50話目
雷の共鳴が収束し、世界が静寂に包まれたかと思った次の瞬間。
「……っ!」
ティチェルリスは思わず息をのんだ。
光の中心に立っていたのは、黄金の輝きをまとったビトリアンだった。
彼の体は金色に発光し、まるで神々しいほどの気配を放っている。
しかし――ティチェルリスの胸に広がったのは、畏怖でも感動でもなく、恐怖だった。
(……ビトー?)
彼は今、誰なの?
「……ついに……手に入れた。」
低く、満ち足りたような声が響く。
その瞬間、ティチェルリスの背筋に冷たいものが走った。
「……ビトー……?」
言葉にするのも怖かった。
まさか――まさか、本当に体を乗っ取られてしまったの?
――すると。
『なぜだ!!何故乗っ取れない!!』
突如、空間が歪んだように揺らぎ、どこからともなく絶望の叫びが響き渡る。
ティチェルリスが目を見開くと、ビトリアンの体の中から、青白い雷のような影がうねるように揺れ動いていた。
それはまるで、何かが体の中でもがいているかのようだった。
(……未来のビトリアン!?)
「お前は……もう僕……だよ。」
ビトリアンは、静かにそう呟いた。
声は確かに彼のもの。
しかし、その表情は、まるで誰かと戦っているかのように苦しげだった。
『いやだ……!! 離せ!!!』
雷の影が暴れ、周囲の大気がバチバチと軋む。
ティチェルリスは、わずかに身を引きながら、息を呑んだ。
「ビトー……なの?」
怖くて、でも、確かめずにはいられなかった。
彼はゆっくりと顔を上げる。
青い瞳が、真っ直ぐにティチェルリスを見つめた。
「うん……。」
その一言を聞いた瞬間、ティチェルリスの胸の奥で何かがほどけるように解けた。
(よかった……。)
涙が溢れそうになったが、まだ油断はできない。
その時――。
『ご両親の魔力が、今のビトリアンを守ってくれたのよ。』
雷の人魂――未来のティチェルリスが、ふわりと近づいてくる。
ティチェルリスは驚いて彼女を見つめた。
「……ご両親の魔力?」
『ええ。ビトリアンの母親と父親は、ビトリアンを守るために、強大な魔力を残してくれていたのよ。その魔力が、今のビトリアンを未来のビトリアンから守ってくれたの。』
「……そうだったんだ……。」
しかし、その安堵もつかの間。
「ティチェ……このまま……だと、僕……魔力を……全部……保有できなくて……体……裂ける……。」
ビトリアンの息が荒くなる。
体の金色の光が、今にも不安定に揺らぎ、弾けそうになっていた。
ティチェルリスは青ざめた。
「えぇ!?どうすればいいの!?」
『簡単よ。あなたが彼の魔力を受け入れればいいの。』
未来のティチェルリスは、どこか穏やかに微笑んで言う。
「私が……?」
「ティチェ……もらって……くれる?」
ビトリアンが、辛そうに問いかけた。
ティチェルリスは迷わなかった。
「いいわ! もらうわ! いくらでも――」
その言葉を最後まで言い切る前に、
「んっ!!」
次の瞬間、ビトリアンが強くティチェルリスを抱きしめ、唇を重ねた。
――深く、深く。
ティチェルリスは驚いたが、すぐに理解した。
(……ビトーの魔力が……流れ込んでくる……!!)
彼の体から放たれる雷の魔力が、まるで水流のようにティチェルリスの体へと流れ込む。
その中に確かに感じた。
未来のティチェルリスの魔力――。
本来あるべき場所へと還るように、穏やかに、しかし確かに彼女の中へと吸い込まれていく。
寒空の下、二人はただ口づけを交わし続けた。
唇がふやけてしまいそうなほど、長い時間――。
そして――。
「……ぷはっ!!」
二人はほぼ同時に唇を離し、その場に膝をついた。
「死ぬ……かと……思った……。」
ビトリアンが荒い息を吐きながら呟く。
「わ、私もよ……。」
ティチェルリスも同じく肩で息をしながら、ぐったりと座り込んだ。
魔力の受け渡し――それが、これほどまでに大変なものだったとは思わなかった。
(……はぁ……こんなの……もう二度と……。)
ゆっくりと体勢を整え、ようやく息を落ち着かせる。
そして――。
ビトリアンとティチェルリスは、同時に顔を見合わせた。
「……。」
「……。」
二人とも、疲れ果てた表情のまま。
けれど――。
「……ふふっ。」
「……ははっ。」
思わず、くすくすと笑い合った。
――どちらともなく、自然と。
長く苦しい時間を過ごし、ようやく迎えた結末。
身体の奥からじんわりと温もりが広がり、重たかったまぶたがようやく軽くなる。
深く呼吸をすると、冷たい夜の空気が肺に染み渡った。
ふと、隣を見る。
ビトリアンもまた、荒い息を整えながら、静かに彼女を見つめていた。
そして――。
「ティチェ……18歳…の…誕生日……おめでとう……。」
「……え?」
ティチェルリスは、一瞬、何を言われたのか理解できずに目を瞬かせた。
次の瞬間、口元が震え――。
「ぷはっ!!」
思わず吹き出してしまった。
「どんな誕生日よ!!」
心からのツッコミだった。
だって――誕生日に、未来の自分とビトーに命を狙われ、逃げ回り、雷を暴走させ、ビトーと口づけで魔力を分け合うなんて。
ロマンチックどころか、壮絶すぎる。
「……ほんと、ありえないわよ……。」
ティチェルリスは、呆れながらも、なんだか笑いが止まらなかった。
ビトリアンも、微かに口元をほころばせる。
「でも……無事に迎えられたから……いいんじゃない?」
「……まぁ、そうだけど……。」
誕生日を迎えるどころか、生き延びられるかすら怪しい状況だったのだから。
それに、こんな風に二人で並んで、笑い合えていることが――何よりも嬉しかった。
「……帰ろっか……。」
ビトリアンが、そっと手を差し出す。
ティチェルリスは、一瞬だけその手を見つめ――。
「うん。」
しっかりと手を取った。
次の瞬間。
バチッ――!!!
