08 薔薇の夢
足元に、黒い渦が現れる。
その渦から深紅の薔薇が一輪出てきた。ただなんとなく、その薔薇を摘もうと手を伸ばして触れたその瞬間。
ドッッックン!!
胸を押し潰されるような衝動に息を吐きながら、飛び起きた。
怖い夢でもないのに、嫌な汗が垂れ落ちる。息を吸い込むと落ち着いてきた。
簡易ベッドただ一つの小さな部屋に、月らしい光が差し込んでいる。まだ夜だ。
また睡魔に襲われたので、気にすることなく再び横たわり目を閉じた。
隣に誰かが立っている気配がしているような気がしたが、それを確認することなく深い眠りに落ちる。
「起きろ! エリ!!」
怒鳴り声にいきなり叩き起こされた。赤毛で茶色のつり目が、途切れ途切れになる視界にいる。
「……あと一時間」
「ざけんな! 今しかないぞ! シャワーに入るのは!」
まだ寝足りない。何度も上がったり下がったりする瞼を閉じれば、ティズにどつかれた。
あーそうだった。朝じゃなきゃシャワーする時間ないんだっけ。
寝惚けたまま仕方なくベッドから這い出る。
「……叫ばれるのを覚悟で入ったのに……気にもしないんだな」
むっすりした顔でティズが呟いた。袋から着替えを探りならボケーとその言葉の意味は何かと見上げる。
「寝ている間に部屋に入られたら、普通女は叫ぶだろう。お前の場合、足を出すかと思った」
「あーね。あたしこんな広さの部屋で、親父と二人で住んでたからさ。異性が入っただけじゃあきゃーきゃー言わん。起こしてくれてサンキュ、シャワー何処?」
「……貧乏?」
着替えを見付けて立ち上がると、ティズは控えめに訊いてきた。
「ああ、貧乏だよ。父親は不良でね、不良ってわかる?」
「わかる」
「つまり経歴は悪くていい仕事にはつけなかった、その上気性荒くてね。仕事転々としてた。でもまぁ、それでもあたしを養ってくれたし……愛してくれるいい父親だよ」
不良って言葉が通じるかどうか不安だったが、通じるみたい。
さらりと父親と今までの生活の状況を簡潔に話して、最後にフォローする。
いい父親だ。本当に。
男手一人で、ちゃんと養ってくれた。喧嘩して仕事をクビになっても、あたしのために生活のためにすぐに次の仕事についてくれた。高校まで行かせてくれたし、行く気があるならば大学も行けと以前言ってたっけ。
少し感傷的になったが、胸の奥に押し込む。
部屋を出てティズに案内してもらった。一階にある風呂場は、シャワーがいくつも並んでいる。湯船に浸かる習慣はないらしく、シャワーしかない。
三日ぶりに浴びるシャワー。
水を頭の上から被りつつ、あと何日で帰れるだろうかと思考する。
父さん、どうしてるんだろうか……。
「早くしろ! 先輩達を待たせるな!」
シャワーを浴び終えて部屋に戻って、制服の着替えに戸惑っていれば廊下にいるティズに急かされた。どうやら食堂でライリ達が待っているようだ。
「うっせーなぁ、ちょっと待てよ」
まだ髪すら乾かしていない。短い髪だからすぐ乾くからいいけど。
白いシャツを着た後、腕を黒の制服の袖に通したが、ブーツが履けない。紐がぐちゃぐちゃで結べそうにもないから、運動靴にしようかとしたがティズがドアを叩いて急かしてくる。履き替える時間もないのかい。
「ちょっと待てっつーの! うわっとっと!」
そもそもブーツなんてお洒落な品物に縁がなかったんだ。自分で履くのは諦めて、ティズに結んでもらおうと部屋を出る。
その際に垂れた紐を踏んづけて、転びそうになったが手をついて踏みとどまった。
手をついたのは、人の肌。というか腹。
足を見ていた目をその手に向けてみれば、昨日のせいで焼けたあたしの左手よりもこんがり焼けた肌色。
黒いYシャツを着ているのに、ボタンをつけていない。晒された身体は、くっきりと割られた腹筋と逞しい胸板。こりゃまたいい身体だ。ビール腹の父親と違って無駄な脂肪なんてない。
ヒューいい男……と顔を上げた瞬間、あたしは手を引っ込めた。
こんがり焼かれた肌をしたいい身体の男は、黒い髪をしていたが目が明るい。バタースコッチ色。
顔立ちもいい男だったが、その異常に惹き付けるよう瞳は、というか目付きは怖かった。
この世界に来て、何度もみた目付き。
平気で躊躇いもなく人を殺せる目だ。
ニックスよりも背が高いその男に見下されて、身構える。
「コイツか。新人は」
目を細めて笑みを浮かべるこんがり男は、目付きを変えない。殺気を向けられているわけではないが、いつ殺されるかわかったもんじゃない。
「本当に隊員になったんだ、へぇ」
聞いたことある声にこんがり男から目を逸らして、声の主を探せば隣にいた。
でた!! とこちらにも身構える。
こんがり男とは対照的で、白銀の髪に白い肌をしているレオルド。薄い青い瞳は、眠そうに興味なさげに向けられる。
「せいぜい死なねぇように、頑張れば」
フッ、と鼻で笑い退けてレオルドは廊下を食堂方面に歩き出す。
うわ、ムカつくっ!
