02 ここ何処?
母親はあたしが物心つく前に、家を出たらしい。
父親は項垂れて心底悲しげな顔をするので、母親について訊くことはやめた。
落ち込む様が物凄い気持ち悪いんだもん。
父親は元族。
そんな男手一人で育てられたあたしは真っ直ぐすくすく育つ────わけもなく、短気と喧嘩の腕っぷしを見事に引き継いだ不良っ子に育った。
「髪切れ! バカ娘! てんめぇの長い髪が床に落ちてるとホラーなんだよ!」
「ギャア! やめろ! せめて女らしく髪伸ばさせろ! ハサミ出すなクソオヤジ!!」
喧嘩しては仕事をクビになり、また仕事についてはクビになるを繰り返す父親のせいで家計はギリギリ。女の子らしい服すら買ってもらえなかった。
取っ組み合いは日常茶飯事。
捩じ伏せられて、ブッ飛ばしての繰り返し。
いい子に育つはずはなかった。
蛙の子は蛙。
まともに勉強するはずもなく、偏差値ギリギリで選んだ高校は、同じ頭のレベルの不良がわんさか。
短気のせいで喧嘩を買いまくり、喧嘩喧嘩の学校生活を送った。
いつしかあたしは「番長」の座まで上り詰めてしまい、一般生徒は怖がり教師は目すら合わせてくれず、不良は列をなしてヤがつく人達さながらの挨拶をしてくる存在になってしまう。
そこで気付いた。
あたしの今後の人生、やべぇ。
「関東のてっぺん目指しましょう!」とほざく不良どもに「番長辞める」と告げてから早一ヶ月。
未だに不良達の態度は改善されず、登校すれば深々と頭を下げられる。
一般生徒は青ざめて、教師は視線すら合わせてくれない。
「これもあれも、父さんのせいだ」
「人のせいにすんじゃねぇ! 自業自得だろうが!!」
文句を漏らせば、酒が入った父親に拳骨を食らうはめとなった。
二人で住むには十分な広さのボロアパーとの一室。だが年頃の娘が父親と住むには、プライベートスペースという言葉は存在していないくらい配慮のない部屋だった。
確かに自業自得だと思う。
喧嘩を買って喧嘩して喧嘩を買って喧嘩をしたのは、あたし自身の選択だ。
やっちまったぜい。
だが、親にも責任があると思うんだ。
生活を支えるために仕事をしなくてはいけないのはわかるが、教えられるほどの頭脳がないのはわかるが、せめて勉強だけは見てほしかった。父さんのせいだよ、バカなのは。
思っても口にしない。
酒の入った父親と殴りあいになったらあたし病院行きだもん。酒が入ると加減ねぇんだもん。
「まっ。変わらなくちゃなんねぇって思っただけでも、大きな進歩だ。そのまま道を外して転がり落ちて、這い上がれないほどドン底に言った奴もいる……」
「やめて、お父さん。遠い目しないで、あたしはまだ手遅れじゃない」
遠い目をするオッサン。
そりゃあオッサンが見てきたドン底落ちの人生よりも、あたしはましだろうが。
そんな伝説にもなった族長のアンタと比べないでほしい。父親と比べたら学校の番長になったあたしはまだまだ可愛い方だ。
「俺が人生の厳しさを教えてやる。だからビール買ってこい、恵璃」
「パシるなよ! 未成年は買えねぇっつーの!」
「近くの自販、あれなら買えるだろうが。ほらダッシュ!」
父親が語る人生の厳しさって絶対に知らなくていい厳しさだと思う。
でも逆らうと病院に送りにされるので、投げ付けられた硬貨を握り寝間着のままボロアパートを出た。
黒のショートパンツに黒の半袖のダボダボシャツの下にショッキングピンクのタンク。どれも安物。
快適なので休日はこの服のままゴロゴロしている場合が多い。
変わるなら先ずは格好から入るか。
父親の給料じゃ無理だから、バイトして服買おう。
ほら、CMに出てるベビーフェイスでスタイル抜群なスーパーモデルを手本にしてみようか。
勿論あたしはベビーフェイスでなければスタイル抜群なわけではない。
父親に「その大根脚を晒すんじゃねぇ!」と怒られるくらいだ。あたしの大根脚はその父親と不良共を蹴り飛ばしていたせいだから。
あのスーパーモデルのファッションは誰もが真似しやすいってテレビで言ってた。
問題はその服を手にいれるためのバイト。あたしに接客なんてやらせてみろ、二言で喧嘩腰になるぞ。自信ある。
とりあえず馬鹿力を活用できるバイトを探してみようか。不良を放っておけない親方タイプの人をターゲットにすれば、きっと採用されるはずだ。うんうん。そんなこんなで親方に感化されてそのバイトが夢に変わってめでたしめだたしになるんだな。
「…………うん?」
長い長い思考に夢中で、全然知らない道を歩いていたことに気付かなかった。
何処だここ?
