少し、話をしようと思う。
酒を奢ってやろう、と笑うカレンに誘われてデューフェリオとイブキは夜の酒場に足を踏み入れていた。
隠れた名店というやつらしく、棚に並べられた酒類は見事な品揃えを誇り、出される酒のつまみも美味だ。
惜しむらくは、彼らがよく通う酒場と違って静かだと言うことか。
デューフェリオもイブキも、二人揃って知っているのは馬鹿騒ぎの乱痴気騒ぎが当たり前の大衆酒場で、この静かさがとても場違いに感じる。
加えて、個室でカレンと三人きり、というのが拍車をかける。
男二人に女一人。
普通ならば女の身の危険を考えるべき状態だが、カレンには素手であってもボコられる未来しか見えないのでそういった方向ではまったく何も考えなくてもいいのだが、訓練所でのシンプルな武装した姿や、カフェでのエプロン姿しか知らない彼女のひどくラフな恰好は心臓に悪い。
いつものポニーテールの髪は下ろされて、シンプルなのは変わらないけれど武人としてよりも女性として感じさせるショート丈のオフホワイトのワンピース。
それを膨らまぬようにだろう、腰で押さえるベリーショートのコルセットは柔らかなこげ茶色。
編み上げタイプのロングブーツは実用性も兼ねておりながらもカレンにしては珍しく白と飾りにレースがあしらわれたものだ。
「にしても、姐さんが誘うなんて、槍が降りそうだぜ」
「はっはっはー、そぉんなことを言うなら奢らんぞ?」
「すんませんした!」
デューフェリオたちは力量的に参加できなかったマギコックローチ殲滅作戦の報酬がおりたとかで余裕があるし、少しの愚痴を聞いてくれるなら奢ろう、とギルドの入り口で誘われたときは、二人揃って何があったと眼を丸くした。
何しろ、彼女はあの店で上手くやっているようだったので。
そのままそれを言葉にすれば、東大陸の果実酒のひとつである梅酒を一気に呷ってから泣きそうな顔でカレンは笑った。
「あそこは、居心地がいいからなぁ……一点を除いて」
「一点、でござるか?」
「あぁ、なぁ、お前たちは恋をしたことが、あるか?」
その一言で、カレンが何を言いたいのか二人は理解してしまった。
デューフェリオも空気を読めないだとか色々言われている人間ではあるが、カフェ・ミズホの面子を考え、カレンの恋愛嗜好が至って普通だと言う前提の下ならば、分かってしまう。
当然、空気を読むことに関してはデューフェリオよりも長けていると豪語できるイブキも、速攻で理解してしまう。
「ははっ、情けない、情けないよなぁ」
「姐さん」
「カレン殿…」
ぐでん、とテーブルに突っ伏して、カレンはヤケクソになったように言葉を連ねる。
「出会った時から、見えてたんだ。分かってたんだ。あの綺麗な人は、私に振り向くことはない」
なのに、無謀にもカレンは彼に恋をした。
自身の中に潜む歪を隠し、穏やかに微笑み、けれど時折迷子のように彼女を捜し、彼女の傍で焦がれるその姿に。
「カレン殿、その、それはフィリー殿には……」
「言ってない。明かせる訳がないだろう、こんなこと」
きっと、明かしたら。
フィリーはカレンを慮って此処から離れて住もうか、とか言ってくれる。
だが、カレンはあの場所を離れたいわけでは決してないのだ。
どんなにこの恋心が心臓を握りつぶしても、カレンが好きになったのはシキを(歪だが)愛したタチバナなのであって。
シキを大切にしない、シキに焦がれないタチバナなんて、好きにならなかった。
だって、タチバナを『タチバナ』という人間にしたのは、本人に自覚はなくともシキなのだ。
それに、タチバナがシキを『喰った』あの時は別に恋まで発展していなかった、と、思う。多分。
「その、姐さん……」
「撫でろ」
困ったようにうろうろと手を彷徨わせるデューフェリオに、カレンは一言命じた。
言われるがまま、デューフェリオは突っ伏したままのカレンの頭を撫でる。
少しだけ硬い赤銅色の髪が、鱗が所々見え隠れする彼の指をすり抜ける。
「ふふふ、案外、撫でるのが上手いじゃないか、デュー」
「そ、そりゃ、兄弟多いし……」
珍しく愛称で呼ばれたデューフェリオは視線を彷徨わせ、隣のイブキに助けを求める。
が、そのイブキもどうしたらいいのか、と視線を彷徨わせていた。
男二人、まったく役に立たない状態である。
