冷たいものばっかりじゃ駄目ですね。
夏、本格突入。
クーラーなどという文明の利器は存在しないものの、魔道具によって扇風機程度のものは存在しており、カフェ・ミズホの店内ではそれが少しでも構わないから涼をもたらそうと今日も健気に回転していた。
実情は熱風をかき混ぜているだけだったりする。
それでも、ないよりはマシなのだが。
「あーつーいーぃー…」
「溶ける…」
カレンとフィリーは港町特有の暑さに、今日もやられてしまっている。
熱中症になられても困るので、シキがスポーツドリンクもどきを作って飲ませているほどだ。
店で売れるものも、飲み物は殆ど全部と言っても過言ではないほどアイスドリンク系統のみになり、軽食も昼食として売れるサンドイッチやおにぎりはともかく、おはぎや揚げドーナツなどは売れ行きが芳しくない。
コーヒーゼリーや寒天、水羊羹などの冷えたお菓子が主流だ。
だが、去年からはじめた器が必要になるこれらの水菓子は量が作れない。その場で食べて器を返却してくれる人間も多くいるのだが、そうでない人間もいるので、器の絶対数というのはどうしても足りていない。
器の追加注文もしているが、まだ届いていない。
それでも、飲料が通常よりも倍以上多く出ているので売り上げに問題はないのだが。
毎年の事ながら、このシーズンは本当に戦場である。
「いらっしゃいませ」
暑さのあまりダウンして、注文ミスを出し始めたカレンとフィリーを引っ込めてカウンターに立つタチバナの声にも、覇気がない。
恐らく、休暇として実家に帰っているシオンもここにいたのならばダウンしていたことだろう。
ランチタイムを過ぎ、燦々と照りつける太陽が真上に昇った時間のせいか、客もまばらだ。
注文をしてくる冒険者と思しき客たちも、買っていくのは麦茶やアイスティー、つめたい豆茶などさっぱりとしたものばかりだ。
それに続いて、ミントなどのハーブを入れたハーブアイスティーとアイスコーヒー。
ストックを大量に作っているので切らすことはないが、それでもすでに半分を切った。
「あー、だめだね、これは」
脳みそ茹ってるわ、と三人を指してシキは呟いた。
つい最近熱中症をやらかしたタチバナは対抗策をとっているおかげかどうにか動いているし、体を夏の暑さに一応は慣らしたというカレンとフィリーも、ギリギリ動けることは動けるだろうが、微妙に使い物にならない。
食欲も完全に落ち込んでいるので、余計に体力がないのだろう。
夏の食欲減衰にあわせてサッパリでもちゃんと栄養が補給できるものを食べさせているが、やはり限度がある。
魔法でどうにかしてやりたいが、現在のシキの属性は炎なのでどうにもならない。むしろ悪化させるだけだ。
とにかく、涼しくなる夜にどうにか食べさせて体力を戻してやらねばなるまい。
二人が動けないことで、針羽根ウコッケイのテリヤキチキンなどの商品がまったく店頭に出せなくなっているのだ。
とはいえ、この暑さなので売れているサンドイッチはサラダ系が殆どなので気にしなくてもいいのだが。
「シキは大丈夫ですか?」
「ん?うん、わたしは平気。これくらいの暑さは序の口。とはいえ、去年も今年も辛そうだねぇ」
「かける汗の量が、暑さの耐性に関わる、というのは本当ですね」
「うろ覚えな知識でごめんねぇ。とりあえず、汗をかけば体は冷えるし、そうでなければ熱を溜め込みやすいっていうのは本当だから」
「ちゃんと医術を齧ってもいないのに知っているほうが驚きですよ」
自分自身も水分補給をしなければ倒れてしまうので、一気に麦茶を飲み干しつつ、タチバナがグッタリとした様子でカウンター正面のイスに座り込んだ。
今から休憩なのだ。
客の数はまばらなので、場所的には問題はない。
この時間にもなると、誰もが外に出るのを控えるのだ。
炎天下の中、誰が好き好んで仕事をしようなどと思えるものか。そう考えるのは、人が少なくなった時間こそ我らの時間と嘯く泥棒連中くらいなものだ。
「冷たいもの食べさせてあげたいけど、水分取りすぎで胃腸も弱くなってるだろうから、冷たいものはオススメできないし」
「あぁ、お腹の調子は確かに余り良くありませんね」
「……見た目アレだけど、やっぱ、うん、夏といえばアレかなぁ」
多分見た目で一回は確実に引かれる、と分かっている料理がある。
日本人の国民食。好きなやつはいても、嫌いと言うやつは殆どいない。
作るのも、実は固形のルーが無くても簡単。
ちょっとだけ手間はかかるけど。