二人の体が光に包まれた。
雷の波動が身体中を駆け巡り、軽く浮き上がるような感覚が広がる。
「んっ……やっぱり慣れないわね……。」
「力抜いて……。」
ビトリアンが優しく支えるように手を引くと、ティチェルリスの体はふわりと軽くなった。
金と青の雷が絡み合い、二人の体が溶けるように光へと変わる。
次の瞬間――。
バチィィンッ!!!!!
雷光が迸り、一瞬にして二人の姿は消えた。
プラズマ化した二つの光は、夜空を駆け抜けるように流れていく。
高速で移動しながらも、ティチェルリスはビトリアンの手をしっかりと握りしめていた。
二つの雷光はガーナンドブラック公爵家へと一直線に帰還していった――。
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―――—————
――ふたりだけの、甘く静かな夜の寝室。
窓の外には、夜の闇が広がっていた。
けれど、室内はほのかに灯るランプの光に照らされ、温かく穏やかな空間だった。
ベッドの上、二人は並んで腰掛けていた。
バスローブ姿のまま、湯上がりの余韻をまといながら。
ビトリアンが、ティチェルリスの髪をそっと撫でる。
「……疲れた……?」
問いかける声は、どこか優しく、労わるような響きを帯びていた。
ティチェルリスは、彼の肩に頭を預けながら、小さく息をついた。
「……疲れたわ……。」
全力で走り、魔力を暴走させ、そして未来の自分たちと向き合った一日。
心も体も、すっかり消耗していた。
けれど――。
「でも……したい……。」
ふと、ビトリアンが呟くように言った。
ティチェルリスは驚いたように彼を見上げ――すぐに、ふっと微笑んだ。
「……うん……私も。」
そっと指先が触れ合う。
ビトリアンは、ティチェルリスの手を包み込みながら、静かに囁いた。
「……頑張ろうね……ティチェ……。」
その言葉とともに、額に優しくキスを落とす。
触れるだけの、けれど、深く愛しさを込めた口づけ。
ティチェルリスの頬が、じわりと熱を帯びた。
「……ん……。」
彼の温もりを感じながら、ティチェルリスはふと、あることを思い出す。
「あ、そういえば……。」
「……?」
ビトリアンがティチェルリスを見つめる。
「ディアンナ嬢と、何してたの?」
ビトリアンの動きがぴたりと止まった。
ティチェルリスは、ちょっとだけ拗ねたような表情を浮かべながら、彼の瞳を覗き込む。
「私、見せられたんだけど……。」
「……っ。」
ビトリアンは、ほんの少しだけ目をそらし――そのまま、ごく淡々と答えた。
「未来の……ティチェが……そこに……入って……た……から……回収……してた……。」
「ふーーーん。」
ティチェルリスは、じとっと彼を見つめる。
「それにしても……ずいぶん親密そうだったけど?」
彼女がわざと小首をかしげながら言うと、ビトリアンは一瞬きょとんとした表情を見せ――。
「……。」
少し考え込み。
そして――。
「………じゃあ……ティチェと……三倍……親密……する。」
そう言って、静かに顔を近づけた。
「――っ……」
ティチェルリスの唇に、そっと触れる口づけ。
最初は、ただ触れるだけの優しいもの。
けれど――すぐに、それは甘さを増し、深く、深くなっていく。
「……ん……っ……」
腕がまわされ、温もりに包まれる。
肌と肌が触れ合うたびに、心まで溶けてしまいそうだった。
ビトリアンの指がティチェルリスの頬をそっと撫で、優しく髪を梳く。
(……だめ……こんなの……。)
頭がぼんやりしてしまうほど、甘くて、心地よくて――。
「ティチェ……。」
名を呼ばれるだけで、胸の奥がきゅっとなる。
(……ほんと……ずるい……。)
囁くような声、優しく触れる唇、どこまでも甘く溶けるような空気。
そして――二人は、そのままゆっくりと交わっていく。
お互いの体温を確かめるように、何度も触れ合いながら。
(……ビトー……好き……。)
そんな想いを胸に抱きながら、二人はただ、ひたすらに愛を確かめ合った――。




