獣人は構うことなくかぎ爪を突き立て続ける。
その爪の先には。
「ひっ!?イヤァァァァァァァ!!!!!!!!!」
使用人の一人の女性がいた。血塗れになりながらも突き立てられるそれに、精神の限界が来たのだろう、悲鳴を上げる。
しかも、よりにもよって結界から飛び出してしまう。
こうなると連中の狙いは無防備に部屋から飛び出そうと、安全地帯だった結界から飛び出したその使用人に殺到する。
狼、猫、虎の三人の正気を失った獣人たちに飛びかかられた、その瞬間。
ガィン!!
「こぉん、のぉぉぉ…っ!」
カレンとフィリー、伯爵たちを守る結界はそのままに飛び出したシキが、使用人の前に飛び出した。
最低限の強度で張られた結界で三人の攻撃を凌ぎ、即座に使用人の女性を確保。
腰が抜けて動けなくなった彼女を引きずってカレンたちのいる一番大きな結界の中に放り込む。
「寝てなさい」
放り込まれた瞬間、フィリーの手刀を食らって昏倒したのを見届けると、同じように離れたところにいる残りの人間を回収しに走るシキ。
内心は、恐怖でいっぱいだ。
機動性確保のため、強度が高いものはあまり作れない。
合流すれば結界を一つ減らせるので負担は減るが、それまではうっかりすると爪が食い込んでくるだろうレベルのものしか張ってられないのだ。
「四季の魔女殿!?」
「ちょっとしばらく後ろよろしく!!」
ダッシュで駆け抜け、なんとか他の結界に飛び込む。
即座に最低限の結界を解除し、使用人たちを守る結界を強化、攻撃を凌ぎつつ移動する。
当然、槍をぶつけられるわ爪で引っかかれるわと攻撃は受け続けている。
そして、カレン、フィリー、伯爵がいる一番頑丈な結界へと全員を纏めることに成功する。
「うはははは、マジ緊張したー!!!」
「シキ、大丈夫なのか!?」
彼女にしては珍しいひきつった笑いに、カレンが思わず問いかけた。
百合持つ天使の騎士相手には一歩も引かず、むしろ堂々と立っていたシキ。
これくらいの修羅場は慣れているだろうと勝手に思っていたのだが。
「あんな薄い結界で攻撃受ける羽目になるなんて、あああもう冷や汗かいた…」
「……あぁ、なるほど」
どうやら、彼女にしてみれば結界の強度に不安があったらしい。
当然と言えば当然か、シキにとって結界とは、カレンたちにとっての防具と同等だ。
それが薄ければ、そりゃ怖いだろう。
「応援だ!応援が来たぞ!!」
暗殺者たちを抑え込んでいたギルドの護衛たちが口々に歓喜の声を上げる。
殺してしまえば楽に終わったのだろうが、暗殺者たちの腕はギルドの職員たちと同等だった。
タチバナが幻惑術で撹乱していたためまだ抑え込めていたが、死を厭わず痛みも感じないように飛びかかってくる相手に、防戦一方だったのだ。
だが、これも応援がきたことによってあっさりと鎮圧されるにいたった。
応援が来たことによって完全に抑え込まれた暗殺者たちは、その首にはまっていた隷属の首輪を結界に気を取られずにすむようになったシキに砕かれ気絶した。
洗脳と麻薬漬けに関しては、洗脳は専門魔術医師が、麻薬漬けに関してはゆっくりと抜いていくようにするらしい。
「申し訳ございません、面会は後日改めてでよろしいでしょうか?」
「はい、かまいません。そちらのお嬢さんたちも…」
「大丈夫です。こんなことになってしまって、逆に申し訳なく」
「いえいえ、大丈夫ですよ。予想されていた数よりも多く来てしまっただけですから」
「ありがとうございます、伯爵。では、カレン殿も、フィリーネ殿も、また後日面会を設定しますので、知らせをお待ちください」
「わかりました」
こんなことになってしまった以上、面会も続けられない。
当然、書類への捺印なども後日に回されることになった。
「はぁー、先延ばしになってしまったな」
「仕方ないわよ、こればっかりは」
「ま、一週間以内にはできると思うよ。ギルドの連中も警備の強化するだろうし今日みたいなことにはならないよ」
「そうですね、そうなることを祈ります……」
幻惑術による撹乱に魔力を大量に消費したのだろう、タチバナが青白い顔でぐったりとしていた。
全身傷だらけのボロボロである。
大きな傷はないが、やはりそれなりに手負いなのだろう、左腕をしきりに庇っている。
「とりあえず帰ろう。帰って、手当てして…明日は店休みでいいよもう」
「そうしましょう…はぁ」
今回護衛対象であったがために無傷のカレンやフィリーは申し訳なさそうにタチバナとシキを見た。
とはいえ、あれだけの練度を誇る死兵と化していた暗殺者相手にこれだけの傷で済んでいるところを見ると、なんだかんだでタチバナは強いらしい。
正面切ってのガチ勝負ならともかく、あらゆる罠を利用しての計略戦では敵に回したくないな、とカレンは思う。
正直、あの幻惑術で惑わされて毒で終わる気がしてならない。
「なんでしょうか?」
「いや、私のほうが強いと前言っていたが、今回の戦闘を見ていると負ける気しかしなくてな」
「手段を選ばなければ、勝てますけどね。純粋な戦闘能力は低いんですよ、俺は」
苦笑するタチバナ。
だが、ぐらりとその体が傾いだ。
「…ぐっ」
「あーもう、見栄張らないの。魔力すっからかんで意識保つのも限界でしょ?転移するから、寄りかかっててよ」
なんとか気絶するのは凌いだタチバナだが、顔色はさらに悪くなっている。
呆れたように言いながら、それでもやはり心配なのだろうシキは、傾いだタチバナを支えるように腕を肩にまわし寄りかからせる。
「二人とも、帰るよ」
「えぇ」
「わかった」
そして発動する転移魔法。
四人の最後の視界に映ったのは、深々とお辞儀をするギルド職員の姿だった。