51話目
――柔らかな陽射しがカーテンの隙間から差し込み、寝室をほんのりと温めていた。
「ん……」
ティチェルリスは、心地よい温もりの中で微かに身じろぎしながら、ゆっくりとまぶたを開いた。
視界に映るのは、ふんわりと揺れる白い天蓋。
微かに残る昨夜の余韻に、ぼんやりとした意識がゆっくりと覚醒していく。
(……朝……?)
体を起こそうとすると――。
「っ……!」
腰に回された腕がぎゅっと締まる。
「……まだ……寝てなきゃ……だめ。」
聞き慣れた低い声が耳元で囁かれると、ティチェルリスの全身がピクリと硬直した。
(ちょ、ちょっと……!?)
寝ぼけているのか、ビトリアンは彼女を逃がすまいとしっかりと抱きしめたまま動かない。
完全に"捕獲"されている状態だった。
「ちょ、ちょっと……起きたいんだけど!」
もぞもぞと動こうとするが、ビトリアンはさらに力を込めて腕を回す。
「……だめ。」
「……。」
ティチェルリスは、ビトリアンが「だめ」と言ったら本当にだめなことをよく知っている。
無理に動こうとすれば、彼の頑固さが全開になって、ますます自由が奪われることは確定だった。
(……はぁ……仕方ないわね……。)
彼の胸に頬を寄せながら、ティチェルリスは観念して目を閉じた。
ビトリアンの穏やかな鼓動が耳に心地よく響く。
(……もう少しだけ……このままでもいいかも……。)
そんな甘い静寂の中、二人は再び深い眠りに落ちていった――。
―――――――———
――————
暖かな陽射しが窓から差し込み、カーテンをゆるやかに揺らしていた。
心地よい静寂の中、寝室の奥にあるテーブルで、ティチェルリスとビトリアンは並んで食事をとっていた。
メニューはシンプルなスープとパン、そして軽い果物。
昨夜の疲労を癒すには、ちょうど良い優しい味だった。
そんな穏やかな時間の中――突然。
「しばらくは……毎日……しようね……。」
ビトリアンが、至極真剣な声音で呟いた。
「――っ!?」
ティチェルリスの手がピクリと止まる。
「ぶっ……!!」
次の瞬間、口に含んでいたスープを豪快にむせてしまった。
「ちょ、ちょっと!? 食事中に何言ってるのよ!!!」
ティチェルリスは咳き込みながら、口元を拭ってビトリアンを睨む。
しかし、当の本人はいたって真剣なまなざしのまま、淡々と続けた。
「魔力……融合……できた……から。」
「魔力融合……? あぁ……。」
彼の言葉を聞きながら、ティチェルリスはふと昨夜の感覚を思い返した。
彼の魔力が自分の中に溶け込むように流れ込み、まるで完全に一つになったような感覚。
それは今もなお続いていて、ビトリアンの存在を身近に感じられるほどだった。
(……そういえば、もう未来の私たちも出てこなさそうな気がするわね。)
思考を巡らせながら、スプーンでスープをすくう。
(というか……本当にアレをしないと、魔力融合ってできないのね。)
じんわりと広がる不思議な感覚。
全身がビトリアンの魔力に包まれているようで、心の奥底が妙に落ち着く。
(……なんだか、ビトーにずっと抱きしめられてるみたい。)
そんなことを考えた途端、ティチェルリスの頬が少しだけ熱くなった。
「……魔力……融合……は……危険……で、失敗……すると……拒絶反応が……起きて……」
「――ぶはっ!!!」
突然の言葉に、ティチェルリスは思わず口に入れていたスープを噴き出した。
「な、なななな……!!?」
スープをこぼしながら、目を見開く。
「ちょっと!? それ先に言いなさいよ!!!」
テーブルをバンッと叩きながら、全力で抗議するティチェルリス。
だが、ビトリアンは特に動じることもなく、淡々と答えた。
「大……丈夫……僕たち……愛し……合ってる。」
「――っ!!?」
ティチェルリスの顔が一瞬にして赤く染まる。
「なっ……なっ……なっ!?」
頭が一気に沸騰したような気がした。
(ちょ、ちょっと……!? それを真顔で言う!?)
怒りと恥ずかしさがないまぜになり、とうとう彼女の理性が吹き飛ぶ。
「~~~~~~っ!!!」
パシーン!!!!
