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3話目

公爵家に来て数日。


 ティチェルリスは予想外に、この生活を 「最高!」 だと感じていた。


 いじめてくる令嬢もいない。

 馬鹿にしてくる学友もいない。

 使用人たちはみんな優しくて、気遣いも完璧。


(伯爵家でも、学校でも、"異端児"って言われてきたけど……)


 この家では、そんな言葉は誰も口にしなかった。

 彼らは彼女を純粋に 「公爵夫人」 として迎え入れてくれていた。


「でも、奥様って呼ばれるの、なんだかくすぐったいのよねぇ」


 ティチェルリスはニコニコと微笑みながら、使用人たちに向かって言った。


「だから、奥様じゃなくて ティチェ って呼んでよ!」


 突然の提案に、使用人たちは一斉に戸惑いの表情を浮かべた。


「ですが……それは……」

「坊ちゃまの奥様ですから……」


「もう!いいじゃない!」


 ティチェルリスは頬を膨らませながら、腕を組む。


「私、この家の暮らし 最高 だって思ってるのよ? だから、もっと仲良くしたいの!」


 彼女の言葉に、使用人たちは顔を見合わせる。

 その後、困ったように微笑んだ。


「……では、お嬢様……ではなく、ティチェ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「うんっ!」


 ティチェルリスは嬉しそうに頷いた。

 伯爵家では、常に自分の存在を否定されてきた。

 "熱湯しか出せない"と蔑まれ、学校でも 異端児 と囁かれていた。


(ほんの少しだけ、最初から自分が特別なものだってわかっていれば……)


 そんな思いが、一瞬よぎる。

 だが、彼女はすぐに 首を振った。


(結局、私にできるのは "熱湯" だけだし。特別かどうかも、わからないよね)


 そう考えながら、屋敷の窓の外を見る。

 雪がちらつく庭園の片隅で、ベンチに座り、ぼんやりと外を眺めている ビトリアン の姿が見えた。


ティチェルリスは軽い足取りで近づき、

 寒空の下で静かに座っている 無表情な夫 を覗き込んだ。


「ねぇ!」


 話しかけても、彼は 微動だにしない。

 まるで置物のように、ぼーっと遠くを見つめたままだった。


「ねぇってば!」


 彼の顔を覗き込んでみるが、全く反応しない。


(むぅ……)


 ティチェルリスは 思い切って彼の顔を掴んだ。


「こっち向きなさいよ!」


 ぐいっと 両手で頬を引っ張り、強制的に自分の方へ向かせる。

 ひんやりとした肌に、わずかに驚きつつも、ティチェルリスは さらに畳みかけた。


「こっち来て!」


 彼が無反応なのをいいことに、彼女は 手をぐいっと引っ張った。


 すると、ビトリアンは まるで操り人形のように 立ち上がった。

 何も言わず、ただ引かれるがままに歩く。


(……本当に、言われた通りにしか動かないのね)


 呆れながらも、ティチェルリスは 半ば引きずるように 彼を中庭へと連れ出した。


 中庭のベンチに ドサッ と座らせると、ティチェルリスは 満足そうに笑う。


「よし! ここで待ってて!」


 ビトリアンは 無言のまま座り込む。

 彼の青い瞳は、どこか虚ろだった。


 ティチェルリスは ふと思い出したように 口を開く。


「あ、寒いでしょ。これ、着てて!」


 そう言うや否や、彼女は 毛布を手に取り、ビトリアンをぐるぐる巻きにした。


 すっぽりと包まれた彼は、顔だけが覗く状態になる。

 しかし、それでも無表情のままだ。


 ティチェルリスは 満足げに頷くと、突然スコップを手に取った。


「さてと!」


 雪の積もる庭の地面に、スコップを突き刺し、掘り始める。


ザクッ、ザクッ……。


 冷たい空気の中、ティチェルリスはひたすらスコップを振るっていた。

 雪をかき分け、土を掘り進めるたびに、さらさらと細かい土が広がる。


 額にはうっすらと汗が滲み、息が少し荒くなる。

 けれど、彼女は楽しそうに微笑んでいた。


(ふふん、いい感じに掘れてきたわね!)


 一方――。


 ベンチに座るビトリアン・ガーナンドブラックは、相変わらずぼーっとしていた。

 彼は毛布に包まれたまま、まるで放置された荷物のように動かない。


 ……いや、時間が経つにつれて、わずかに傾いてきている。

 寒さと無関心さのせいか、微妙に前のめりになりながら、今にもこけそうな体勢だった。


 ティチェルリスはちらりと彼を見て、小さく笑う。


(全然動かないわね、この人。本当に生きてるのかしら?)