「頑張れ、エリーゼ」
こんがり男はレオルドと並ぶように、それをやる気ない声で告げると歩き去った。
「エリだけど!?」
なに名曲と同じ名前に勝手に改名してんだよ!?
声を上げたが、届かなかったらしく行ってしまう。
不意にティズの存在を思い出す。あんなに急かしていた奴が何処行った、と振り返ればティズはドアの隣の壁にピッタリくっついていた。
「なに壁にくっついてるんだ」
「……要注意人物だ」
「?、レオルドか?」
「キングリーン部隊だ」
キングリーン部隊。もう一つの特殊部隊。
嗚呼、なるほど。こんがり男は、レオルドの直属の上司か。納得。
キングリーン部隊に入れられなくてよかった。
二人もあんな目をする奴がいる部隊なんて御免だ。
「つうか、なんであんな奴の部隊になんで五人もいるんだ? ライリの方が人望ある気がするんだけど」
「……全員、イカれてんだ。絶対にアイツらとだけは喧嘩すんなよ。サクッと殺す連中だ」
表情を強張らせているティズの様子からして大袈裟に言っている訳ではないみたい。
つまり五人全員、人殺しの目をしているのか。そうかそうか。まじでそっちに入れられなくて良かった……。
キングリーン部隊はアブノーマルな集まり、と頭にインプットしておいた。
「なんだ、髪が濡れてるじゃないか」
「乾かす暇がなかったんだよ。おはよ」
「おはよう、エリ。似合ってるわよ」
「サンキュ」
食堂は黒い制服の男でごったかいしていた。本当にむさ苦しい。
髪を掻きながら、ライリとニックスが取ってくれた席に座る。
制服は少し大きいが問題ない。
問題はあたしに向けられる視線。食堂にいるほとんどの隊員が見てきて、苛々してくる。軽く犯罪をやらかした顔立ちばかり、外見からしてマフィアみたい。
「喧嘩はするな」とライリは釘を刺した。ハイハイ。
白米が食べたいのに白米の代わりに、茹でたジャガイモを擂り潰したものが出された。あと分厚い肉。美味いな、この肉。
「今日は何すんの?」
「午前は剣術を叩き込む、私がね」
即答するニックスが意地悪い笑みを向けてきたので、顔を歪ませる。まじか。
「午後は魔術についての知識」
「同時進行であの跡地について調べる」
「……おう」
帰り道探しは午後。
すぐに見付かるだろうか……。
朝飯をたいらげれば、すぐにニックスの剣術訓練のため体育館程の広さの訓練場に連れていかれた。
昨日蹴られた仕返しなのか、初心者相手にオカマ野郎は鬼畜に叩きのめしてきた。
「てめえ絶対私情挟んでるだろ!」
「悔しかったら私を切ってみなさいよ。ほら、体勢が悪いわよん」
「おうおう切ってやんよこらぁあっ!」
構えやら振り方やらを事細かに指摘や注意されつつ、剣がオカマ野郎に触れるまで休憩なしでぶっ続けにやらされる。
剣と言っても木刀だったため、容赦なく振ったが当たらないは叩き落とされるはで、昼飯の時間までなぶられることになった。
「根性はあるけど才能はないわね」
「お前、剣術教える気ないだろ」
睨む体力すらなくてぐったりして昼飯も食べる気力がなかったが、空の腹が急かすので口に放り込んだ。
なるほど。だから午後は魔術の勉強なのか。これで武術の授業が入ってたら死ぬぞ、あたし。
確実に明日は腕、筋肉痛だなぁ。
朝よりも騒がしい食堂を出れば、三階へ案内された。ずらりと本が詰め込まれた棚が並ぶ図書室。
広さは図書館並。いや、図書館なんて中学に行ったきりだからよくわからんが。
少なくとも不良に落書きされまくった学校の図書室よりも大きかった。
「魔術は誰もが使えるわけじゃない。魔力があってもセンスがなければ扱えない。魔力の量は個々で限りが決まっていて、その力量によって使える魔術も限られる。先ず、魔術と聞いてなにを思い浮かべる?」
「あー、箒で空飛ぶとか、杖で物を動かすとか」
「なんで箒で空飛ぶんだよ」
どでかく分厚い本を広げてペラペラと捲るティズに、飽きられる。そんなこと言われても、あたしの世界ではそれが代表的だもん。
