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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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44/52

44話目

夜の闇を切り裂くように、ガーナンドブラック領地の公爵邸の上空に一筋の閃光が走った。


次の瞬間――。


バチバチッ……ッ!!!


空間が歪むような音とともに、ビトリアンの姿が門前に現れる。雷の魔力を纏った彼は、まるでプラズマのように空間を移動し、一瞬にして王宮から戻ってきたのだ。


「……ただいま。」


誰に向けたでもない小さな呟きを漏らしながら、そのまま館の中へと足を踏み入れる。広々とした玄関ホールを抜け、迷いなく向かう先は――浴室。


暖かな湯気が立ち込める浴室。湯船に身を沈めると、熱がじんわりと全身を包み込んだ。


ぶくぶくぶく……。


湯の中で口を沈め、細かく泡を立てながら目を閉じる。


(守るっていっても……ティチェみたいに頭よくないし……。)


脳裏に浮かぶのは、王からの圧力と、ティチェを守るために何をすればいいのかわからない自分。


(実際、どうすればいいんだ……。)


彼は、己の無力さを噛み締めるように湯の中で目を閉じる。


(……僕は……無力だ。)


王の言葉に、圧力に、ただ従うしかない現状。

ティチェを守ると誓ったのに、そのための"方法"すら見つけられない。


(……もし、あの日、あんな風に育っていれば……。)


頭の中に、もうひとつの"記憶"がよぎる。


未来の自分。

その思考、経験、知識……。


(もし、あの時の僕が、もっと違う育ち方をしていたら……。)


