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6話目

それからというもの、ティチェルリスが何か仕掛けるたびに、ビトリアンが淡々と反撃するという攻防戦が続いていた。


 公爵家の屋敷内は、日々の騒動で溜息と悲鳴が交錯している。


 ティチェルリスは、自信満々な顔でこっそりと飴を取り出した。


(ふふん、今日こそは完璧な作戦よ!)


 手のひらには、小さな赤い飴玉。

 しかし、それはただの飴ではない。


 屋敷の厨房の者たちが震え上がるほどの激辛スパイスを練り込んだ特製品である。


(これを何も知らないビトリアンに食べさせたら、さすがにあの無表情も崩れるはず……!)


 ニヤリと笑いながら、ティチェルリスは標的である公爵を探す。


 しばらくして、書斎のソファに座ってぼーっとしているビトリアンを発見した。

 相変わらずの無感情な表情で、窓の外を見つめている。


(よし……今ならいける!)


 そっと忍び寄り、さりげなく横に座るティチェルリス。


「ねぇ、ビトリアン」


 彼が反応する前に――


 素早く顔を近づけ、唇を重ねた。


「――んっ!」


 ビトリアンの青い瞳が、わずかに見開かれる。


 しかし、それも一瞬。

 彼は微動だにしないまま、ただティチェルリスをじっと見つめる。


 ティチェルリスは違和感を覚えつつも、予定通り口移しで飴を食べさせた。


 瞬間――


「っ!? ぁぁあああああああ!!」


 二人は同時にのたうち回った。


 唇に広がるのは、燃えるような辛さ。

 舌先が痺れ、喉の奥から熱風が吹き上がるような感覚。


「っっっ……は、はひぃぃぃぃ!!?」


 ティチェルリスは口を押さえながら、涙目で飛び跳ねる。

 唇がジンジンと痛み、まともに息を吸うことすら困難だった。


 一方――


 ビトリアンもまた、無表情のままではいられなかった。


「…………」


 彼は口を開けたまま、しばらく固まっていたが――


 カタカタと唇を震わせ、ゴゴゴ……と無言で耐え続ける。


 しかし、その青い瞳がわずかに潤んでいることに、ティチェルリスは気づいた。


(……効いてるわね!?)


 得意げな笑みを浮かべようとした瞬間――


「ふふん! そんな瘦せっぽっちじゃ、鍛えてる私には勝てないわよ!」


 公爵夫人、挑発開始。


 さすがにこれだけやられれば、ビトリアンも何かしら反応するはず――

 そう思った矢先、ティチェルリスの予想は正しかった。


ビトリアンが動いた。


 まだ口の中に辛味を残したまま、無言でティチェルリスの手首を掴む。


「えっ、ちょっ――」


 次の瞬間、彼は軽々と体を傾け、ティチェルリスのバランスを崩させた。


 ドサッ!!


「わわっ!?」


 気づけば、二人は床の上でとっくみ合いの状態。


 ティチェルリスは驚きながらも、すぐに反撃の体勢に入る。

 ビトリアンの肩を押し返し、力ずくで押し倒そうとする。


(負けないわよ!)


「ほらほら、私の方が強いんだから――」


 しかし、ビトリアンもまた、ティチェルリスの腕を掴み、体勢を崩させようとする。

 お互いに譲らず、プルプルと力比べが続く。


「ぐぬぬぬぬ……!」

「……」


 だが――


 その時、異変が起きた。


 バチバチバチッ――!!


 突如として、ティチェルリスの腕から小さな雷が弾けた。


「えっ?」


 ティチェルリスは一瞬動きを止める。


 そして、ビトリアンもまた、自分の手から放たれた電流を感じ取った。


 二人の間で、小さな雷の火花が交錯する。


(な、なに……!?)


 驚いて互いの腕を離そうとした瞬間――


 バチンッ!!!


 雷が激しく弾け、天井へと一直線に放たれた。


次の瞬間――


 ドォォォン!!


