第5話
「――あっ! 二ノ宮構造! ほら、かおるのお父さん!」
「えっ、本当?」
二人が画面に釘付けになった。
テレビでは、司会者が丁重に構造を迎えていた。
「本日は、海外でも高い評価を受ける画家・二ノ宮構造先生にお越しいただきました。娘さ
んを亡くされたばかりの大変な時期に、生放送にご出演いただきありがとうございます」
「いえ、収録は以前から決まっておりましたので」
構造の声は落ち着いていた。
だがその表情はどこか張りついた笑みのように見える。
司会者が続ける。
「今回の新作は、すでに美術界で注目が集まっているとか。タイトルは――?」
「『世紀末学園の謎』です」
その言葉が部屋に響いた瞬間、美奈代は立ち上がった。
「………え? ちょっと、何それ!」
思わず携帯を掴み、悟に電話をかける。
「美奈代、ご飯中よ」と母が制したが耳に入らない。
『何?』
「悟! テレビつけて! 六チャン!」
受話器越しで悟がリモコンを探す音が聞こえた。
『つけた……あっ、二ノ宮構造!』
「その上! 見て!」
画面では司会者が作品名を改めて紹介していた。
『娘さんの死を乗り越えて描かれたという最新作――「世紀末学園の謎」。』
悟は息を呑んだ。
「……おかしくない? なんで演劇と同じタイトルを絵に?」
「確かに……でも、先に構造さんの作品があって、かおるが使わせてもらった可能性もある
し…」
「ううん、違う。そんなこと、かおるは絶対しない。父親の作品名を無断で使うなんて、あ
の子の性格じゃない」
美奈代の声には、確信に近い強さがあった。
悟は黙り込んだ。
「それに…なんか、大きな何かを見落としてる気がするの。私の勘ね」
悟は小さく笑った。
「美奈代の勘は昔から当たるからな」
「でしょ? だからさ……あの吉川刑事に相談してみない?」
「えっ、自殺で処理された件を?」
「いいじゃん。ダメ元だよ」
悟は少し考えたが、やがて息を吐いた。
「……分かった。明日、連絡してみる」
電話を切った美奈代は気付いた。
ロールキャベツは、すっかり冷めていた。
翌日。
放課後、鶴見台署に電話をすると――
「分かりました。ちょうど伺いたいこともありますので」
吉川刑事は驚くほどすんなりと面会を了承した。
事件は、静かに、そして確実に動き始めていた。
年が明けたばかりの昼下がり。
駅前の喫茶店には正月の名残りのようなゆるい空気が漂っていた。
沖田悟と佐々木美奈代は、並んで座ったテーブル席で何度も落ち着かない視線を交わし
た。
向かい側の椅子には、間もなく来る人物――鶴見台署の吉川刑事が座ることになってい
た。
「……来てくれるかな」
悟が小声でつぶやくと、
「来るでしょ。真面目なんだから」
美奈代はストローをくるくる回しながら言った。
そのとき、ドアのベルがチリンと鳴る。
スーツ姿の男が姿を見せ、店内を一度見渡すと二人を見つけて小さく手を挙げた。
「すみません。お待たせしました」
吉川刑事だった。
向かいの席に腰を下ろすと、姿勢は正しいのにどこか柔らかい気配をまとっていた。
「わざわざ呼び出してすみません」
悟が頭を下げると、吉川は軽く手を振った。
「いえいえ。実は私も、あなたたちの考えをお聞きしたいと思っていたところでした」
美奈代は、なぜ自殺で処理された事件に刑事が興味を持つのか疑問だった。
その“違和感”が表情に出たのか、吉川は苦笑して言葉を継いだ。
「いえ、“興味”というと語弊がありますが……。こういう件は、誰かがどうしても整理で
きない気持ちを抱えるものですから」
そして三人の視線が交錯した瞬間――
悟が意を決したように切り出した。
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「……あの、ウロタサチコって、僕なんです」
「えっ!? そこ!?」
美奈代が思わず声を上げ、椅子から浮き上がりかけた。
吉川刑事も飲みかけのコーヒーを危うく吹き出しそうになり、咳払いをして落ち着きを
見せた。
「も、もう一度お願いします?」
「ウロタサチコ……あの遺書に書かれていた名前。
あれ、僕のペンネームなんです」
悟は紙ナプキンを取り、例の“アナグラム”を書いて見せた。
OKITA SATORU
→ 読み替え → UROTA SACHIKO
吉川刑事は数秒見つめ、
「なるほど……」と静かに頷いた。
その反応が妙に落ち着いているため、悟は少し不満げだった。
それに気付いたのか、吉川はあわてて付け加えた。
「すみません。私、大学時代、推理研究部にいたものでして。
こういう暗号めいた話は日常茶飯事で……リアクション薄くて申し訳ない」
「い、いえ……」
(気を遣わせてどうすんのよ!)