鋭い音が寝室に響き渡る。
「ぐっ……!!?」
ビトリアンの顔が横に向き、頬にくっきりとした手の跡が残った。
「ばっ……ばか!!! 入浴してくる!!!!」
ティチェルリスは顔を真っ赤にしたまま、勢いよくベッドから飛び出す。
足音も荒く、一直線に浴室へ向かおうとするが、扉の前で一瞬振り返る。
そこには、頬を押さえながらしょんぼりしているビトリアンの姿があった。
「……次からは、ちゃんと順番を考えて発言しなさい!!!」
そう叫び、バタンと扉を閉める。
一人取り残されたビトリアンは、頬を擦りながらぼそりと呟いた。
「……首……折れるかと……思った……。」
その声には、どこかしら満足げな響きが混じっていた――。
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――——————
――廊下を一人で歩く。
陽の光が大きな窓から差し込み、大理石の床に柔らかな影を落としていた。
屋敷の中は静かで、遠くから使用人たちの話し声や足音が聞こえる程度。
昨夜の疲れが完全に抜けきっていないのか、ティチェルリスは軽く首を回しながら、ゆっくりと歩いた。
(……めでたし、めでたし……のはずなんだけど。)
すべてが解決したと思っていた。
未来のビトリアンとティチェルリスはもういないし、彼との関係もより深まった。
でも――。
まだやらなければいけないことがあった。
(というか、ビトー……!!)
ティチェルリスは、思わずこめかみを押さえたくなる。
社交界で広まる、とんでもない噂の数々。
「ガーナンドブラック公爵家、離婚の危機!?」
「ディアンナ嬢、ついに側室に!?」
――そんな内容の記事が、貴族の間で話題になっていた。
(全部、ビトーが考えなしにディアンナ嬢を追いかけ回してたせいよ!!)
もちろん、彼にとっては純粋な調査だったのはわかっている。
でも、周りから見れば「公爵閣下が若い令嬢を熱心に追い回している」ようにしか見えなかったのだ。
当然ながら、それが誤解を生み、「ビトリアンがディアンナ嬢に心変わりした」だの、
「ティチェルリス公爵夫人は見限られた」だのと、好き勝手に憶測が飛び交った。
(……これを何とかしないと、私の評判までガタ落ちよ……。)
呆れながらもため息をつくと、先程の会話を思い出す。
――「もう……ティチェ……しか……しない……から。ほっといても……大……丈夫。」
(いやいや、問題はそういうことじゃなくて!!)
のんびりした声で呑気なことを言うビトリアンを思い出し、思わず顔を覆いたくなる。
彼は「ティチェしか見てないから大丈夫」と思っているようだが、世間がそう思ってくれるかどうかは別問題だった。
(あとでしっかり文句言わなきゃ……。)
――そんなことを考えながら歩いていると、遠くでメイドたちが騒いでいるのが見えた。
「ひゃああ! 早く持ってきて!」
「もっと雪を! こっちにも!」
(……何をやってるの?)
メイドたちは、大きな桶に雪を詰め込んでは、慌ただしく走り回っていた。
まるで何かの緊急事態のように、てんやわんやしている。
「どうしたの?」
ティチェルリスが声をかけると、メイドの一人が振り向き、少し困ったような顔で答えた。
「お、奥様! 井戸が……井戸が凍ってしまって……!」
「井戸が?」
それを聞いたティチェルリスは、すぐに現場へ向かうことにした。
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――————
――井戸の前。
覗き込むと、底の水は完全に凍りついていた。
おそらく昨夜の寒さで氷が張り、水を汲み上げることができなくなったのだろう。
「……ちょっと、見せて?」
ティチェルリスは静かに手をかざし、水の魔法を発動する。
凍った水を少しずつ溶かしながら、魔法で井戸を満たしていく。
やがて、水面がじわじわと上昇し、氷の塊が少しずつ溶けていった。
(ついでに、お湯にしておこうかしら?)
手をさらにかざし、今度は雷の魔力を繊細に調整する。
電気の振動を利用し、水の温度を適度に上げる。
すると――井戸の底の冷たい水と、上から注いだ温かな水が、ゆっくりと混ざり合っていく。
(……魔力の融合……か。)
ふと、その言葉にティチェルリスの意識が別の方向へ向いた。
――昨夜、ビトリアンと交わった時のこと。
(……毎晩……魔力融合……。)
ビトリアンの腕の中で包まれた感触、深く交わるたびに魔力が馴染んでいく感覚。
(……あれも、魔力の融合よね……?)
どんどん思い出してしまう。
甘く、濃厚な感触が全身に蘇る――。
――ボンッ!!!
「――っ!!?」
突然、ティチェルリスの顔が真っ赤に染まった。
(な、なななななに考えてるの私!!)
恥ずかしさに動揺しすぎて、魔力の調節が乱れる。
――バシャアアアアア!!!!
次の瞬間、井戸の水が大爆発するかのごとく溢れ、四方八方に飛び散った。
「きゃあああああ!!!!」
「うわぁぁぁ!?!?!?」
周囲にいたメイドたちが、一斉にびしょ濡れになる。
ティチェルリス自身も、水浸しになりながら、呆然とした顔でその惨状を見つめた。
(……やってしまった。)
「わ、わ、わあああ!! ごめんなさい!!!」
彼女は慌てて頭を下げながら、悲鳴を上げるメイドたちの方へ駆け寄るのだった――。




