ついに激突! 平末 vs 高木
高木は更衣室のロッカーで自分の荷物を取り出そうとしたとき、ふと目に入ったものがあった。
平末のスマホだった。
(あいつ、忘れていったのか?)
ロッカーの上に無造作に置かれている。着替えるときに一時的に置いて、そのまま忘れたのだろう。普通なら気にも留めずにそのままにしておくところだったが、なぜか目が離せなかった。
(あいつのスマホか……)
胸の奥で何かがざわつく。
見るべきじゃない、そう思った。しかし、指が勝手に動いていた。
手に取ると、驚いたことにロックがかかっていなかった。
覗くつもりはなかった。だが、メールアプリが開かれたままだった。そして、決定的なものを見つけてしまった。
「恵里香さんに続いて沙耶ちゃんともヤッたぞ。今度は美樹さんと約束した」
瞬間、高木の脳内が真っ白になった。
(は……?)
文章を何度も読み返した。目の錯覚かと思った。しかし、何度見てもそこにはっきりと書かれていた。
(マジかよ……)
握りしめたスマホが震える。
恵里香、沙耶、美樹……。
(こいつ、派遣の管理担当ともやってたのか? 沙弥とも? しかも次は美樹……?)
怒りが、胃の奥から突き上げてくるようだった。
(ふざけんな……!)
拳を握りしめる。全身が熱くなっていく。
自分はただ、安いラーメンを食って、ライスをおかわりして、仕事をして、つまらない日々を過ごしているだけなのに。
一方、こいつは……。何もかも手に入れて、好き放題かよ……!
怒りで拳を握りしめた、そのときだった。
更衣室の扉が開く音がして、高木はハッと顔を上げた。
「何してるんすか?」
平末だった。
一瞬、時間が止まる。高木の手の中には、まだ平末のスマホがある。ロック解除されたままの画面が、いやに明るく光っている。
平末はロッカーの前に立ち、視線をスマホに向けると、すぐに状況を察したようだった。
「へぇ」
短く息を吐くように笑い、ゆっくりとロッカーの扉にもたれかかった。
「高木さん、俺のスマホ、何してんすか?」
口調は軽かったが、その目は笑っていなかった。
高木は咄嗟に言い訳を考えるが、何も出てこない。手が勝手にスマホを握りしめていた。
「忘れてたみたいだから、戻そうと思って……」
自分でも苦しい言い訳だとわかる。しかし、平末はすぐに追及はせず、ニヤリと口元を歪めた。
「ふーん。……。それで、俺のメール、見ました?」
心臓が跳ねる。
平末が一歩近づいた。高木より背が高いからか、妙に威圧感がある。
「別に、いいですけどね。何か言いたいことでも?」
平末は軽く肩をすくめた。
(ふざけんな……!)
高木は奥歯を噛みしめた。このクソガキが、自分をバカにしているのは明らかだった。
「お前……。最低だな……!」
声を絞り出すように言うと、平末は「おっと」とわざとらしく驚いてみせた。
「まぁ、そう言われても仕方ないっすね。でも、高木さんには関係ないですよね?」
「っ……!」
「俺が誰と何しようが、別に高木さんには関係ないっすよね?」
平末がにじり寄ってくる。ふざけた態度のまま、しかし目は試すように高木を見ていた。
「それとも、何か困ることでもあります?」
その瞬間、高木の怒りが爆発しそうになった。だが、同時に気づく。平末の顔には、ほんのわずかに「試している」ような色があった。
(こいつ……俺がキレたら、それを面白がるつもりか……?)
高木が無言のままスマホを突き出そうとすると、平末はニヤリと笑い、さらに畳みかけるように言った。
「そういえば、高木さんって彼女いましたっけ?」
「関係ねぇだろ」
「いやいや、ちょっと気になっただけっすよ」
わざとらしく腕を組み、考えるふりをしているようだ。
「経験人数とか、どんな感じなんすか?」
「は……?」
「ほら、俺のメール見て『最低だな』って言ってたから。高木さんはどのくらいの経験あるのかなーって」
その瞬間、高木の中で何かが切れそうになった。
(こいつ……!)
拳を握る。だが、ここで何か言えば、こいつの思うツボだ。
必死に怒りを抑え、無言でスマホを平末の胸に押し付ける。
「知らねぇよ……」
それだけ言って、乱暴にスマホを返した。
平末は、少し驚いたような顔をした後、またニヤリと笑った。
「そうっすか。じゃあ、俺は行きますわ。」
平末はスマホを受け取ると、まるで何事もなかったかのように更衣室を出ていった。その背中を睨みつけながら、高木はその場に立ち尽くした。
怒りと悔しさで胸が焼けつくようだった。
「クソが……」
小さく呟く。だが、それでどうなるわけでもない。
高木は、拳を握りしめたまま、心の奥に巣くう「言葉にできない焦り」を噛みしめていた。
未経験。
その言葉が、心の奥に深く突き刺さっている。
平末みたいな奴には、一生理解できないだろう。軽いノリで、冗談みたいに女と関係を持ち、楽しげに経験を語る。あいつにとっては「やった」か「やってない」かなんて、ただのゲームのようなものなんだろう。
でも、俺にとっては違う。
高木は、自分が今まで女性とまともな関係を築いたことがないことを、ずっと気にしていた。
同年代の友人たちは、すでに結婚したり、子どもができたりしている。飲みの席では「初体験はいつだった?」なんて話題が当たり前のように飛び交う。
そういうとき、高木はいつも笑ってごまかすしかなかった。
「お前、経験ないの? それはヤバいって~!」
そんなふうにからかわれるのが怖かった。だから、適当に誤魔化しながら、話を流してきた。
だけど、現実は……。
(俺は……。まだ、何もないままじゃねぇか……)
それが恥ずかしいことなのかどうかなんて、本当はわからない。けれど、周りが当たり前のように「経験済み」で、それを自慢し合うのを聞いていると、まるで自分だけが取り残されているような気がする。
「経験人数は?」
平末のあの軽い一言が、胸の奥に突き刺さる。
(ふざけんな……!)
本当は、悔しかった。平末は、高木ががずっと気にしていたことを、まるで面白がるように突いてきた。
高木は、歯を食いしばった。
(俺だって……。こんなふうにバカにされる人生なんて、もう嫌なんだ……)
でも、どうすればいい? 何をすれば、この情けなさから解放される?
答えは出ないまま、更衣室の冷たい空気だけが、ひたすら肌に染み込んでいった。胸の中で煮えたぎる何かを抑え込みながら、高木は静かにロッカーの扉を閉じた。