「つまりは使えたら楽チンな代物だって認識してるんだよあたしの世界は。最も絵空事なんだけどね」
「こっちの世界では、魔術は武器だ。戦闘に使う代物って認識している」
戦闘に使う代物か、物騒だな魔術。
と思いつつも、二つの世界の認識の違いを知り、気付いた。
「……あたしが言うのもなんだけど、よく異世界から来たって理解できたな」
「は? お前が言ったんだろ」
「自分で言っても、頭可笑しいって思った。実際最初は頭可笑しいって顔してたじゃんか。でも信じられる理由があったから、信じた」
隣に座るティズを頬杖をついて見上げる。
「魔女が関連してるかもって言ったら顔色変えたろ、お前ら。つまり異世界から人間呼び出すほどの魔術が存在するってことだろう? だから信じた、違うか?」
「……」
ティズは不可解そうに表情を歪ませて沈黙をしたが、渋々と言った感じに口を開いた。
「答えは、イエスでノーだ。魔女ならば異世界から召喚することも出来ると思った。だから信じたんだ。魔女は生まれつき、強大な魔力を持つ生き物だった。魔術専門の支部長ですら、魔女には敵わない。魔女こそが魔術の創造主だから」
この本も魔女の物だ、と開いた魔術の本を指で叩く。
魔女とは、昔にいた生き物だと言う。
人間と呼ばないのは、人間とかけ離れた魔力を持ったからだ。何より、魔術という存在を作り上げた者。
魔女は複数いたが、誰もが国境に住んだ。国が魔女の力を所有しないため。
いつしか魔女は死に絶え、いなくなった。魔女が魔術を記した本をそれぞれの国が持ち、それから魔術を学んだ。
「この魔術の本はメデューサの森の?」
「本が何処から持ち出したのかはわかっていない。この本がメデューサの森の魔女のものかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「……ふぅん」
頷きながら、古びた紙を見る。
この世界の言葉は通じるが、文字は読めない。これも魔術の一種なのだろうか。
「それで? センスがあるかどうかって、どう見定めるん?」
「……それ、お前の世界の訛りか?」
「るん? いや……まぁ、生まれ育った地域の訛りかな」
「へぇー」
全てあたしの頭の中では日本語に変換されているが、きっとあたしは端から見ればこの世界の、というかこの国の言葉を話しているのだろう。やっぱり便利だな、魔法って。
「これに渦を描けば、魔術の才能ありよ」
あたしとティズの間に硝子のコップが置かれた。水が四分の一入っていて、一輪の深紅の薔薇が入れられている。
それで昨夜見た夢を思い出す。
「なにこの薔薇」
持ってきたニックスを見上げれば、ニックスは木製のテーブルを大回りしてあたし達の向かい側にいった。
「薔薇は魔力の象徴よ。一説には魔女の主食だったと言われてる」
「一説好きだな、アンタは」
薔薇を食べるのか。美容に良さそうだけど、食べたい気がしない。
「魔力が増幅するんだ。やってみろ」
分厚い本を数冊抱えてきたライリが急かす。
薔薇って、この世界じゃあ魔法の花なのか。
「やってみろって、どうやって?」
「コップを握る。その手の中で渦をイメージするだけだ。水が手の中で回るよう念じたりするだけ」
「簡単そうに言うが、普通無理だぞ、あたしの世界の常識だぞ」
「じゃあお前の世界の人間共は、皆センスがねぇってことだ。さっさとやれよ!」
苛々した様子のティズが怒鳴る。
なんだよー、ぶー。
ふてくされつつ、コップを手にする。
普通無理だぞ。怪奇現象だからな。
違う世界の人間であるあたしが、そんな手を動かずにコップの中の水を掻き混ぜられるわけないだろう。
心の中で文句を言いつつも、三人が見守るように薔薇が入れられたコップを覗くので、ダメ元でやってみた。
左手で握ったコップの中を掻き混ぜるように、ぐるぐる回る渦をイメージする。
昨夜見た夢の中の、黒い渦みたいに────。