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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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45/52

45話目

翌日、ティチェルリスは書物庫にいた。


いつもと変わらぬ静けさ。


長い本棚が整然と並び、陽の光が窓から差し込んで、木製の机に優しい影を落としている。


けれど――彼女の心は、昨日の出来事でざわついたままだった。


(あんなことをしておいて、無言で済ませるつもり?)


昨日、確かに彼はいた。

彼は、ビトリアンが私に触れるのを"拒絶"した。


ティチェルリスは、大きく息を吸い込んで、書物庫の奥へ進む。


そこは、誰の目も届かない場所。


そして――小さく囁くように言った。


「……ビトー。」


静寂が支配する書物庫に、その声だけが響く。


「出て来て。」


――すると。


「……お呼びですか?」


背後から、ふわりとした声が落ちる。


ティチェルリスが振り返ると、そこには未来のビトリアンが立っていた。


相変わらずの王室騎士団の制服。

その身は薄く光を帯びており、まるで月明かりの下に立っているように、幻想的な姿をしている。


ティチェルリスは、真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。


「……どういうつもり?」


未来のビトリアンは、少しだけ首を傾げた。


「何が……でしょう?」


「昨夜、房事を妨害しといて、とぼけないで。」


その瞬間、彼の唇がふっと持ち上がった。


静かで、けれどどこか冷たく、何かを隠すような笑みだった。


「……あの汚らわしい僕がティチェに触れるくらいなら――いっそ、僕と心中した方がマシですよ。」


ティチェルリスの胸が、ぐっと締め付けられる。


「……心中。」


それが彼の"本気"なのか、それともただの脅しなのか。


彼の目を覗き込もうとするが、未来のビトリアンの瞳は、どこか悲しげで、それでいて冷静すぎるほど冷静だった。


「本気で言ってるの?」


「ええ。」


彼は、当たり前のことのように頷く。


「ティチェを、これ以上泣かせてしまうくらいなら――僕がもらう。」


「……!」


その言葉に、ティチェルリスの指先が微かに震えた。


(本当に、彼は……。)


「実体を持たないあなたが、どうやって私をもらうのよ。」


彼は、ゆっくりとティチェルリスの手を取る。


彼の手は、"確かにそこにある"と錯覚するほどに温かく、まるで普通の人間のような質感を持っていた。


「過去へ、もう一度二人で飛びましょう。」


「……え?」


「今度は失敗しません。」


ティチェルリスの瞳が揺れる。


「失敗?」


「あなた――未来で、何か失敗したの?」


未来のビトリアンは、少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。


「失敗とも言えますし――成功とも言えます。」


彼の言葉は曖昧だった。


しかし、その表情には、何か強い感情が滲んでいる。


「ビトー……。」


ティチェルリスは、彼を見つめながら、静かに首を振った。


「とにかく、私が今一番好きなのは、今のビトリアンなの。」


未来のビトリアンの指先が、ぴくりと動く。


「……。」


「だから、ビトリアンを置いてどこかへ行くなんて――無理よ。」


「……。」


未来のビトリアンは、何も言わずに彼女を見つめていた。


(昨夜、あんなに弱音を吐いて……。)


(とても、とても言い辛かったでしょうに。)


ティチェルリスは思い出す。


昨夜のビトリアンの不安そうな声。

情けないと呟いた、かすれた声。


(そんな彼を置いて、どこかへなんて……行けるわけないじゃない。)


ティチェルリスは、未来のビトリアンの手を振りほどいた。


「……。」


その瞬間、未来のビトリアンはふっと微笑む。


けれど、その笑みには、どこか冷たさが滲んでいた。


「ティチェ。」


「……何?」


未来のビトリアンは、静かに口を開く。


「今のビトリアンは、残念ながら――浮気しているようですよ。」


「……は?」


ティチェルリスは、一瞬、思考が停止した。


「……浮気?」


「ええ。」


未来のビトリアンは、どこか楽しげに続ける。


「無理だと感じて、早々に別の女性に手をつけている。」


「はぁ!?」


ティチェルリスは、怒るよりも呆れ果てた。


(嘘をつくなら、もう少しマシな嘘をつきなさいよ。)


「……あのね。」


ティチェルリスは、両手を腰に当て、じとっと未来のビトリアンを睨む。


「ビトーがそんなに器用な人間なわけないじゃない。」


「それはどうでしょう?」


未来のビトリアンは、にこりと笑う。


「案外、焦っているのかもしれませんよ?」


「……はぁ。」


(切羽詰まって、とんでもないことを言い出したわね。)


未来のビトリアンの言葉が、どこまで本気なのか分からない。


けれど、彼の表情は――どこか余裕すら感じられるものだった。


「近々、その現場をご覧にいれましょう。」


「ちょっ――」


ティチェルリスが止める間もなく、未来のビトリアンの姿がふっと揺らぎ、青白い光となって消えていく。


「……っ!!」


彼が消えた空間に向かって、ティチェルリスは思わず叫んだ。


「ちょっと!! 待ちなさいよ!!!」


けれど、返事はない。


書物庫には、ただ静寂だけが残った。


「……はぁ。」


ティチェルリスは、思わず額に手を当てる。


(……何よ、あの言い草。)


(ビトーが浮気? ありえないわよ。)


あのビトリアンが、そんな器用な真似ができるはずがない。


けれど――。


未来のビトリアンは、"現場を見せる"と言った。


(……何を企んでるの?)


