手紙
この世界のことなら大体わかったから、連れて行ってよ。(揶揄)
この世界のことなら大体わかったから、連れて行ってよ。
あの歌詞は私のことだと思ったね。小学校上がるくらいまでは笑顔の多い子供だった自覚はある。けれど、保育園が好きだった私は小学校に上がる前から小学校に行きたくないと思いながら過ごしていた。それでも親は教師だったので、勉強はそこそこにこなした。そう過ごすうち、だんだん子供らしくないと言われた。小学校低学年の頃、授業中にうっかり寝てしまったことがある。それ以降、卒業するまで周囲の笑いのネタにされた。実につまらないと思った。しかもよりにもよって、担任の授業だったのだ。教師の子供とは思えないほど、私は学校というものが嫌いで仕方なかった。最悪のことに私のお世話になった保育園は、老朽化で私が大人になる頃には建て壊され、今では公園かマンションになっている。
大人になった私はいつからか、珈琲とチョコレートだけで生きていけたらって思い始めた。昔は寧ろ食べることが好きだった。祖母の作るご飯、といってもごく普通の素朴な日本食だけれど。
「ゆい、今日も同じメニューだけど、本当にいいの?」
「うん。これが一番好きだから。」
食卓には甘く煮た黒豆、オクラと味噌汁と白米、ときどき佃煮が並ぶ。隣には祖父がいて、幼い頃はよく祖父の膝の上に乗ったものだ。「大きくなったな、もう足が痺れるよ」と言われるようになっても時折乗りたがった。祖父はいつも笑っていて、怒った顔は記憶にないほど、私は祖父も祖母も大好きだった。保育園から小学校まで、仕事で忙しい両親に代わって、私の世話をしてくれた。祖父が亡くなったのは、私が中学生の頃だ。夜に外で救急車のサイレンの音が鳴り響き、数時間後の深夜、家の電話が鳴る。今もあの頃の記憶は容易に想起することができる。不思議なことに、サイレンが鳴ったときも、胸騒ぎはしていた。祖父は商店街の会合の後、倒れたときに頭を打ってしまい、救急車で運ばれたそうなのだ。祖父は、地域の人に慕われていたようで、よく会合に顔を出していたそうだ。私がよく通っていた商店街の駄菓子屋のおじさんも私の祖父と見知った仲のようだった。駄菓子屋は祖父母の家から近くよく通っていた。そしてよく、焼き鳥を買いに行かされていた。
「おい、ゆい。お遣いだ。焼き鳥5〜6本、これで買えるだけ買ってきてくれ。」
千圓札を渡された私は、斜め向かいの焼き鳥屋へ向かう。近所なのに自分は食べたことのない店へ。
「おじさん、これで買えるだけ焼き鳥ください。」
「ん?ああ、嬢ちゃん、また頼まれたのか。ちょっと待ってな・・・はいよ。」
「ありがとうございます。」
商品とお釣りを預かって、私は馴染みの店へ戻る。
「戻ったよ。はい、お釣り。」
店主のおじさんに商品と一緒に釣銭を渡す。
「ああ、戻ったか。おい、ゆいのおばあさんはどうしてる。」
「おばあちゃんは変わりないよ。」
私はなにも駄菓子屋に店主のお遣いをするために来ているのではない。こちらは歴とした客なのだ。事実、話に出た祖母から貴重な小遣いを貰って、きな粉棒を食べているところだ。楊枝は今日も赤、当たりだ。気分が良いので、おかわりはしない。手にはまだ今日買ったアイスキャンディーがある。
駄菓子屋のおじさんは、祖父を亡くした祖母のことを気にかけているのだろう。
「そうか・・・。俺もそのうちお迎えがくるが、なんでか惜しい人ほど、先に逝くんだよな。そうして厭な奴ほど長生きするんだよ、なんでだろうな。」
ふむ。私は心の中で、後者はずる賢いからかな、と呟く。目の前ではレトロゲームをしている子供たち。また商店街を歩く観光客からは「懐かしい」といった言葉が飛び交う。
そう言っても買わないんだろうな。しょっちゅう見る光景に、私と店主は似たような顔をしていることだろう。そろそろ日が暮れそうだ。暗くなる前に帰らないと、祖母が心配する。
「さあね。じゃあね、おっちゃん。長生きしなよ。」
「長生きなんかしたくねえよ。今日はもう閉めるか。おばあさんによろしくな。」
駄菓子屋の両脇どちらからでも家に帰ることができる。薄暗い路地裏を通って帰路につく。店主は一人暮らし、だと思う。詳しくは知らない。店の上は自宅だろうが、周囲の家ももれなく古い。住んでいる人も老人ばかりだ。
路地を抜けて道路に出る。狭い道だが、偶に車が通るので気をつけなくてはいけない。家の反対側に出るとこれまた古いスーパーがあるからだ。
祖母の家の扉は重い。扉には「山中呉服店」と文字が彫ってある。祖父は生前、呉服屋を営んでいたようだ。確かに私の記憶にある祖父は自宅の工房で、時折頼まれた服を仕立てていた。ただその頃にはもう他の職人などはおらず、ごく稀に頼まれる修理でもいていたんだろうか。
当時は知らなかった。そんな祖父の姿を思い出したのは、祖母が亡くなってからだ。祖母はあと半年で百歳になる手前、母に看取られた。大往生だった。斎場で親戚が集まり、亡くなった祖母の話をすることになった。その時、祖母が戦中戦後の時代に生まれ、女手一つで育てられ、静岡から東京へ上京し、この月島で祖父と呉服屋を始めたのだそうだ。私は知らなかった。祖父母からそんな話を聞いたことはなかった。ただ、祖母は、私の小学校、中学校の使い終わった教科書を欲しいと言ったことがあった。もう使わないからと、二つ返事で祖母に渡した。当時は物忘れ防止のためだろうかと思ったが、自分が成長するにつれてその理由はわかった。
私が高校の進学先に、通信制の学校を視野に入れて悩んでいた頃、祖母に話したことがある。誰にも相談しづらい中、祖母なら分かってくれるかもしれないと思って、それとなく話した。その時の祖母は、それまでで一番厳しい声音だった。
何を言っているんだ、そんなことを言うもんじゃない、と。
優しい祖母なら理解ってくれるかもしれないという私の淡い期待は、その時ぽっきりと折れ、私は普通制の高校に進学した。おかげさまで、そこでは学校嫌い・先生嫌いを決定付ける担任と3年間過ごす羽目になった。
この世界のことなら大体わかったから、連れて行ってよ。
この歌詞と同じくらい、私を引き留める歌詞がある。
生まれた事を恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ。
駄菓子屋のおっちゃん おじいちゃん おばあちゃん
おばあちゃんには4歳の元気な息子を見せることができたけど、おっちゃんとおじいちゃんには見せられなくて残念だよ。最愛の息子と夫がいる私だけれど、残念ながら、私の中身は昔と変わっていないよ。この命が尽きるまで、足掻くしかないみたいだからね。
生まれた事を恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ。(レム)