「タチバナ」
「なんですか?」
「見た目悪いけど美味しいなら、食べる?」
「食べますね」
三杯目の麦茶を一気飲みしようとするタチバナからそれを取り上げながらシキは問いかけた。
即答された答えに、後で文句を言っても聞かないから、と念を押してシキは材料を氷室から引っ張り出す。
必要な素材はそんなに多くはない。
具材は茄子、ズッキーニ、ピーマンやパプリカ、カボチャに鳥胸肉。
本当はオクラも投入したかったけれど納豆が苦手だと言っている人間がいるのにネバネバなこれを入れたら絶対食べてもらえない気がするので無しで。
「タチバナ、今から言う香辛料を出してくれる?」
「わかりました。どれです?」
「クミンシード、コリアンダー、ターメリック、トウガラシ、カルダモン、ガラムマサラ。あとは…まぁ、いっかうん、今言ったやつをできれば粉末で」
「かなり複雑な風味になりますね。配合も難しくなりますよ?」
「それはこっちでやるから大丈夫。粉末になってればどうにかなるから、お願い」
「分かりました」
ハーブティを作るよりも下手をすれば複雑になりかねない量の香辛料を挙げられ、いぶかしげに大丈夫なのかと問いかけたタチバナは、レシピの入ったファイルを片手に材料をそろえていくシキに、彼女ならば大丈夫だろうと思考を切り替えて。ストックしてある香辛料を取りに行く。
その間にも、シキはサクサク材料を調えて調理に取り掛かる。
時間をかけた物はできないが、スープタイプなら結構早くできるのでそれにするつもりだ。
「さてさて、即席だけど…何年ぶりかなぁ、これ作るの」
大きな鍋に、みじん切りにしたたまねぎ、ニンニク、生姜を投入。
バターで炒め、火を通す。
本当はタマネギが濃茶色になるまでゆっくりと炒めたい所だが、そんな時間はないので軽く茶色になったくらいで火を止め、茄子、ズッキーニ、ピーマンやパプリカ、カボチャに鳥胸肉を一口大に切ったものを鍋に投入。
同じく火が通るまで炒める。
鶏肉に火が通った所で水をひたひたになるまで入れて、臭み消しにローレルをメインに作ったブーケガルニを入れて蓋をする。
「シキ、これでいいですか?」
「ありがとー。ちょうどよかったよ」
どうやら粉になっていなかった香辛料を挽いて来てくれたらしい。
強い香りがタチバナの持つ小鉢のなかから漂っている。
それらを受け取ったシキは、ホーローのミルクパンに軽量スプーンで図りながらスパイスを入れて炒る。
強かった香りがさらに強く、けれど決して不快ではないマイルドさをもってキッチン中、いや店中に漂う。
「マスター、何作ってるの?」
カウンター越しに、香りに誘われたのだろう一人の女性冒険者が声をかけた。
炒めたスパイスを、煮込んでいた野菜のスープの中に投入し、おまけとばかりに醤油や豆乳を少量投入してかき混ぜるシキは、ニマリと笑って答えた。
「夏野菜のスープカレー」
「なに、それ?あたしも食べたいなぁ……いい香りだもん」
「わたしたちのまかないだからあんまり量がないし、お店の常備には出来ないメニューだから、ちょっとお断りしたいかな」
「其処を何とか!」
期待に満ちた彼女の眼差しに、シキはひとつだけため息を零して言った。
「ワンプレート800リラ」
「うぐ、しっかりしてるねぇ。いいよ、それで」
とはいえ、この香りの誘惑に勝てるわけも無く、女冒険者は支払を了承した。
「タチバナ、五人分の塩、ノリ無しおにぎり握って。それから、スープ用の器出して。ひとつは客人用で」
「はい、わかりました」
タチバナたちだけならばやろうとは思わなかったが、客がいるなら話は別。
シキは通年魔法で鍋の中の熟成速度を強制的に速めた。
ちゃんとした熟成ではないので時間をかけてやったものよりも幾分味が落ちてしまうが、ちゃんと味が染み込んでいない微妙な出来のものを客に提供するくらいなら促進させるほうが、味を比べて良くなる。
「おし、できた!見た目は気にしない!ご飯と一緒に召し上がれ!!」
手早く器にスープカレーを入れたシキは、休憩だとカレンやフィリーもリビングよりは涼しく快適だろう店舗のテーブルに座らせて、タチバナが握ったただのおにぎりとそのスープカレーを置いた。
「「「………」」」
「あの、その、シキ?この色合いは……」
「気にしない。いい?気にしない。味は保障できる。ビーフシチューと似たもんだと思えばいいから。味は全然違うけど」