 轟音とともに、天井に巨大な穴が開いた。

 白い漆喰が剥がれ落ち、屋敷の上部が崩れかける。


 外の冷たい空気が吹き込み、舞い上がる塵が光を反射する。


 二人は、天井を見上げたまま、ぽかんと口を開ける。


「……」

「……」


 静寂。


 雷を放ったのは、ティチェルリスの熱湯の力。

 それに呼応するように、ビトリアンの雷の能力が発動した。


 そして、二つの力が共鳴し、天井をぶち抜いた。


「……な、なにこれ。」


 ティチェルリスは、口をぱくぱくとさせながら、震える指で天井を指差す。


 その横で、ビトリアンもまた、まったく動かずに天井を見つめたまま。


 表情こそ変わらないが、瞳だけはわずかに驚きで揺れていた。


 そして――


「奥様ああああああああ!!」


 廊下から、悲鳴にも似た叫び声が響く。


 続いて、執事や使用人たちが駆け込んできた。


「今の轟音は――」


 彼らが天井の巨大な穴を見た瞬間、絶叫が上がる。


「ひいいいい!? 天井が!?」

「ぼ、坊ちゃまと奥様がまた何かを――!?」

「お二人ともご無事ですか!?」


 混乱する屋敷内。


 そんな中、ティチェルリスとビトリアンは、未だに天井を見上げたまま。


 やがて、ティチェルリスはゆっくりと、ビトリアンの顔を見る。


「……もしかして、これって、すごくヤバイんじゃない?」


 ティチェルリスは、ぽかんと口を開けたまま天井の大穴を見上げる。


 瓦礫がぱらぱらと落ち、空の向こうに雲が漂っている。

 冬の冷たい風が吹き込み、ふわりと彼女の銀髪を揺らした。


 屋敷の中なのに、まるで外にいるような開放感。


 そして――


「…………」


 ビトリアンもまた、呆然と天井を見上げたまま。


 静寂が訪れる。


 屋敷の使用人たちは、今起こった現実を前に絶望したような顔をしていた。

 まるで"坊ちゃまと奥様がまた何かやらかした"と確信している表情である。


 やがて、ビトリアンはゆっくりと息を吸い――


「……はぁ。」


 とうとう、深い溜息をついた。


 そして――


「明日から、訓練しよう。」


 低く静かな声が、破壊された部屋に響く。


 ティチェルリスは、一瞬きょとんとした顔をした後、驚いたようにビトリアンを見つめる。


「……え、喋った。」


 目を瞬かせながら、彼の顔をじっと覗き込む。


 彼が"自分から"何かを提案するなんて、これまでほとんどなかったことだ。


 しかし、ビトリアンはまったく気にする様子もなく、ティチェルリスの方を見据えた。


「訓練って……何の?」


 すると、彼はほんの少しだけ言葉を選ぶように沈黙した後――


「……能力の。感情に……左右されすぎてるから。」


 そう呟くように言った。


 ティチェルリスは、思わず眉をひそめる。


「そうなの?」


 彼の言葉の意味をよく理解できないまま、もう一度天井の穴を見上げた。

 さっきまで普通だった屋敷の天井が、今や完全に"空"になっている。


 まるで、雷が直撃したかのような大破壊。


(……こりゃ確かに訓練しないと、屋敷ごと壊れちゃうわね。)


 自分の"熱湯"と、ビトリアンの"雷"が共鳴した結果だ。


 このまま放っておいたら、今度は部屋どころか、屋敷全体が吹き飛ぶ未来が見える。


「……わかったわ。」


 ティチェルリスは、静かに頷いた。


 その言葉を聞いた瞬間――


 ビトリアンが、ふわりとティチェルリスを抱き寄せた。


「――っ!?」


 突然の行動に、ティチェルリスは思わず体をこわばらせる。


 彼の腕はしっかりと自分の背中を支え、まるで何かを確かめるようにぎゅっと抱きしめていた。


 ティチェルリスの鼓動が、一瞬早くなる。


(……な、なに? 急にどうしたの?)


