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『橘』  二




飛び出した後がまた大変でした。

持ち物は、シキが召還された当初持っていた小型の本が入った鞄ひとつと、節約を重ねて三日分が限界だろう携帯食料。

武器は短剣が一振りとナイフが一本。それと、いくつかの暗器。

防具などは無く、着の身着のままという言葉がぴったりの恰好でした。

それ以上は、持ち出せなかったのです。

俺はともかく、シキへの監視はかなり強化されており一人で街に下りることもままならない状況でした。

下りられたとしても、旅装や旅をするのに必要な道具を揃えること等到底不可能でした。

俺自身も、旅支度など用意すれば足抜けを疑われ即座に処分されたことでしょう。

携帯食料を用意するのだって、本当にギリギリだったのですから。


「うー、さむ。とりあえず、隣国の街に着いたら身支度をしよう」

「お金はどうする気ですか」

「そこは大丈夫。宝石とかがいくつかね。隷属の首輪ってさ、無効化レジストされると壊れるんだけど…宝石とかの装飾部分は残るんだよねぇ。ま、首輪の部分が本体だから当然だけど」

「……どうやって、無効化したのですか?」

「簡単だよ、あれってわたしがタチバナにやったみたいに名前で魂を縛り付けるんだけどね、本名じゃなきゃ効果ないんだよ」


そう。『シキ』というのは彼女の本名ではなかった。

召還された瞬間から、彼女は周囲を警戒していたのです。

当然と言えば当然でしょう、見知らぬ人間に自身の敵か味方か分からぬうちから、気安く名前を呼ばせる輩はいません。

そして彼女は、本名を誰一人として明かさなかった。


「『シキ』は確かにわたしの名前の一部。一部だけど、そのものじゃなくて……こっちとは文字の形態が違ってて、名詞ごとに決められた文字があるっていうか。まあ、文字の数が半端じゃないのね。わたしの名前を表わすその文字も、読み方がいくつもあって。シキっていうのは、本名の一部の別の読み方」


しかも、名乗った名から本名を特定されないようにもしていた。

これでは、隷属の首輪が効果を表わせないわけです。


「タチバナになら、いつか教えてあげる。巻き込んじゃったからね……ちょっとしたお詫びかな」


白い息を吐きながら、シキはいいました。

少しづつ、シキの体が冷えていきます。同時に、俺の体も。

追っ手は一日ほどは来ないでしょうが、そのうちにどれだけ遠くへ逃げられるかが、今後の自分たちの安否にかかってきます。

目指すは隣国。国境さえ越えてしまえば、正規の騎士などは追いかけてこれません。

冷える体を温める効果も狙って、俺はシキを抱えたまま夜の森を疾駆しました。


走って走って、なんとか隣国の国境の街に入ったのは昼を迎える寸前のことでした。

身分証明などできないので、密入国です。

そのまま冒険者ギルドに向かい、登録し。

そして案の定、ギルドマスターに呼び出されました。いえ、むしろシキが呼び出したと言うべきでしょうか。

普段は抑えている魔力を全開にしたのです。

あまりの魔力に、失神者多数。

ですが、これが後々生きてきました。


「異世界召還…あの国も、落ちぶれたものじゃな」


ギルドマスターである魔道士の老人は、この世界では名のある英雄レベルでなければ持てない魔力保有量を感じて、シキが異世界人であることに納得したのです。

トドメは彼女の持っていた鞄の中身でした。

鞄の中に入っていた本は全てこちらの世界ではかなりコストをかけなければ再現できないであろう、不純物のない純白の紙を使っていたのです。

おまけにその内容はあちらの世界の風景を丸々写し取ったものを本に仕立てたというシャシン集というものから、レシピに辞書など多岐に渡ります。

この世界の何処にもない、塩の大地や誰も到達できない深海の風景、異常に正確な地図などを見せられたら、納得するしかありません。


「…事情はわかった。じゃが、即座に旅立ったほうがよかろうて。ここではあの国に近すぎる、直に暗殺者どもがこぞってやってくるぞ?」

「ですよね。で、避難するのにいい場所ありません?」

「そうじゃな、此処からさらに東の、交易都市国家ラグを目指すがよかろう。あの国は都市サイズしか国土を持たぬが、ギルドの本部があるが故に誰も手出しが出来ん。ギルド制度に協力しておる国全てを敵に回してしまいかねぬからの」

「永久中立地帯ってやつね。到達まで協力はもらえる?」

「当然じゃ。この世界に関係の無い人間を無理矢理こちらの事情に巻き込んだのじゃ。援助位せねば薄情と言うもの」

「あの国の暴走みたいだけど?」

「それでも、じゃ。遙か昔、魔王討伐のため召喚された者がおったのだが、その力を利用され使い潰され、かなり非道な扱いを受けて、最終的に精神崩壊を起こしての。この大陸の南半分を崩壊させたのじゃ」


この西大陸の南側は、険しい山脈と無数に走る断崖絶壁によって人の住める地域が限られています。

西の果てには強い魔獣が多く生息する『魔の森』と、その森を押さえ込む盾の国があります。

この国は丁度大陸の真ん中あたり。リヒトシュタートはこの国の北側山脈の盆地にあります。

我ながら、よく一晩で駆け抜けたものです。


「ふぅん…同じ轍は踏まないってこと」

「その通り。他のギルドには連絡を付けておくから、困れば即座に頼ってくれぃ」


納得したギルドマスターから、冒険者としての身分証を即座に発行してもらった俺たちは、何処で聞いていたのかは知りませんが、旅に必要な装備と食料などの野宿に必要な一式を括り付けた馬を一頭譲り受け、その日のうちに旅立ちました。