豆乳の白と黄土色を混ぜ、カボチャが溶けたせいだろう、少しばかりどろりとしたそのスープ。香りはいいのだが、こう、見た目が何時にも増して不穏だ。
香辛料が原因だと分かっているタチバナも、一瞬悩んだ程度には。
「じゃ、お先。いただきます」
シキは迷うことなくそれを口にする。
本人は至って美味しそうに食べているし、シキのご飯は美味しいと刷り込みに近いことを考えているタチバナも一瞬の躊躇いの後に口にした。
「あ、美味しい」
「でしょ?夏はやっぱこれだよねぇ……。今度はもっとちゃんとしたのを作ろうかな」
「これで適当なんですか?」
「うん。結構手順省略してるよ。あと、お腹にやさしい感じになるように、バターとかあんまり入れてないし」
「そうですね、入れていた香辛料を考えると、かなり体に良さそうです」
片手におにぎり、片手にスプーンでスープカレーを啜りながら、二人はさくさくとそれを胃袋に納めていく。
香りは確かに食欲をそそるので、カレン、フィリー、そしておねだりをした女冒険者も恐々とそれに口をつけた。
「あ、あら?」
「お、おぉ!?」
「うわ、なにこれ」
口に入れた瞬間、スパイスの香りが吹き抜ける。
舌にはピリリとした辛味、けれど豆乳のおかげか、カボチャのおかげか、不快な辛さではない。
すこしだけとろりとしたそのスープは、入っている素材がシンプルな野菜ばかりにもかかわらず、コクがある。
鶏肉は一切の臭みが無く、うまみだけ。
だからといってコッテリはしておらず、夏でバテ気味の体に染み渡る感じがする。
「え、なにこれ。マスター、これ美味いよ!?」
「シキ、おかわり!」
「カレン、一気に食べすぎよ!」
一口食べてから、食欲不振はどこへやら、少なめに入れたとはいえ一人前のスープカレーをハイスピードで平らげたカレンは、器を持ってシキに強請った。
フィリーも、もっもっも、とまるでハムスターのように頬を膨らませている。
女冒険者に至っては、すでに言葉もない。
「おかわりはありません」
「「そんな!?」」
昼食のまかないとして作ったので量は押して知るべし。
すでに鍋はすっからかんだ。
そう答えたシキの目の前で、食べ終わってしまったカレンや、未だ食べている途中のフィリーや女冒険者が絶望の眼差しで己の皿を見る。
「…夕飯も、カレーにする?」
「いいのか!?」
「タチバナも、いい?香辛料、結構使うからストック考えないと危険なんだけど」
「俺はかまいませんが…」
「あたしも!食べたいんだけど!!」
「お客様、夜は閉店しておりますので」
「のぉぉぉぉ………」
夕飯にもこれを食べられる、とカレンやフィリーは目を輝かせたが、営業時間外なので無理、と断られた女冒険者は崩れ落ちた。
そんな、むごい。悪魔め。いや、魔女だったわ。
「あーもう、これ、パイとかドーナツの具材にできるから、それで提供してあげる」
「マスターそれ本当!?」
「嘘はつきません。とはいえ、仕込みに時間がかかるから、三日後くらいだから」
「それでもいいわよぉ!仲間に知らせてこなきゃ、マスターこれお勘定ね!」
綺麗に食べ終わった皿の横にばん、と代金を置いた女冒険者は、炎天下の町の中へと飛び出していく。
「…あー、食材と香辛料たんまり買ってこなきゃ」
「新しくメニューが増えますね」
「うぅ、いいことなのか、悪いことなのか」
まさかここまでの反応が返ってくるとは思わなかった。
確かに、カレーは美味しい。
ベース以外に追加する香辛料や具材によってまったく風味も変わるので、カレーといってもレパートリーは案外広がる。
それに、油を入れすぎなければ栄養価も安定の良い料理だ。
敵はカロリーくらいで。
それも、やはり具材を加減すれば問題はないのだが。
「とりあえず、食欲はそこそこ戻ったね?」
「あぁ、ひさびさにあったかいものを食べて、なんだろうな、腹が落ち着いたと言うか」
「そうね。暑くて冷たいものばっかり食べていたけれど、暑くてもちゃんとあったかいものを食べないと駄目ってよーく分かったわ」
「ご飯に冷たいものばっかり出してたのはわたしだし、気にしなくていいよ。じゃ、皿を洗って後半戦といきますか!」
外は炎天下。
まだまだ客はやってこない時間帯。
けれどやることは色々ある。
食べ終わった皿を片手に、シキは仕事の再開を告げた。
カレー、美味しいですよね。夏野菜のカレー大好きです。
今回のカレーは本当に即席っていうか適当に作れる代物です。
本当はカレーペースト作ったり時間がかかります。
が、まぁ、まかないなので。