第4話
悟は屋敷の外に出るなり、全力で走った。
美奈代は必死で後を追う。
「待ってよ悟!どうしたのよ!」
気づけば、近くの小さな公園にたどり着いていた。
二人は息を切らし、水道で喉を潤し、木製のベンチに腰を落とした。
悟は額に汗をにじませ、拳を握りしめていた。
あの遺書にあった名前——
口が乾き、言葉が出なかった。
美奈代は息を整えながら、静かに悟の横顔を見つめた。
沖田悟は大きく息を吐いた。
静岡の空気はひんやりしていて、何もかもが遠くの景色のように感じられた。
「悟、大丈夫?」
佐々木美奈代が隣の席に座り、そっと覗き込む。
悟はゆっくり立ち上がると、公園の地面に落ちていた小枝を拾った。
そして、砂地に大きく字を書き始めた。
OKITASATORU
「……右から読んで。」
悟の声は震えてはいなかったが、どこか覚悟の滲む色を帯びていた。
美奈代は首を傾げながら、右から目で追った。
「ウ……ロ……タ……サ……チ……コ──」
美奈代は一瞬固まり、次の瞬間、両手で口を覆った。
「まさか……悟……あなたが……ウロタサチコ……?」
「そう。俺がウロタサチコだよ。」
その場の時間が止まったようだった。
美奈代は少し悟から身体を離し、信じられないという顔で見つめる。
「だ、だって……悟、作文とか苦手じゃん。学級新聞でも文章苦手で、いつも私が書いてた
でしょ。なのに……どうして……?」
「美奈代の知らない俺もいるんだよ。」
悟は照れ隠しのように頭を掻きながら、再びベンチに座った。
「……俺さ、文章は下手でも、頭の中だけはいつも物語で溢れてたんだ。
学校や家がつまんなかったから……冒険とか、映画みたいな世界をずっと考えてた。
でも言葉にできなくて、ノートにシーンの走り書きばっかしてた。」
「そんなの……知らなかった。」
美奈代の声はかすかに震えていた。
「ある日さ。AI に聞いてみたんだよ。“こんなのどう?”って。
そしたらさ……褒められてさ。信じられないくらい。」
悟の目は、あの瞬間を思い出すようにわずかに輝いた。
「書く楽しさを教えてくれて……気づいたら『世紀末学園の謎』ができてた。
たまたま演劇部のかおるが台本に困ってて、頼まれたんだ。
タイトルも、テーマも、全部かおるの希望だった。」
「悟が……書いたんだ。」
「そう。だからウロタサチコは俺。
……美奈代、ずっと黙っててごめん。」
そう言われても、美奈代はすぐに笑えなかった。
胸の奥がじんと痛んだ。
「私には……ひとつも言ってくれなかったよね。」
「……うん。」
「私、悟の幼馴染みで、何でも話してくれると思ってた。
作文くらいしか取り柄がない私に、悟がそんな世界を持ってるって……」
ぽろり、と涙がこぼれた。
「美奈代……ごめん。本当に。」
「ううん……私こそごめん。悟には悟の世界があるよね。
ただ……ちょっと寂しかっただけ。」
悟は安堵したように息を吐いて笑った。
「よかった……美奈代。俺を信じてくれるよね。」
「当たり前じゃない。悟が苛めなんてするわけないでしょ。」
「ありがとう……。」
だが次の瞬間、美奈代の顔は真剣さを取り戻した。
「ねえ悟。じゃあ──なんで遺書に“ウロタサチコ”って書いてあったの?
