桃のムース
桃。
花の盛りは春だが、実が成るのは夏。
古くは水菓子とも呼ばれた、高級品だ。
季語としては秋になるが、旬は夏の果物だ。
「で、貰ったはいいけど。どうしよっか、これ」
「そのまま食べますか?」
「それでもいいけど、飽きるよねぇ…この量は」
シキとタチバナの前に積まれた桃。
それは、いわゆるお裾分けとして貰った桃だった。
もちろん、普通の桃で魔獣がどうたら、魔力がこうの、ということは一切ない。
だが、貰った量が量で処理に困ったのだ。
店に出すお菓子の材料としては心許なく、自分たちだけで消費するにはちょっとだけ多い。
「蜂蜜漬けにでもしますか?」
「そうだねぇ。半分は蜂蜜漬け、残り半分はそのまま食べて…」
さて蜂蜜はどれだけ残っていただろうか、と首を捻ったシキは、そのまま食べるのも芸が無いな、とおもむろにレシピブックを手に取った。
桃を使ったお菓子は案外捻りが無く、ゼリーにしたりするものが多くシロップ漬けが基本。
生のものを利用することは少なめだった。
が、そこでひとつのレシピを見つけた。
「あ、タルトにでもする?」
「できるのですか?」
タチバナが少しだけ驚いたように呟いた。
桃は、とても傷みやすい果物だ。
そのせいでこうやって生のまま貰うことは少なく、大体が蜂蜜漬けかシロップ漬けにされて販売される。
タチバナとしては生のままでも十分だと思うのだが、シキがお菓子にできるとなれば話は別だ。
絶対に美味しいものができる。
「できるね。で、さっぱりとこってり、どっちがいい?」
「暑いのでさっぱりでお願いします」
「了解。じゃ、ヨーグルトムースをベースにして作ろうか」
腕まくりをして準備を始めたシキに、タチバナも手伝うべく袖を捲くった。
「飾りに使うのは生のままだけど、そうじゃないのはコンポートにして」
熟れた桃をフルーツナイフで皮を剥くタチバナ。
その横でシキは余ったクッキーをボウルの中でゴンゴンと砕いている。
ちゃんとタルト型を焼いてもいいのだが、ぶっちゃけ面倒になったので簡易版にするのだ。
ゴンゴンと割って砕いて粉になる寸前までしたそのクッキーに、牛乳を入れて、少しだけ柔らかくする。
そしてクッキングシートを敷いたバットに敷き詰めて重石を乗せる。
牛乳の水分が飛べば、ちゃんと焼いたタルトよりもかなりもろいがビスキュイとしてはそれなりに優秀なものになる。
「シロップの割合は?」
「あんまり濃すぎず、薄すぎず?タチバナの好みでいいよ」
シキがタルトの型の部分を作っている間に、タチバナはグラニュー糖と白ワインを鍋に入れて火にかける。
溶けたところで、剥いた桃を適当なサイズに切って投入。
ぶくぶくと泡立つ寸前まで煮て、火を止める。
本来ならここで一晩置いて味を馴染ませるのだが、今回はそうしなくてもいいらしい。
鍋を氷水を張ったボウルに突っ込んで、急速冷却する。
「それなりに冷えたら、ぐちゃぐちゃになるまで潰しちゃって」
「え、潰してしまうんですか?」
「うん。練りこむから」
取り出したヨーグルトに砂糖を混ぜて練り、その横でゼラチンにお湯を入れて湯銭で溶かす。
そうしたら今度は生クリームにゼラチンを入れてよく混ぜ合わせ。
「う、腕ー…」
「がんばってください、シキ」
泡だて器で8分立てになるまでひたすら泡立てる。
魔法の属性が少しでも風が入っていればもっと楽なのだが、生憎今の属性は火。
燃やす以外にあまり役に立たない属性である。
夏場は保存の関係もあって生クリームなど痛みやすいものは殆ど使わないのであまり感じないが、やはり泡だて器で生クリームを泡立てるのは体力と腕力がいる。
慣れてはいるとはいえ、電動泡立て器プリーズとか呟きつつ、気合で泡立てを完了させる。
泡立てが終了したら、砂糖を混ぜて練っておいたヨーグルトを取り出し。
「タチバナ、桃潰したのちょーだい」
「こんなものでいいですか?」
「ん、いい感じ」
タチバナに潰してもらった桃の即席コンポートを潰したものを投入。
しっかり混ぜ合わせ、それから泡立てた生クリームを少しづつ投入して、混ぜ合わせる。
このとき、決して泡を潰さないようにするのがコツである。
そしてしっかり混ぜ終わったら。
「だばぁ、と流し込みまーす」
「あぁ、いい香りがしますね」
クッキービスキュイもどきを敷いたバットの中に流し込む。
流し込んだら平らになるようにヘラで馴らし、氷室に突っ込む。
冷やして固めている間にやらねばならないことは山盛りだ。
「ごめんタチバナ、もう一つか二つ桃剥いてもらっていい?」
「いいですよ。飾り用ですね?」
「うん。薄くスライスする感じで」
またもやタチバナに桃の処理をお願いしたシキは、もう一度ゼラチンを湯銭で溶かし、その中に残った桃のコンポートのシロップと少しのレモン汁、を混ぜてコーティング用のゼリーを作る。
そして氷室に入れていたムースを完全に固まらぬうちに取り出し、タチバナがスライスした桃を順番に並べていく。
円形の型だったりすればバラの形に見立てたりと色々手の込んだ飾りができるが、身内で消費するものだし、なにしろバットを型代わりにして作っているので見目とか後回しにする。
まだ固まりきらずゆるいそのムースの上に並べ終わると、今度は作っておいたゼリーを流し込む。
つやつやと乗せられた桃が光を反射して輝く。
「シキ」
「まだ食べられないから。夜まで待って」
「むぅ」
今すぐ食べたい、と視線で訴えてくるタチバナに却下を食らわせて、もう一度氷室にムースを仕舞い込んだ。
「夜まで、お預けですか……」
「冷えて固まった時が一番おいしいからね。ほら、その代わりタチバナにはこっち」
不満そうな表情のタチバナに、シキはビスケットにボールの底に少しだけ残ってしまったムースをこそげ取ってジャムのようにつけたものを、その口につっこんだ。
むぐむぐ、と無言でそれを租借するタチバナは、次の瞬間幸せそうに微笑んだ。
「おいしいです、シキ」
「余りだけどね」
夜はもっと沢山食べられるよー、と片付けを始めたシキの腕を引っ張って引き寄せたタチバナは、触れるだけの口付けをシキに贈った。
「味見、してないでしょう?」
こてん、と首をかしげながらそうのたまう彼のつるすべなほっぺたを思いっきり引っ張りながらシキは言う。
「してないけど、こういうのはいいから!!」
まったく、心臓に悪いったら。
真っ赤になった頬をさすりながらシキと同じように片付け作業に入ったタチバナを横目に、シキはぷりぷりと怒りながら呟いた。
とりあえず、その耳が仄かに色づいていたかどうかは、タチバナだけが知っていた。
珍しく砂糖だばぁ。