あの"未来の自分"なら、この問題をどう解決したのだろうか。


「……。」


答えは出ないまま、ビトリアンは静かに目を開け、湯から上がった。


濡れた髪をざっとタオルで拭きながら、ビトリアンは静かに寝室へと向かう。


ドアノブに手をかけ、そっと開くと、暖かな光が視界に広がった。


ベッドサイドのランプが淡い橙色の光を灯し、その光の下でティチェルリスが分厚い本を開いていた。

ページをめくる指先が、規則的に動いている。


ビトリアンの帰還に気づいたティチェルリスは、ぱっと顔を上げると、にこっと微笑んだ。


「ビトー!帰ってたのね!」


明るく、どこか安心したような声。

その笑顔を見た瞬間、ビトリアンの張り詰めていた心が、ほんのわずかに緩む。


しかし、それでも彼は言葉を発せず、ただ黙ったままベッドへと向かった。


布団の中に潜り込むと、ティチェルリスの隣でごそごそと身体を寄せる。

ひんやりとした体温が、布団の中でゆっくりと温まっていく。


そして――。


「ティチェ……。」


ビトリアンは、ふっと彼女の肩に顔を埋めるようにして、低く呟いた。


その声は、どこか弱々しく、頼るような響きを帯びていた。


「僕……どうして……こんなに……情け……ないんだろう……。」


ティチェルリスは、彼の異変にすぐ気づいた。


いつもは無表情で、何を考えているのか分かりづらい彼が、こうして素直に弱音を吐くことは滅多にない。


彼女は、本をそっと閉じ、布団の中で向き直る。


「どうしたのよ。王様に何か言われたの?」


「うん……言われた……。」


ビトリアンの声は、どこか疲れきっていた。

その瞳には、うっすらと陰りが差している。


ティチェルリスは少し考えた。


王が彼に何か言うとしたら……内容は、ほぼ決まっている。


「……子供はまだか……って?」


「……っ!」


ビトリアンの瞳が大きく見開かれる。


その動揺を見た瞬間、ティチェルリスはすぐに察した。


「その顔……当たりみたいね。」


「………ばれたか。」


まるで観念したように、ビトリアンは小さく息を吐いた。


ティチェルリスは、ふっと小さく笑う。


「王様にそう言われるの、嫌だった?」


「……。」


ビトリアンは何も言わない。


ただ、その目には、どうしようもない戸惑いと迷いが浮かんでいた。


ティチェルリスは、少し間を置いて、ゆっくりと彼を見つめる。


「ビトーは……私とそういうことするの、嫌なの?」


率直な問いだった。


ビトリアンの瞳が揺れる。

彼女の言葉が、思いがけず胸の奥を突いてきたように。


「違う……そうじゃ……ない……。」


「……じゃあ、今からしよっか。」


ティチェルリスは、柔らかく微笑みながら言った。


「……え?」


ビトリアンの動きが止まる。


まるで、何かの聞き間違いかのように、ゆっくりと彼女の顔を見つめた。


「……本気?」


ティチェルリスは、ゆっくりと彼の手を取り、そのまま自分の胸元へと導く。


「……。」


ビトリアンの指先が、ほんのりとした温もりに触れた瞬間――。


息をのむ音が、静かな寝室の中に響いた。


彼の指は、柔らかな肌に触れたまま、微かに震えている。


(……こんなに冷たくなってる。)


ティチェルリスは、彼の手をそっと包み込むように握りながら、そっと瞳を覗き込んだ。


ビトリアンの青い瞳は、驚きと、どこか迷いを孕んでいた。


「……ティチェ……。」


彼の指が、ほんのわずかに動く。


まるで、その温もりを確かめるように。


けれど――。


ビトリアンの瞳には、まだ迷いが見える。


(……この人は、本当はどう思ってるんだろう。)


王の圧力のせいなのか、それとも、自分に対する"ためらい"があるのか。


ティチェルリスは、彼の顔をじっと見つめながら、静かに息を吸った。


「ビトー。」


「……。」


「私といるの……嫌じゃないんでしょう?」


彼の指が、ぴくっと微かに動く。


「……嫌じゃない……。」


「じゃあ――」


ティチェルリスは、そのまま彼の首に手を回し、ゆっくりと顔を近づける。


「……ビトー。」


彼の名を呼ぶと、ビトリアンの呼吸が、かすかに乱れるのがわかった。


「……っ。」


ビトリアンの瞳が揺れる。

ティチェルリスの真剣な表情を見つめながら、彼は何かを決意したように、そっと彼女を押し倒した。


(ティチェ……。)


その目には、決意と不安、そして迷いが入り混じった複雑な感情が滲んでいる。


ゆっくりと彼の唇が降りてきた。

彼女の温もりを確かめるように、深く、そして優しく唇を重ねる。


ティチェルリスも、迷うことなく彼の背に腕を回した。


(……ビトー。)


彼の腕の中は、どこまでも温かく、しかしどこか不安げに震えているようにも思えた。


ゆっくりと、彼の指が動き出す。

服のボタンが一つ、また一つと外され、彼女の肩にそっと触れた指先が、慎重に滑り落ちていく。


「……っ。」


静かな寝室に、ティチェルリスの小さな息が漏れる。

彼の指が、彼女の鎖骨のあたりをなぞりながら、やがて――。


バチン!!!


「……っ!?」


突如、鋭い雷のような電流が弾け、ビトリアンの手が勢いよく弾かれた。


ビリビリと痺れる手を見つめるビトリアン。


「なっ……!? 何、今の……。」


戸惑いの色を浮かべながら、思わず手を握りしめる。

ティチェルリスも驚き、息を呑んだ。


(今の……雷の魔力!? でも、ビトーのじゃない……。)


"誰か"が、私の身体を守るようにして……ビトーを拒絶した!?


