とある『鈴の君』の話。
ぐちゃぐちゃ、べちゃべちゃ。
ごり、ごりゅ、ごきんっ!
びし、ばし、ひゅっ!ばちん!!
「い、いや、嫌よ」
クスクス。ケラケラ。ニタニタ。
アハハ。ウフフ。
「嫌よ、こ、こないで、くるな」
ごり、ごりゅ、ぐりゅ、ばきっ!
コツ、コツ、コツ、コ、ツ。
「来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
ぶつん。
ばちり、と音がしそうなほどの勢いで女は眼を覚ました。
己に宛がわれた寝室は、わざわざ西大陸の故国の様式にあわせて造らせたものだ。
天井から最高級のシルクで織られたレースの天蓋が下がり、窓から差し込む直射日光を柔らかなものへと変えている。
大人三人は優に眠れるその天蓋付のベッドの上で眼を覚ました女は、乱れた己の金の髪を整えることもせずに自身の身を抱きしめると、憎々しげに虚空を睨んだ。
「おのれ、おのれ…っ」
恐怖と怒りに腕を振るえば、伸ばされ美しく整えられた爪が天蓋を引き裂いた。
庶民には決して買えぬ高級品のその天蓋を引き裂いて、それでも女は感情の暴走が治まらないのか、枕もとに用意された水差しや、花が生けられた花瓶までをも引き倒し、破壊する。
「許さない、許しはしないわ、四季の魔女………っ!!」
ぎり、と唇を噛み締めて、女は届かない場所にいる四季の魔女に呪詛を吐く。
女に、安息の眠りは無かった。
女に、呪いを反すだけの力も、返す場所も無かった。
向けられた呪いは、己の周囲に纏わりついたモノを具現化したに過ぎない。
これは瘴気が見せる幻。
眠れば己がしてきた所業を追体験させられる、そんな呪い。
どんなに強固な結界を張ったとしても、完全には防げず、少しでも気を緩めれば侵食されるかのように悪夢を見せられる。
静かに眠れるのは、女の魔力が最も高まる満月の夜にだけ。
狂わずにいられるのは、女の仮にも司祭としての能力が高いが故だった。
「鈴の君、どうかしたのかね?」
破壊音が聞こえたのだろう、男が湯船へと繋がる扉から顔を覗かせた。
白く、肉が垂れ、そう、女が男を喩えるならば豚と呼ぶほどに肥えたその姿を視界に入れた女は、哀れを誘うように泣き崩れる。
「あぁ、我が君…。悪夢を、見たのでございます」
「おぉ、またしても…哀れよの、鈴の君。そなたに何の罪があったというのか。魔女は、残酷だ」
「いえ、いいえ、我が君。全ては魔女を救えず、堕ち行くを止められなかったわたくしの不徳の致すところですわ」
はらはらと涙を零しながらそう告げる女に、男は慈しみと、欲をない交ぜにした視線を向けながら、女の背を撫でた。
「鈴の君や、もう少し待っておれ。我がそなたを、そしてそなたが救わんと願った魔女を今一度救う手立てを見つけてやろうほどに」
「我が君…温情、感謝いたします。必ず、必ずや、ご恩に報いますわ」
あぁ、なんとうすっぺらいやり取り。
果敢なげな様子を取り繕う女は、男にしな垂れかかりながら女は内心で嘲りを隠さずにいた。
この国の王ともあろうものが、なんて単純。
「あぁ、わたくしったら、恐ろしさに幼子のように振舞ってしまって……」
「よい、よい。天蓋なぞ、いくらでも新しきものが手に入ろうぞ。そこな水差しも、花瓶も、そなたを襲った恐ろしさを少しでも掻き消すことができたのなら、本望だろうて」
憎悪のままに荒らした寝台の周囲を、そう言い訳すれば、猫なで声で男はそれを信じた。
本当に、なんて。
「寛大なお言葉、ありがとうございます。愛しておりますわ、我が君」
醜いのかしら。
早く、早く早く早く、あの魔女を殺す手立てを得て、この国ごと壊してしまわなければ。
(あぁ、だめねぇ……。せっかく美しい人形もいるのに、全てを壊してしまってはもったいないわ。ちゃんと活用しなければ)
「我が君、どうか、どうか、お情けを、くださいまし……あぁ、早く」
脳内で計画を練りながら、女は男の背に腕を回した。
息を荒らげ覆いかぶさってくる男に、艶然とした微笑を返して、女は目蓋を閉じた。
(そう、早く)
魔女を、殺す手立てを。