ティチェルリスの胸に、ざわりとした不安が広がっていくのを感じた。


――—————————

――———————


静まり返った部屋の中、ベルブロッサ子爵の低い声が響く。

50代半ばの彼は、額に汗を滲ませながら、ビトリアンの前で慎重に言葉を選んでいた。


「……ですので、公爵閣下。娘も十分に反省しております。どうか……どうか、電力料金の件をご再考いただけませんか?」


彼の言葉には、切実な懇願の色が滲んでいた。


ベルブロッサ子爵家――。

かつて、彼の娘であるディアンナがティチェルリスを誘拐するという前代未聞の事件を起こした。


その報いとして、ガーナンドブラック領から供給される電力料金は"通常の三倍"に設定されている。

これが、子爵家にとって大きな負担となっていたのは明らかだった。


「……。」


ビトリアンは、目の前の子爵を冷ややかに見つめる。


「反省が足りないのでは?」


その静かな一言に、子爵はビクッと肩を震わせた。


「そ、そんな……。」


「損をしたと……そう思っているだけでは?」


淡々とした口調で告げると、ベルブロッサ子爵は絶句した。


(結局、彼が気にしているのは"負担"のことであって、ティチェへの謝罪など二の次なのだろう。)


ビトリアンは、内心でそう冷ややかに思いながら、子爵の表情を見つめる。


しばしの沈黙の後、子爵は小さくため息をつき、疲れたようにうなだれた。


「……ご検討いただけるだけでも、ありがたく存じます。」


もはや何を言っても無駄だと悟ったのか、子爵はそれ以上の言葉を口にすることはなかった。


ビトリアンは、それを確認すると静かに立ち上がる。


「では――失礼する。」


彼は無駄な会話をする気もなく、そのまま部屋を後にした。


ベルブロッサ子爵邸の長い廊下を、一人で歩くビトリアン。

壁には華やかな装飾が施され、貴族らしい格式高い雰囲気が漂っている。


(……結局、無意味な交渉だったな。)


電力料金を下げるつもりはない。

ティチェを傷つけた罰が軽くなることは、決してないのだから。


そう思いながら歩いていると――。


「お待ちください!!」


突然、背後から女の声が響いた。


次の瞬間――。


ギュッ!!


ビトリアンのマントが、小さな手にぎゅっと掴まれる。


「……?」


振り返ると、そこにいたのはベルブロッサ子爵の娘、ディアンナだった。


華やかな金髪に、美しく整った顔立ち。

だが、以前のような傲慢な雰囲気は消え、どこか必死な表情を浮かべていた。


「子がまだだと聞いております。」


彼女は息を整えるようにしながら、真っ直ぐにビトリアンを見つめる。


「……?」


「私を妾にしてくださいませ。」


「……。」


ビトリアンの眉が、僅かに動く。


「私は雷属性です。ガーナンドブラック家にふさわしい魔力を持っております!」


そう言うと、彼女は手のひらを上げた。


次の瞬間――。


バチバチッ!!


彼女の掌の上に、小さな雷が弾けた。


純度の高い雷の魔力。


(……!?)


ビトリアンの瞳が、大きく見開かれる。


「……。」


驚きのあまり、無意識のうちに彼女の腕を掴んでいた。


(まさか……本当に雷を……?)


「ディアンナ嬢……。」


「はい!」


ディアンナは誇らしげに微笑む。


「あなたの……雷は……生まれつき……か?」


「はい!もちろんです!!」


ディアンナは自信満々に頷く。


「両親は別の属性ですが、私は雷を持って生まれましたわ。」


「……。」


ビトリアンは、しばし彼女を見つめた。


その雷は――確かに純度が高い。


(しかし……にわかには信じ難い。)


ガーナンドブラック家の雷の力は、王家のエネルギー供給を担うほどの特殊な魔力。

その純度の高い雷が、ガーナンドブラックの血を引かぬ下級貴族に宿るなど、あり得るのだろうか?


しかも、両親が別の属性にもかかわらず。


(本当に……生まれつきなのか?)


疑問が膨らむ。


だが――それ以上に、ビトリアンの心をざわつかせたのは。


(この雷……。)


ほんの一瞬だったが――確かに感じた。


彼女の雷から、ティチェルリスの気配を。


(……なぜだ?)


雷の性質が似ているだけなのか?

それとも――。


「……。」


ビトリアンは、そっと手を離し、ディアンナから一歩距離を取った。


「……失礼する。」


ディアンナは、何か言いたげな表情をしていたが、結局それ以上の言葉を発することはなかった。


ビトリアンは、再び歩き出しながら、思考を巡らせる。


(調べることが、また増えたな……。)


雷の魔力の継承。

ガーナンドブラックの血統。

そして、ディアンナの魔力とティチェルリスの気配――。


このままでは終われない。

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