次の瞬間、ビトリアンの声が、小さく震えながら落ちてきた。


「ずっと……ずっとしようと……してきた。」


「……え?」


「ティチェが……寝てる間も……何度も……何度も……。」


ビトリアンのその呟きを聞いた瞬間、ティチェルリスは悟った。


(……未来のビトリアンの仕業ね。)


(あいつ……。)


彼が房事を妨害している。

しかも、私が寝ている間にビトーは、何度も試みていたということは、すでに何度も拒絶され続けていたのだ。


(私の身体すら、ビトーの手が触れないように守っている……。)


ティチェルリスは歯を噛みしめた。


(でも……これを今のビトーに言うわけにはいかない……。)


未来のビトリアンの存在を伝えれば、彼がどう思うか分からない。

疑心暗鬼になり、苦しませるだけかもしれない。


それに――。


(……王の圧力があるのよ!? こんなことしてる場合じゃないのに!!)


ティチェルリスは、迷ったが――すぐに決意した。


「……わかった。じゃあ、私が脱ぐわ!」


自分の手で、下着に手をかける。


だが――。


バチン!!!


「きゃっ!」


彼女の手さえ、同じように弾かれた。


(なんなの!? いい加減にしなさいよ!!)


(王から圧力がかかってるのよ!? ここでできなかったら、本当に……!)


ティチェルリスは心の中で未来のビトリアンに語りかける。


だが、返事はない。


ただ"沈黙"の中で、強制的に妨害された事実だけが、彼女を突きつけてくる。


「ティチェ……無理……だめ……。」


ビトリアンは、そんなティチェルリスをそっと抱き寄せた。

その腕の力は、まるで"大丈夫"と言っているかのように、優しくて、けれど確かだった。


「ダメでも!!……このままじゃ……私たち……。」


(このままじゃ、ビトーが……。)


ティチェルリスは必死に考えた。

けれど――。


彼の手が、そっと彼女の背を撫でる。


「僕……じゃ、知恵が……無い……から……。」


「……。」


「頼って……いい?」


ビトリアンは、いつになく不安そうに呟く。


ティチェルリスは、一瞬驚いたように彼を見つめ――。


「当たり前よ……当たり前じゃない!!!」


ぎゅっと、彼を抱きしめた。


「ビトーはいつも一人で何でもやろうとするけど、私はあなたの妻よ!」


「……。」


「私があなたを頼るのと同じように、あなたも私を頼って!」


ビトリアンの青い瞳が、少しだけ見開かれる。


「……うん……。」


彼の声が、かすかに震えた。


しばらく、二人は何も言わず、ただお互いの温もりを感じながら抱きしめ合っていた。


静かな夜。


互いの心音が、ゆっくりと重なるように響く。


やがて――ビトリアンが、ぽつりと呟いた。


「でも……僕が……電力供給で……体力……なくなるって……いったら……。」


「うん?」


「……来年……冬…から…暇を……やるって……。」


ティチェルリスの表情が変わる。


「……つまり、1年は猶予があるってことね。」


「うん……。」


ティチェルリスは目を伏せ、ゆっくりと息を吐く。


(1年……。)


(その間に、何とかしなきゃ……。)


未来のビトリアンの干渉をどうにかしない限り、王の命令に逆らうことはできない。

もし、このまま未来のビトリアンが妨害を続ければ――私とビトーは……。


ティチェルリスは、そっとビトリアンの顔を見上げた。


「……わかったわ。考えましょう。…一緒に。」


「うん……。」


ビトリアンは、ティチェルリスの髪をそっと撫でた。

その指先は、彼女を安心させるように優しく、けれどどこか頼りないほどに弱々しかった。


(僕が…情けない夫でごめんね。)


(ごめん、ティチェ……。)


(僕はほんとうに……君がいないと……何もできないんだ。)


ビトリアンの心の中で、静かに言葉がこぼれる。


ティチェルリスは、その気持ちを受け取ったかのように、彼の胸元にそっと顔を埋める。


「……ビトー。」


「……?」


「大丈夫よ。」


そう言いながら、ぎゅっと抱きしめる。


(大丈夫。何としても、この1年の間に解決策を見つける。)


未来のビトリアンが許さないのなら――その存在をどうにかするしかない。


静かな夜の中、ティチェルリスの心には、確かな決意が生まれていた。

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