知っている人じゃなきゃ、決して通らないアパートの駐車場と民家の小さな畑の間にある脇道を出れば道路。その道路を渡っていけば、年齢確認不要の自動販売機。
アパートから五分で着くはずなのに、自動販売機の光は見付けることが出来なかった。
ていうか、昼?
おいおい、夜だったろう。
上を見上げると紺色の暗い空が、水色の明るい空に変わっていた。
昭和からありそうな家が並んでいたボロの住宅街が、石のような壁に変わっている。
まるで迷路みたいに壁が並んでいた。
あれ? あれれ?
あたしは何処で道を誤ってここに来てしまったのだろうか。
人生の道について考えていた最中に、一本道を歩くだけだったのにどうして迷った。
つうかここ何処だ。
「……?」
引き返せば戻れる気がして振り返るが、その先も背丈以上の壁が一枚一枚並んだ迷路が続いている。
前も後ろも壁の迷路。
なにか騒ぎが聴こえる。
音を頼りに歩いてみた。騒がしい音、まるで鉄パイプで喧嘩してる音に似てる。それより軽い。
時折聴こえる呻き声や悲鳴からして、喧嘩でもしているのだろう。
その連中に道を尋ねようか。
あたしの近所にこんな迷路なかったはずだが、一応聞いてみよう。良くも悪くも顔が広いから、あたしを見るなり喧嘩はやめてくれるだろう。やめてくれなかったらぶっ潰すだけだ。
どんどん音が大きくなる。
石の壁を右や左と曲がっていくうちに、血痕らしきものを見付けた。
パイプで殴られて切ったにしては、量が多い。そう思ったが、それでも足を止めることなく、進めてしまった。
ぺちゃ。
飛んできたものを反射的に避ければ、壁に真っ赤な色が花を咲かせるようにつく。それが血だってことはわかる。
ぐしゃりと落ちる誰かの身体。あたしの足に引っ掛かる誰かの身体。足の踏み場もないくらい無数に倒れている誰かの身体。
悲鳴が上がる。呻きが消された。
次から次へと血が飛び、誰かが倒れていく。頑丈そうな鎧を身に纏っていると言うのに、容易く白い刃に切り裂かれていった。
一方的だった。圧倒的だった。
それを表現するのは確か、そうだ────殺戮。
囲まれているにも関わらずソイツは、たった一つの頼りないくらい細い刃を振って大勢の赤紫色の鎧達を切り裂いていく。
殺している、殺されている。
血塗れの乱闘には見慣れていたが、桁が違う。血の臭いが濃すぎだ。
息の根を止めていた。殺すために腕を振っている。それに迷いなんてない。
人が人を殺している。
目の前でその行為を見せられ、無数の死体を目の当たりにして、吐き気が込み上がった。
殺しだと理解した途端、凍り付いて動けなくなる。
今すぐ引き返してしまえばよかったのに、恐怖で強張って動けずに立ち尽くした。
いっそのこと、気を失いたい。
切りつけられた一人が、あたしの方に倒れてきた。あたしは避けることができず、それに押し潰されるように一緒に倒れる。
辺りは静まり返った。
全て終わってしまったようだ。
死体に押し潰されたままあたしは、息を潜めて気配を消した。死体の中から逃げ出したいが、殺されるよりはましだ。黙って唯一立っている男が去るのを待った。
頼む、気付くな。
気付くなと念じる。
足音が近付く。死体のように動かないようにした。だけどそんな努力を、その男はぶち壊して無意味にする。
「そのまま、死体と串刺しにされたいのか?」
バレていた。
さっき目が合ったのは、気のせいではなかったらしい。あたしがいることに気付かれていた。
あたしの人生、終わった。
ならば潔く散ってやる!