かおるが、悟を恨むはずない。
ましてや、Word で遺書なんて……かおる、パソコンほとんど使えなかったじゃない。」
「そこだよ……美奈代。」
悟の声は低かった。
「かおるは……そんな遺書を書いていない。
あれは、誰かが偽造したものだ。
俺を犯人に仕立て上げようとした“誰か”がいる。」
「でも……飛び降りる瞬間、屋上には誰もいなかった……」
「そう。だから──」
悟はぎゅっと拳を握った。
「俺たちは絶対、かおるの死の真相を見つけないといけない。」
美奈代は深く頷いた。
二人の胸に、強い決意が宿った瞬間だった。
「横浜に戻ろう。全部整理しよう。」
「うん。絶対に……真相を突き止めよう。」
冬の冷たい風が、2人の決意を包むように吹き抜けていった。
翌日。
冬休みの空気がまだ静かに漂う午前十時、
悟と美奈代は、開店したばかりのファーストフード店の窓際に並んで座った。
二人にとって“並んで座る”のは、
小学校の帰り道で寄った駄菓子屋からずっと変わらない距離だった。
悟は紙コップを指で回しながら言った。
「じゃあ、整理しようか……かおるのこと。」
「うん。」
美奈代はノートを開いて、ペンを構えた。
新聞部らしい几帳面さだ。
悟は、時系列をゆっくり辿り始めた。
「――かおるは演劇部の部長で、文化祭の舞台は大成功だった。
あの日、俺たちは講堂の拍手を聞いて、教室に戻った。」
「それで、屋上の影……」
「そう。おまえは屋上へ。俺は中庭へ降りた。
で……飛び降りた瞬間は、どちらも間に合わなかった。」
二人とも、数秒だけ黙った。
店の音楽だけが、やけに明るい。
悟は続けた。
「警察が来て、遺書が見つかった。
あの遺書に“ウロタサチコ”って名前があった。」
「……で、ウロタサチコは悟なんだよね。」
悟は肩をすくめた。
「俺は苛めなんてしてないし、そもそも……
かおるは Word どころかパソコン自体ろくに触れない。
だから、あの遺書はほぼ間違いなく偽造だ。」
美奈代は、ペンを止めて顔を上げた。
「――まとめると、こうなるわけね。」
そう言って、彼女は手元のノートを悟に向けて見せた。
そこには、テレビドラマの刑事がホワイトボードに書くような
「事件整理一覧」が見事に書かれていた。
悟は思わず吹き出しそうになった
「おまえ……テレビドラマの見すぎじゃないの?
かおるの家でも“映画みたい!”“ドラマみたい!”って言ってたし。」
「だってホントにそうなんだもん!」
美奈代は頬をふくらませて抗議した。
悟は呆れたようにため息をつく。
「はあ……」
「で、シナリオライターさんはどう推理すんの?」
美奈代がわざと大きな声で言うので、悟は慌てた。
「シーッ!やめろって……聞こえるだろ。」
「えへへ、いいでしょ別に。」
美奈代は、なんとも言えない笑みを浮かべていた。
悟は小さく呟いた。
(……こいつ、絶対まだ根に持ってるよな。)
「なんか言った?」
「い、言ってません。」
美奈代はニヤニヤしたまま、ノートを閉じた。
「でも悟、あの部屋のこと気にならない?
あの迷路みたいな廊下とか、鍵がかかった部屋とか。」
「……あれは俺もひっかかってる。」
「ね。普通じゃないよね。」
「普通じゃない。」
二人は長い沈黙のあと、同時に溜息をついた。
結局、その日は夜までファーストフード店で話し続けたが、
決定的な答えは見つからなかった。
悟が窓の外を見て、言った。
「……なあ、美奈代。もう夕飯の時間じゃない?」
「うん、さっきメールした。遅くなるって。」
「そっか。親父は今日は遅くなるってさ。飯もいらないって。」
「大変だよね、悟って……
たまには私が料理作りに行ってあげよっか?」
「い、いいよ!たぶん俺のほうが上手いし!」
「じゃあ食べに行ってあげる。」
「なんでだよ!」
そんなたわいない言い争いをしながら、
二人はいつもの帰り道を歩いていった。
その距離は、幼い頃から変わらない。
けれど——二人の心の距離は、少しずつ変わりはじめていた。
「ただいま――」
美奈代が玄関を開けると、湯気に包まれた温かい香りがふわりと迎えた。
「お帰り」と台所から母親の声。
「えっ、いい匂い…。まさか…」
「そうよ。今日はロールキャベツ。」
「やったぁ! お母さん、大好き!」
勢いよく抱きつく美奈代に、母は笑いながらも少しあきれたように肩をすくめた。
「もう、大好きな料理の時だけ素直なのよね」
父は食事を終え、コーヒーを片手にテレビを見ている。
美奈代は隣に座り、何気ない会話をしながらリモコンに目を向けた。
「ねえ、お父さんとお母さんって幼馴染みでしょ? なんで結婚って流れになったの?」
「いきなりどうしたのよ…もう忘れちゃったわよ」
母は照れ隠しのようにテレビのボリュームを上げた。
その瞬間、画面に見覚えのある人物が映し出された。




