第1話
講堂に拍手が鳴り響いていた。
まるで天井から降る雨のように、終わりを知らずに続いていた。
舞台の中央、白いドレスをまとった少女が深く礼をした。
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演劇部の部長にして、今回の主演――二ノ宮かおる。
その横顔は、光と影のあわいに揺れているように見えた。
微笑んでいるのに、どこか遠い。
それは、観客席からは決して気づけない距離の表情だった。
緞帳がゆっくりと降りていく。
部員たちは手を振りながら姿を消し、舞台は静けさを取り戻した。
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悟と美奈代は、夕日に染まり始めた廊下を並んで歩き、三年棟の自分たちの教室に戻った。
もう生徒の姿はほとんどなく、夕日が机の表面を赤く照らしているだけだった。
「……感動した。」
美奈代は立ち止まって、胸に両手を当てた。
「本当に、すごかった。あの劇なら、絶対賞を取るよ。」
「そうだな。横浜光和学園で初めての優秀賞だ。
悟は椅子に腰をかけ、少し得意げに言った。
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「なにその顔。自分が取ったみたいじゃない。」
「いや、半分くらいは俺の手柄……」
「はいはい、照明係も重要でしたね〜。」
二人は声をあげて笑った。
その笑いは、まだ舞台の余韻の中にいた。
――その時。
「きゃああああっ!」
窓ガラスの向こう、中庭から悲鳴が上がった。
美奈代と悟は、反射的に窓へ走り寄る。
視線が自然と校舎の上へと引き寄せられる。
屋上。
フェンスの外に、人影。
夕日の逆光で顔は見えない。
けれど、スカートの裾が風に揺れた。
「……女の子だ。」
悟は息を飲み、声を張り上げた。
「危ない!やめろ!!」
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影は、微動だにしない。
美奈代は踵を返す。
「私、屋上へ行く!」
「わかった!俺は下で受け止める!」
二人は走り出した。
悟は階段を駆け下り、中庭へ。
美奈代は反対に階段を駆け上がる。
息が痛い。
心臓の音が、自分の耳のすぐ横で鳴っているようだった。
屋上の扉を開け放った瞬間、美奈代は叫んだ。
「ダメ!!――戻って!!」
夕日が、影を溶かした。
人影は、ふっと地面から離れた。
空気が一瞬だけ止まった。
次の瞬間――
ドスン。
乾いた鈍い音が、校庭に落ちた。
誰かの叫び声が上がる。
泣き声。足音。
悟はその身体に駆け寄った。
白いドレスの裾。
舞台の布と同じ。
今は赤く染まっている。
「……かおる……?」
呼びかけは声にならなかった
頭部から流れた血が、床石の目地へと細く伸びていく。
「どうして……どうして……」
悟の喉は痛みでつまっていた。
少し遅れて、美奈代が屋上から降りてきた。
かおるの顔を見た瞬間、全身から力が抜けた。
「……いや……いや……やだ、嘘……かおる……」
崩れ落ちる美奈代を、悟が支える。
風が吹いた。
さっきまで舞台で揺れていた、あの白いドレスが――
今はもう、静かだった。
遠くから、救急車とパトカーのサイレンが近づいてくる。
でもその音は、誰の心にも届かなかった。
救急車のサイレンが遠ざかっていったあと、
校庭には、奇妙な静けさだけが残っていた。
警察官は淡々と、生徒と教員の名前を確認していく。
美奈代と悟も、体育館入り口のベンチで事情聴取を受けた。
「屋上にいたのは二ノ宮かおるさんで間違いありませんね。」
「……はい。」
声は、喉の奥からようやく出た。
悟は、あの瞬間を思い出していた。
夕日の逆光で、顔が見えなかったこと。
自分が呼び止めた声が、まったく届かなかったこと。
「飛び降りようとした理由に心当たりは?」
美奈代は首を振った。
「さっきまで……あんなに笑ってたんです。
みんなに“ありがとう”って。
ほんとに、いつもどおりで……」
言いながら、自分でもその言葉が嘘のように感じた。
“いつもどおり”なんて、どれほど脆い言葉だろう。
別の警察官がメモを持って近づいた。
「屋上から靴と、遺書らしきものが見つかりました。」
空気が、そこで一度止まった。
「詳しくはまた確認させてください。
今日は、ありがとう。」
そう言われ、二人は解放された。
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翌日。
全校集会が開かれた。
校長は静かな声で言った。
「動揺している生徒も多いと思います。
体調が優れない場合は、教員に申し出てください。」
それだけだった。
理由も、背景も、説明もない。
ただ「落ち着きましょう」と言うだけ。
生徒たちはざわつきながら、
それぞれの席へ戻っていった。
悟と美奈代も、席に座ったまま口を開けなかった。
「……なんか、違うよね。」
美奈代は机を見つめたまま、小さく言った。
「なんで、こんなに“終わったこと”みたいにするんだろう。」
悟は首を横に振った。
「わからない。でも……わからないままにしていい気がしない。」
美奈代は思い出したように言った。
「そういえば、かおる……前に一度、過呼吸みたいになって、
倒れたことがあったの。
なんでだろうって思ったけど……そのとき、何を思ってたんだろう。」
悟は俯いたまま返事をしなかった。
考えているのか、言葉が見つからないのか、
自分でもきっと分かっていないのだろう。
「……帰ろう。」
「うん。」
二人は校門へ向かう。
いつもの帰り道。
でも、世界の色が違う。
門を出たときだった。
スーツ姿の男性が二人、近づいてきた。
胸元から黒い手帳を開く。
「鶴見台署の吉川と本田です。
沖田悟さんと、佐々木美奈代さんですね。」
「……はい。」
先日話した制服警察官が、二人の後ろに立っていた。
目を合わせると、気まずそうに頭を下げ、去っていった。
吉川と名乗った刑事は、書類を綺麗に整えた手つきで言った。
「二ノ宮かおるさんの件ですが――
屋上にあったものは、やはり 遺書と断定されました。」
風が、通りを抜けた。
落ち葉がひとつ、ゆっくりと地面に落ちた。
美奈代は、息を止めた。
悟は、拳を握った。
ただ――
ここから “謎” が始まった。