そんな混乱の果てに変な意思が沸いてきて、力の限り死体を押し飛ばして起き上がる。
目の前に立つのは、異形な男。
太陽に照らされて白銀の髪が透けてしまいそうで、肌の色は病的なほど白い。真っ白だった。
冷たく見下ろす瞳は空と同じ水色に見える。
「……奴隷?」
ぺち、と白い刃があたしの足に当てられた。いつその刃にグサリとやられるかわからない状況の中、男がじろじろと素足を見ていることに恥ずかしさを覚える。
「にしては汚れてない」
あたしの腕をなぞるように、白い剣が動き黒いシャツが剣先に引っ掛かった。
奴隷?
奴隷ってなんじゃい。うおい。
混乱と恐怖に目が回りそう。気絶してしまいたい。
「ま、いっか」
男が口に漏らした言葉は、"どうでもいい"とか"めんどくさい"という意味が込められていた。
いや、いや。だめだろおうい。
あたしが声に出す前に、男は白い刃を振り上げた。
容赦なく剣は振り下ろされたが、あたしの刺さることなく地面に叩き付けられる。
咄嗟にあたしは横に転がって避けた。
やっぱり死ねねぇ!!
誰のだか知らない剣を掴み、立ち上がる。男は不愉快そうに、眉間にシワを寄せた。
「ちょっとアンタ。怪我してんなら無理すんなよ」
「……?」
「いや、右腕……」
「?」
気丈になろうと無理矢理笑って、強きに言ってみる。剣って鉄パイプ振り回すのと同じ要領でいいんだよね?
相手は右腕怪我してるみたいだし。
多少の勝算を糧に震える身体に鞭打ったのだが、相手の反応はイマイチだった。
"何言ってんだコイツ"的な顔をされた。
あれ? 違う?
一応男の右腕、というか肩を指差す。微かに上げにくそうに見えたから、怪我してると思った。
男は指を差された肩に触れる。離した手には、べったり血がつく。
真っ黒い服だったから出血しているとは思わなかった。
彼は初めて自分が怪我していることに気付いたらしく、目を丸める。
……大丈夫か、この人。
「何してる!!」
怒声が響いてあたしは震え上がり、剣を落とした。
「ここはオレ達の持ち場だったはずだろ……命令に従え!」
「とろいのが悪いんだろう。もう終わった」
鋭く飛ぶ声に鬱陶しそうに返す白い男は、血に濡れた手をポケットにしまう。歩み寄るのは、男と同じ黒い服を着た人達。
殺人現場、というか殺戮現場に居合わせたあたしは状況を理解しようと頭を動かした。
足元に転がっているのは、間違いなく今さっき殺された死体。鎧みたいな物を身に付けている。
目の前に立つ黒い服の人達もよくよく見たら甲冑をつけていた。なんか防弾チョッキみたいだ。
その後ろには森。あたしの後ろには石の壁。
ナポレオン時代の兵みたいな格好。というかなんかこう騎士? こうゆうのなんて言うんだっけ、なんだっけ、そうだ時代錯誤だっけ。
「終わったって……このどれ……少女は誰だ?」
「知らない。ここにいた」
今奴隷って言いかけた。奴隷ヨクナイヨ。
あっさりと白い男は答える。知らない少女を殺そうとしちゃいけないと思うんだ。
「知らないって、お前……」
「……あの……」
白い男よりも背が高く肩幅が広く体格のいい男に、とりあえず敵じゃないと示すように両手を向ける。
奴隷と間違えるくらいみそぼらしい格好だ。脅威には見えないはず。だから切りつけないで、と念じる。
「……ここ何処……?」
それが精一杯だった。