 そして、しばらくして――


「できたー!!」


 ついに、ティチェルリスはスコップを掲げ、満足げに叫んだ。

 目の前には、そこそこ深く掘られた穴ができていた。


 広さも深さも申し分なし。

 これなら大人一人すっぽりと入るサイズである。


(これで準備は完璧!)


 彼女はくるりと振り向き、ぼーっと座っているビトリアンを見つめた。


 毛布に包まれたまま、彼は何も考えていないかのように虚空を見つめている。


 ティチェルリスは、いたずらっぽく口角を上げた。


「……さて、次はあなたの番よ」


 ビトリアンの手をぎゅっと掴み、ティチェルリスは容赦なく引っ張った。


「行くわよー!」


 ずるずるずる……。


 まるで荷物を運ぶように、彼女は公爵を穴の方へと引きずっていく。

 それでもビトリアンは抵抗することなく、ただ引かれるがままに動いていた。


(本当に何も感じないのね……この人)


 ティチェルリスは若干呆れながらも、気にせず作業を続ける。


「はい、ここに入って!」


 そう言うが早いか、彼女はビトリアンを穴の上に立たせ――


 そのまま、ズザッ!! と押し込んだ。


 彼の長身がすっぽりと穴の中に沈んでいく。

 瞬く間に、首だけがちょこんと地上に出た状態になった。


「完成!!」


 ティチェルリスは満足げにスコップを肩に担ぎ、腰に手を当ててドヤ顔をする。


(うん、いい感じ!)


 彼女としては、ただの遊びの延長だった。

 動かないビトリアンに、少しでも刺激を与えたかったのだ。


(こうやって外で動いたり、何かすれば少しくらい反応するんじゃないかって思ったんだけど……)


 しかし――


 ビトリアンは相変わらず、無表情のまま埋まっていた。

 首だけが地上に出た状態で、ぼーっとしている。


(……やっぱり、何も感じてないのね)


 その時だった。


「奥様!! いけません!!」


 甲高い声が響き渡った。


 ティチェルリスが振り向くと、屋敷の執事が血相を変えて走ってくるのが見えた。

 その後ろから、何人もの使用人たちが悲鳴を上げながら駆け寄ってくる。


「そんなことを坊ちゃまに……あぁ……!!」


 執事は両手で顔を覆い、今にも泣き崩れそうな表情をしていた。

 他の使用人たちも、息を呑んで立ち尽くしている。


 穴の中に埋まる公爵と、その横でスコップを持ち、達成感に満ちた顔をする公爵夫人。


 この状況、完全に異常である。


「お、奥様……なぜ、坊ちゃまを埋めるのですか……!?」


 執事が震える声で問いかけるが、ティチェルリスは不思議そうに首をかしげた。


「え? だって、埋めてみたら面白いかなって」


 悪びれる様子もなく答えるティチェルリスに、執事は青ざめた顔でがくがくと震え始めた。


「お、奥様……おふざけが過ぎます……!!」


 そんな中――。


 ビトリアンは依然として、ぼーっとしたままだった。

 穴の中から顔だけを覗かせ、遠くの空を見つめている。


「坊ちゃま……!?」


 周囲の使用人たちは、次第に不安げな表情を浮かべた。


(な、なんてことだ……坊ちゃまの感情は、本当にどこへ消えたのだ……)


 しかし――。


「……なんか、寒くない?」


 ビトリアンが、ぽつりと呟いた。


 その瞬間、執事の目から涙がこぼれた。


「坊ちゃまが……お言葉を発した……!!」


 衝撃を受けた使用人たちは、一斉に騒ぎ始めた。


「ま、まさかこの奥様が坊ちゃまを動かしたのか!?」

「い、いや、でも……方法が……あまりにも……」

「と、とにかく! 坊ちゃまをお助けしなければ!!」


 ティチェルリスはそんな大騒ぎをよそに、埋まっているビトリアンを見つめていた。


「寒い? そりゃそうでしょ、雪の中なんだから」


 彼女はスコップを肩に担ぎながら、軽く笑う。


「よし、じゃあ掘り出してあげる!」


 そう言うと、またスコップを振り上げ、今度はビトリアンを助け出すために掘り始めた。


「坊ちゃまー!! しばしのご辛抱を……!」


 そんな絶叫が響き渡る中――。


 無感情な公爵は、首だけ出したまま静かに空を見上げていた。


 ――ガーナンドブラック公爵、ここに埋められる。


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