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第一話

──彼女がいなくなった今でも、僕の視界に映る景色や耳に入ってくる音のいたるところにその面影が浮かび上がる。


 例えば、近所のカラオケ店を通り過ぎる時に聞こえる男女のぎこちない歌声やクリスマスの日に街の駅で飾られる大きなクリスマスツリーを降りしきる雪と一緒に見上げた時、塾帰りの電車の車窓に映る流れるような街灯も全ては彼女と過ごした思い出の瞬間を思い起こさせるトリガーになっている。


 彼女がいなくなってもう一年になる。僕はもうすぐ高校三年生になり、大学受験のための模試や講習、塾や自宅での勉強など忙しい毎日を過ごすことになる。


 年が明けて次第に雪は止み、春の兆しを感じ始めた頃に卒業式が行われ、自分も来年は体育館の壇上で卒業証書を受け取り、希望した進路に向かって歩み出せたら良いなと思いながら涙ぐむ生徒たちの様子を見ていた。


 卒業式の帰りの駅は平日の夕方前だからか、思いのほか人は少なくプラットホームには雀の鳴き声やたまに構内から降りてくる人の足音以外に耳に入るものはなく静けさが漂っていた。


 ホームの後ろに植えられている大きな桜はもう咲き始めていた。僕はその桜を見上げて思い出す。この駅で出会い、短かったけどそれまでの僕だったら考えられないような経験をした日々。

 

 彼女、宮園綾香は春に咲いて散っていく桜のような人だった──。


 ──小中といじめられてきた僕は元々の他者との関わり合いが苦手な性格に拍車がかかったような状態で高校に入学することになった。

 地元からはなるべく離れた進学校を選択し、なんとか合格することができたけど、初登校の日が近づくにつれて不安になってくる。


「徹はもう課題終わったのか?」

 春の長期休みが後半に差し掛かった頃、僕は自室のベッドの上で同じ高校に入る友人の三枝智成と通話していた。ちょうど昼ご飯を食べて昼寝をしようとした時にかかってきた。

「流石にもう終わったよ、智成は?」

 僕が聞き返すと智成は「だよな・・・・」と呟く。

「それが聞いてくれ、長期休みの大半を使っても終わらないんだよ」

「ふーん、言っておくけど課題開きながら猫動画見たり、途中でゲームに手を付けてる時間は勉強したうちに入らないよ」

 ううっという声がスマホ越しに聞こえてきた。図星みたいだ。智成は極度の猫好きだけど家が動物禁止の賃貸なため、代わりに猫動画を頻繁に見るという習慣がある。

「猫を見た後に忌々しい課題を見るとやる気が出ないんだ」

 その猫中毒でよく合格できたなと逆に感心してしまう。智成は土壇場でとてつもない力を発揮するタイプだから今回もどうにかするんだろう。追い込まれないと力が出せないのはこの先色々大変そうだけど。

「まあ、でも元気そうでなによりだな、俺はてっきり不安で押しつぶされそうになってる徹を想像してたからね」

 なるほど、通話をかけてきた理由はそれか。

「いや、不安だよ。日が経つごとにびくびくしてる」

「そうか? でも俺とこれだけ会話出来るんなら大丈夫だろ」

 それは、相手が三枝だからと思ったけど、言わなかった。代わりに聞いてみる。

「ねえ、僕は本当に上手くやっていけると思う?」

 しばらく沈黙が流れた後──智成は「別にさ」と言って続ける。

「上手く立ち回ろうとか自分を変えなきゃとか思いつめなくていいんじゃないの。少なくとも俺は今の徹が自然体でいられることが一番だと思うよ」


 中学の時に出会った智成は正義感のある人間だ。自分がいじめの矛先になる危険性もある中で最後まで僕と友達でいてくれた。智成が居たから僕はギリギリで精神を保てていたんだと思う。


「自然体か、それも難しそうだね」

 僕がそんなことを言うと智成は「はは」と笑って、

「確かにそうかもな、まあ安心しろよ俺だっているわけだしさ」

「だね、ありがとう智成」

 スマホ越しに「おう、またな」という声を聞いてから通話を切る。


 自室の開いた窓からは柔らかな日の光と共に暖かな風が入り、カーテンが波打つように揺れている。

 僕はこれからの高校生活がこんな穏やかな日々の連続になることを願って止まなかった。


 その日から入学式当日の朝になるまでは一瞬だった。僕は真新しい制服に袖を通して高校までの電車に乗るために駅へ向かう。

 駅のホームに降りると、眠たそうな顔をしたサラリーマンや学生やお年寄りなど沢山の人が電車を待っている。

 周囲の人の多さと喧騒にやや押しつぶされそうな気持ちになりながら、列に並ぶ。


 待つ時間は実際にはそれほど長くなかったけど、体感だと踏切の甲高い音が鳴り、アナウンスが入るまで思わずまだなのかと思うほど長く感じた。


 電車の中は平日の朝の時間というだけにほぼ満員状態だった。ここまでで、気分が沈みこみそうになる。それにしても電車に乗る直前──あの駅で唯一僕と同じ高校の真新しい制服を着た女子の姿が脳裏に焼き付いていた。


 やましい気持ちからではなく、彼女の佇まいが背後の桜とよく調和していて、きっと印象に残りやすかっただけ──この時はただそう思っていた。


 終点の駅に着く頃には、僕は心身共に疲れていた。朝の満員電車というのはここまで恐ろしいものなのか。

 電車のドアが開くと車内の空気と共に乗客が一気にホームに出て行く。僕は半ば押されるように車内から出て、そのまま構内へと続く階段を足早にのぼっていく。

 切符を入れて改札口を出ると、同じ制服を着た男子生徒がこちらに駆け寄ってきた。

「おはよう徹、朝から疲れた顔してるな」

 短くセットされた黒い髪に整った顔立ち、長身で引き締まった身体つきをした好青年は朝から目覚まし着信と称して僕のスマホを鳴らし、待ち合わせの約束をしてきた三枝智成だ。

「智成も満員電車に四十分も乗れば分かるよ・・・・」

「まあ、なんだとりあえずバス停まで歩こうぜ」

 僕は頷いて、バスの停留所やタクシー乗り場がある駅の東口に向かって歩き出した。

 この駅から僕らが通う私立宮浦学園高校へは直通のバスが走っている。

 僕らがバス停に着く頃には既にバスが止まっていて、駆け足で乗車した。

 車内には同じ宮浦校に入学する新入生たちが乗っている。

 既に知り合いなのか、仲良く談笑する生徒もいれば、期待と緊張をにじませたような顔をして前方や窓の外を眺める生徒もいる。

 

 席は一番後ろ以外埋まっていて、僕と智成はその空いている席に並んで腰を下ろした。

 ──ふと、長い後部座席の右側の窓際に座っている生徒が目に入る。

 その人は朝、駅で見かけた女子生徒だった。長く腰まで下げた艶やかな黒髪に切れ長の目、薄い唇。背筋をピンっと伸ばしていて、凛とした佇まいと繊細さの両方を醸し出している。


「どうした徹?」

 智成の声で我に返る。あまり人のことをじっと見つめるもんじゃない。

「いや、なんでもない。ちょっと緊張してるだけ」

 僕が誤魔化すように言うと智成は「リラックス、リラックス」と僕の肩を叩いた。

 同い年なのに美しい女性だなと思った。ガラスのような透明さと人形のように整った容姿は一層強く僕の脳裏に刻み込まれた。


 バスはゆっくりと走り出す、街中の建物や交差点を通り過ぎていく度に学校に近づいていくと思うと僕の心にも不安と緊張と少しばかりの期待が生まれていた。

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