 いつもなら、何をしても反応の薄い彼が――今は、しっかりと彼女を抱きしめている。


 そして、ゆっくりと頭を撫でるように手を滑らせた。


 指先が、ふわりと銀髪を梳くように動く。


 静かな動作。


 けれど、それはどこか、"優しさ"のようなものを感じさせる仕草だった。


 ティチェルリスは、彼の胸に押しつけられるような形になったまま、しばらく何も言えなかった。


 その沈黙を破ったのは、彼女自身だった。


「……え、何この状況?」


 戸惑いと困惑に満ちた声が、屋敷の廊下に響き渡る。


 ティチェルリスの戸惑いをよそに、ビトリアンは何も言わず、ただ黙って彼女を抱きしめ続けた。


(え、ちょっと待って、本当に何これ!?)


 ようやく何か言い返そうとした瞬間――


「奥様あああああああああああ!!」


 今度は、使用人たちの絶叫が轟いた。


 ティチェルリスの混乱は、さらに深まる一方だった。

おまけ → ビトリアン・ガーナンドブラックは、屋敷の図書室にいた。


 いつもと変わらぬ無表情。

 静かな部屋で、彼は黙々と本を読んでいた。


 大きな窓から差し込む朝の光が、彼の黒髪を淡く照らす。

 分厚い本を片手に、淡々とページをめくるビトリアンの姿は、一見いつも通りだった。


 しかし――


「…… 坊ちゃまが、本を読んでいる。」


 使用人の一人が、ぽつりと呟いた。


 いや、彼が本を読むこと自体は珍しくない。

 ただ、問題なのはその内容だった。


 ビトリアンが手にしていたのは――


 《女性の機嫌の取り方》《妻との円満な関係の築き方》《夫婦円満の秘訣》


「………………………」


 使用人たちは、一瞬沈黙した後、視線を交わした。


(えっ、えっ……!? )

(ま、まさか、坊ちゃまが"夫婦円満"の本を……!? )

(いつも奥様と"攻防戦"を繰り広げているあの坊ちゃまが……!? )


 心の中で驚きの声が響き渡る。


 図書室の入り口付近に隠れるようにして様子を伺っていた執事とメイドたちは、そっとビトリアンの行動を観察した。


 ビトリアンは、淡々とした手つきで本を開き、静かに目を通している。


 時折、眉をわずかにひそめ、難しそうにページをめくる。

 何かを考えながら、深く読み込んでいるのが分かる。


「…… 奥様と"うまく付き合う方法"を調べていらっしゃるのでしょうか……?」


 メイドの一人が、小声で囁くと、執事が静かに頷いた。


「…… ふむ、確かに最近の坊ちゃまと奥様は、以前にも増して活発に…… いや、騒がしくなられましたからな……」


「それで、奥様のご機嫌を取ろうと勉強を……?」


「…… 微笑ましい、が…… 驚きですね。」


 普段なら、ティチェルリスのちょっかいに対してただ淡々と反撃するだけのビトリアンが、わざわざ本を読んで対策を練っている。


 この事実に、使用人たちはじわじわと感動すら覚え始めていた。


 すると――


「……」


 ビトリアンが、一つのページで指を止めた。


 彼の青い瞳が、そこに記された文字をじっと見つめる。


――『女性は、優しくされると喜ぶ。頭を撫でたり、抱きしめたりするのが効果的。』


「……………………」


 無言のまま、ビトリアンのまつ毛がわずかに動く。


 しばらくその文章を読んだ後、ゆっくりと本を閉じた。


 そして、静かに立ち上がる。


 そのまま、図書室を後にしようとするビトリアンの後ろ姿を見送りながら――


 使用人たちは、一斉に笑みを浮かべた。


「…… 坊ちゃま、頑張っていらっしゃるのですね。」


「こんなに奥様のことを考えておられるとは……」


「なんだか、とても微笑ましいですね……」


 そう囁き合いながら、彼らはほのぼのとした空気に包まれていた。


 ――しかし。


「…… でも、坊ちゃまが"優しくする方法"を学んだとしても……」


「…… それをそのまま実行するとは限りませんよね……?」


「…… ですね。」


 一瞬の静寂の後、使用人たちはお互いの顔を見合わせた。


 ――果たして、ビトリアンが素直に本の内容を実践するのかどうか。


 それはまだ、誰にも分からない。

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