美奈代は悟の足を軽く踏んづけ、悟は情けない顔をする。
吉川は微笑を浮かべながら本題に戻した。
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「では、その遺書に書かれた“いじめの犯人”は――存在しないということですね」
「はい。僕はかおるさんをいじめていません」
「……ですよね。
そんな人が劇の脚本を書いてあげるなんて、まず考えられません」
吉川の口調は落ち着いていたが、言い切るような確信があった。
「それに、いじめられていた人が遺書で“加害者の名前”を書くことはまずありません。
恨みを表に出すどころか、隠す人の方が圧倒的に多いんです。
私たちもそれは過去の事例から知っています」
「はあ……」
二人の“推理の柱”が一本消えた。
吉川刑事は続けた。
「ただ、ウロタサチコの正体が分かったのは大きな収穫です。
こうして疑いを一つずつ消していくのも、我々の仕事ですから」
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「それで……吉川刑事は、やっぱり自殺だと?」
悟の言葉に、吉川は一瞬だけ表情を曇らせた。
「状況証拠から総合的に判断すると……自殺ですね。
屋上の出入りのタイミング、目撃証言、監視カメラの死角、飛び降りの軌道。
どれも“突き落とされた”可能性を排除しています」
「でも……私が突き落とした可能性は?」
美奈代は言ってから後悔した。
「それはあり得ません。
あなたが屋上に着いたときには、すでにかおるさんは飛び降りています。
その時点で屋上には誰もいなかった。
時間的にも、物理的にも不可能です」
はっきりと言われ、二人は言葉を失った。
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「でも……遺書は。
かおるはパソコンも触れないのに、Word で書かれていたんです。
おかしくないですか?」
美奈代の強い視線に、吉川は少しの間だけ黙った。
「……確かに、不自然ですね。
ただ、かおるさんに“そうする理由”があったのかもしれません。
あるいは……誰かに書いてもらったのかもしれませんね」
その“誰か”が誰なのか。
誰が何を隠そうとしたのか。
店内の暖房の音すら遠ざかるように、三人は沈黙した。
沈黙を破ったのは美奈代だった。
「前から思ってたけど……
かおるのお父さんの絵のタイトルと、演劇のタイトルが同じって、おかしくないですか?」
吉川は薄く息をついた。
「知っています。ですが、それが“自殺の直接的な動機”とは、今のところ……」
言いかけたところで美奈代はため息をつき、言葉を遮った。
「ですよね……。
はい、わかってます……」
彼女はうつむき、ストローの氷をかき回した。
吉川刑事は真面目で、論理的だ。
その誠実さが、逆に二人の胸に重くのしかかる
もう充分だと思った――その瞬間。
「大したことじゃないんですけど、かおるの家に行ったとき……」
軽いつもりで言いかけたその言葉に、一瞬で吉川の目が鋭く光った。
「行ったんですか? かおるさんの家に」
その重い声音に、二人は息を呑んだ。
「はい。それで――」
「何か、気付いたことは?」
さっきまでの柔らかい態度と違い、まるで狙い撃つような鋭い視線。
刑事の眼に変わった。
美奈代は慎重に口を開いた。
「執事さんに、あっちこっち避けるように案内されて……最後に、小さな小窓のある部屋に
通されました。外から鍵がかかる部屋でした。私たち……実際に鍵をかけられました」
吉川は目を細め、ゆっくり背もたれに寄りかかった。
「それは……“何かを見られたくなかった”という風にも取れますね」
悟と美奈代は、鳥肌が立つのを感じた。
吉川は静かに言葉を続けた。
「実は、かおるさんの母親が……かおるさんの死の数年前、ある日突然、行方不明になって
います」
二人は絶句した。
「確かに、パスポート記録は渡米になっている。しかし、その後の足取りが消えたままなん
です」
「……消えた?」
「ええ。かおるさんの母方のお祖母さん――横浜に住んでいる方ですが、その方が“殺され
ているかもしれない”と訴えて、捜索願を出していました」
美奈代の心臓が、大きく鳴った。
その音が、胸の奥で響いて止まらなかった。
「しかし、そのお祖母さんは、かおるさんの死のショックで話せなくなってしまって……こ
こから先が、進めないままなんです」
「……刑事さんは、なぜそこまで?」
悟の問いに、吉川はゆっくりと言った。
「あの方の“目”が、異常なんです。何かを訴えている、強い目をしていました」
美奈代が、問いを重ねる。
「かおるの死と、母親の失踪……関係があると思われますか?」
「可能性はあります」