「それになぁ、困ったことに、あの人は今ある『家族』の形を崩さないように、壊さないように、必死なんだ」
「どういうことでござる、か?」
首を傾げるイブキに、デューフェリオに頭を撫でさせたままカレンは笑う。
「あの人は、元々リヒトシュタートの暗殺者だったのは、知ってるな?」
「はい、噂で聞いたでござる」
「あそこは、獣人や竜人、エルフ、他国との混血児にとって地獄だ。あの人も、あの地獄で生きるために、いろんなことをやってきたらしい」
ハニートラップ、毒殺、刺殺、絞殺などの暗殺。裏切る仲間の粛清。
果ては、あの美しい顔と体を使った、男女を問わない夜伽。
己の人間としてのプライドを捨てて、生きるために生きていた。
「だから、大切なのは、己一人だったんだと」
だが、今は違う。
シキと己が最も大切だけれど、カレンもフィリーも、最近はシオンも。
一緒に暮らして、一緒に食べて、働いて。
それが、大切なのだと。
手放したくない、取り上げないで、たったひとつの、俺の、宝物と、声に出さずに叫んでいる。
「自分以外何もなかった所にでっかい宝物が転がり込んだものだから、手放さないようにしてるんだ、あの人」
それはもう、必死で。
本人は隠しているように振舞っているけれど、シオン以外にはバレバレである。
それとなく、過保護なのだ。
柔らかな微笑に隠されているせいか判りにくいが。
「はー…あの怖いにーさんが、なぁ……」
冬にタチバナにフルボッコにされたデューフェリオは、想像がつかないとぼやく。
当然、イブキにも想像がつかなかった。
「ああも必死に守ろうとされたら、なぁ。出て行けるわけがないだろう?」
「想像はつかないけど、宝物を抱え込んでるガキから取り上げようとか、思えねぇってのは、わかる」
その例えに、カレンはぶふ、とふき出した。
ガキ。27にもなろうという男を指して、ガキ。
間違っていないけれど。
「はは、そうだなぁ。それに、私はシキも好きなんだ」
「恋敵なのに、でござるか?」
「あぁ。友人であり、そうだな、姉、みたいに感じているんだ」
最初に、あの凍りついた森の中助けてくれた、少しだけ骨張った仕事をしているあの温かな手を、思い出す。
あの手が、カレンたちを救った。
あの手が、カレンたちを労わった。
あの手が、この家族を繋いでいる。
「結構天然で、でも時々怖くて、心配してくれて、撫でてくれて、優しくて、なんて言葉にしたらいいんだろうな。うん。やはり姉だな。そんなシキと笑っている彼が、好き、なんだ」
だから、カレン自身もあの場所を離れられない。
あの優しい空間にいたい。
きっと、シキを姉のように好きになったから、タチバナに恋をした。
「私の恋の全ての前提に、シキがいるんだ」
なんとも、複雑怪奇な恋模様よ、と苦笑する。
「カレン殿は、どうしたいのでござるか?」
「どうもしないさ。このまま現状維持。初恋は叶わないっていうジンクスを私も全うするだけさ」
愚痴りたかっただけだ。吐き出したかっただけだ。
どうにかしたいと、相談しているわけではないよ。
頭に乗っていたデューフェリオの手を外し、カレンは透き通った眼差しで二人を見つめて言った。
「姐さん、それは、苦しいんじゃねぇの?」
「ふふ、あまり苦しくはないさ。誰にも知られずに殺されるこの恋心を、お前達が知った。誰かが知っている、それだけで、楽になれる」
「そういうもので、ござるか?」
「そういうものさ。私の中ではな。ほら、聞いてくれた礼だ、好きなものを飲んで、喰え」
冷めてしまったウインナーにマスタードをつけて、カレンは大口を開けてそれを頬張った。
そして、追加の料理と酒を晴れやかな顔で店員に頼む。
カラ元気とも、本当にスッキリしたとも取れるその表情に、デューフェリオとイブキは、カレンという女の強さを見た。
フィリーがシキに恋愛話で絡むのに、カレンが最初はともかく最近あまり乗ってこなかった理由のお話。
カレンは己の恋よりも、シキとの友情を選びました。
シキも、フィリーも知りません。
隠し事が苦手なカレンの、全力の隠し事。
決して明かさぬ、悟らせぬ、と誓った隠し事。
そして予定通りに、デューフェリオとイブキにフラグを立ててみました。
後は彼らの努力次第。どう転ぶかは作者もあまり考えてない。