軍馬を寄越してくれたらしく、助かりました。

シキは、乗馬が出来ませんでしたから。


旅は、暫くは順調でした。

立ち寄ったギルドに聞けば、凍りついた城や屋敷を溶かすのに魔道士を全員起動して丸一日。

氷を溶かしたがためにずぶ濡れになった家財一切をどうにかするのに三日。

その間はあのいけすかない貴族や僧侶どもが、一般市民が使っている毛布を買い込んで暖を取っていたと言うのですからお笑い種です。

当然、あの規模の氷や水の処理をした魔道士は魔力切れで使い物にならなくなり。

獣人たちを使って片付けさせても、限界がある。

案の定、体調を崩した者が続出し部隊編成が滞り。

何とか俺たちへ追っ手を放つことが出来たのが、あの夜から二週間後だったというのですから。


「順調だねぇ。油断してると、足元掬われそうだけど」

「そろそろ、暗殺者たちが追いつくころでしょうし。あなたはどうするつもりなのですか?」

「殺すかって?」


言うなり、彼女は風の刃を打ち出しました。

リヒトシュタートを脱出して早一ヶ月。

季節は春になろうとしていました。彼女の魔法も、異名である『四季』の通り変化していました。

そして風の刃が薙いだ後には、気絶している数名の獣人。

首につけられた隷属の首輪とそれに刻まれた紋章は、死の翼のものでした。


「ほい、首輪は破壊っと。適当に時限式にした結界を張って…うん、こんなものかな」


隷属の首輪をいとも簡単に破壊しつつ、シキは気絶した彼らの周囲に結界を張ります。

もとから予定していたかのような動きに、俺は納得しました。

彼女に殺す気はない、と。


「わたしに使われたのよりモロいね。この隷属の首輪。所有者の命令に従わないと苦痛を与えるだけ、か。名前で魂から縛るわけでもないし、汎用型かなぁ。そう考えるとあれってそれなりに高性能だったんだね」


首輪の残骸から込められた術式を感覚だけで読み取り、シキは呟きます。

言葉だけで俺を呪縛したシキ。

けれど、俺に命令を出していた連中とは違って理不尽な命令は一切しないシキ。

縛ったことを謝罪するシキ。

今では、名を呼ばれても魔力を込められていないせいか、彼女を害せずとも命令を拒否することは簡単です。

そう、俺の名と魂を縛っておきながら、彼女は自由にしろと手綱を離しているのです。

ならばなぜ、彼女から離れないのか。

一番の理由は、ラグにたどり着くまでは協力したほうが都合がいいから。

けれど、それだけではないことに俺自身気がつき始めていました。


野宿のときに用意されるご飯が美味しかったり。

一個人として、俺の意見を聞き尊重してくれたり。

俺がいれば何の心配も要らないとばかりに無防備に眠る姿だったり。

彼女が話す異界の故郷のやさしい物語だったり。


色々理由になりそうなものはありました。

ただ、一言でまとめるならば、「シキの傍は居心地がいい」ということでした。

出会って一ヶ月弱。

互いに隠し事ばかりです。

ですが、互いに居心地の良さを感じているのは事実でした。

一人ぼっち同士の依存と言われてもしかたがないことも承知です。

ですが、人扱いされなかった俺と、この世界で一人ぼっちのシキ。

寄り添うのはいけないことでしょうか。


そうして、リヒトシュタートの襲撃から逃げ切った俺たちは、無事にラグにたどり着きました。

到着して即座にギルドと公爵家の後ろ盾を得て、同時に戸籍を得ました。

生活していくために、公爵やギルドの手助けを受けながらカフェを始め。

気がつけば、彼女と出会って三年以上がたちました。

シキが召喚されて、五年が経過していました。この冬は六年目の始まりです。




「とり粥できたよー。ネギ欲しい人は自分で好きなだけどーぞ」

「「「いただきます」」」


まだ眠くてたまらないのでしょう、カレンがうとうとしながらそれでも匙で粥をすすります。

フィリーはネギの香りが好きらしく、追加をたっぷり入れています。

俺とシキは半熟卵です。


「美味しいわ…温まるわね」

「お、おかわりはあるだろうか!」

「あるよー。そこの鍋から好きにどうぞ」


女三人寄れば姦しいとはよく聞きますが、俺にとってそれは寂しくもうれしいことです。

狭く閉鎖的な世界は、もううんざりなのです。

俺は、沢山殺しました。変えられない事実としてそれは存在しています。

道具からヒトへ、そして個人の『タチバナ』となった今、生きるためにやったそれがひどく重苦しく感じるようにもなりました。

けれど、その重さがシキと共にあるために必要な重さなのだから仕方がありません。

シキは、いつでも俺が好きなところへ旅立てるようにと未だに手綱を離したままです。

ならば俺はこの居心地のよい場所に居座り続けます。


「シキ…髪が跳ねたままですが」

「げっ、うそ、直したつもりだったのに!?」

「今日はもう諦めて、編みこみにでもしてしまえばいいんじゃないですか?」

「えー…タチバナ、やって」

「はいはい」


彼女にとっても俺がここにいるのは居心地がよいみたいなので遠慮はしません。

家族には程遠いでしょうし、俺も正しい家族の形を知りませんが、こうやって兄妹のようにずっとじゃれていられたらと、願わずにはいられないくらいには、此処が大切なのです。

初めて得た、居場所というものですから。



まぁ、たまに無防備すぎる彼女を食べたくなるのは、ご愛嬌と言うところでしょう。




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