27話目
華やかな音楽が流れる中、結婚式が始まった。
王都の大聖堂は、貴族や王族の参列者で埋め尽くされ、純白の花々で飾られた祭壇が厳かに輝いている。大理石の床には、長く伸びる赤いバージンロードがまっすぐに祭壇へと続いていた。
そして――
「緊張する……。」
ティチェルリスは、バルバータン伯爵に手を取られながら、そっと息を整えた。
純白のウェディングドレスは、ビトリアンが何時間もかけて選んだ特注品。繊細なレースがふんだんに施され、彼女の銀髪と青い瞳を一層際立たせている。けれど、ティチェルリスはそんなことを考える余裕もなく、ただひたすら自分の足元を見つめながら、一歩一歩進んでいた。
――しかし、その時だった。
「あんなにごわっとした婚礼衣装……きっとスタイルに自信がないんでしょうね。」
「太すぎる腕を隠してるんじゃない?」
どこかの令嬢たちが、ひそひそと笑いながら囁く声が、嫌でも耳に届いた。
(……っ!)
ティチェルリスの顔がピクッと引き攣る。
瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。視界がぼやけ、指先が震える。気にしないようにしようと思っても、彼女の心は酷く傷ついていた。
(私……やっぱり、このドレス似合わないのかな……。)
無意識のうちに、ドレスの裾をギュッと握りしめる。怒りと悲しみが入り混じり、今にもドレスを引き裂いてしまいそうなくらい、体がプルプルと震えていた。
(もう、やだ……。)
このまま逃げ出したい――そう思った、その瞬間。
――トン、トン、トン。
静寂を切り裂くような靴音が響いた。
ティチェルリスが顔を上げると、目の前には――
ビトリアンが立っていた。
「ビ、ビトー……?」
彼は、一言も発さないまま、ツカツカと力強い足取りで彼女の元へと歩いてきた。
その目は、まっすぐティチェルリスだけを見つめている。
そして――
バッと彼女の手を取った。
「あまりの……綺麗さに……待てずに……迎えに来ちゃった……ティチェ……。」
低く甘い声とともに、そっとティチェルリスのおでこに口づける。
「――!!?」
瞬間、ティチェルリスの顔が真っ赤に染まった。
(なっ……!? こ、こんな人前でっ……!!)
バージンロードを歩く最中に、突然迎えに来られるなんて前代未聞だ。
しかし、そんなティチェルリスの戸惑いもよそに、ビトリアンは周囲にいる貴族たちを静かに見回しながら、さらりと言い放つ。
「ティチェが可愛すぎて……みんな……嫌味を言わずにはいられなかったみたいだね……。」
その言葉に、ひそひそと陰口を叩いていた令嬢たちの顔が、みるみる蒼白になっていく。
彼の目は、冷たく、そして容赦なかった。
「……世界一綺麗だよ、ティチェ。」
静かに囁くその声は、驚くほど優しく、愛おしさに満ちていた。
先ほどまで泣きそうだったティチェルリスの心が、一瞬にして真逆に引っくり返る。
(……そ、そんなこと言われたら……!!)
心臓が、壊れそうなほどドキドキする。
そんな二人を見つめていたバルバータン伯爵は、思わず目を見開いた。
(……無感情な…人形では…なくなっている。)
予定とはまったく違う流れになってしまったが――
ビトリアンと目を合わせると、伯爵は静かにコクリと頷き、そっとティチェルリスの手を彼に託した。
「では、公爵様、どうぞ。」
一礼すると、伯爵は静かに席へと戻る。
こうして、本来ならバージンロードを伯爵と歩くはずだったティチェルリスは――
ビトリアンと共に、誓いの場へと進むことになった。
「ちょ、ちょっと……我慢できなかったの?」
顔を赤らめながら、小さな声で問いかけるティチェルリス。
すると、ビトリアンは淡々とした口調で、しかしどこか誇らしげに答えた。
「今日は……とびきり綺麗で……体が勝手に動いちゃった……。」
(こ、こいつ……!!)
完全に恥ずかしさの限界を迎えたティチェルリスだったが、式は待ってくれない。
祭壇の前に立つと、厳かな空気の中、神父の声が響いた。
「誓いの言葉を。」
二人は、大聖堂の中央、荘厳な祭壇の前に並び立っていた。
ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、純白のヴェールを透かしてティチェルリスの銀髪を淡く輝かせる。ビトリアンの白の礼服は、そんな彼女の姿を際立たせるかのように、静かに存在感を放っていた。
堂内は厳かな沈黙に包まれ、参列者たちは固唾を呑んで二人を見守っている。
神父の落ち着いた声が響く。
「夫ビトリアン、あなたはこの女性を妻とし、健やかなる時も、病める時も、彼女を愛し、支え、共に歩んでいくことを誓いますか?」
問いかけられたビトリアンは、迷いなくティチェルリスを見つめた。その深い瞳の奥には、確かな決意が宿っている。
「誓います。」
低く、穏やかな声が堂内に響いた。その瞬間、ティチェルリスの心臓が高鳴る。
(……珍しい…ビトーったら躊躇わずに誓うって言った。)
不思議な感覚に包まれながらも、彼女の胸にはじんわりと温かなものが広がっていく。
そして、今度はティチェルリスの番だった。
「妻ティチェルリス、あなたはこの男性を夫とし、健やかなる時も、病める時も、彼を愛し、支え、共に歩んでいくことを誓いますか?」
彼女は少しだけ息を整え、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には、ずっと自分を守り、導いてくれた人がいる。無感情だった彼が、少しずつ表情を見せるようになり、今こうして、自分の隣に立っている。
その事実が、どれほど大切なものなのか――彼女は、ようやく理解し始めていた。
「誓います。」
少し震えながらも、しっかりとした声で言葉を紡ぐ。
その瞬間、ビトリアンの表情がわずかに和らぐ。
神父の厳かな声が響き渡り、大聖堂の天窓から降り注ぐ柔らかな光が、二人を優しく包み込んでいた。
やがて――
「指輪の交換を。」
式の終盤、指輪の儀式へと進む。
この国では、指輪を交換する際、そこに宿る宝石へ自身の魔力を込めるのが伝統となっていた。それは、単なる誓いではなく、二人の魔力が互いに調和することを意味し、絆を深める儀式でもある。
ティチェルリスは、用意された指輪を見つめた。
――小さな水色の宝石が、リングの中央に輝いている。
けれど、初めての経験に少し不安が募る。果たして、自分にうまくできるのだろうか。
隣のビトリアンを見ると、彼はそんな彼女の迷いを察したように、そっと身を寄せ、耳元で囁いた。
「ティチェ、訓練の延長だよ?」
「……え?」
「水の魔力を込めてみて。うまくできたら、後で訓練を見てあげる。」
「……!」
ティチェルリスは思わず息を呑んだ。
(……訓練……なら、できるかも……!)
少し緊張しながらも、コクリと小さく頷く。
ゆっくりと目を閉じ、意識を集中した。
(大丈夫……水の魔力……水の魔力……。)
心の中で何度も念じながら、そっと指輪を両手で包み込む。
すると――
指輪の宝石が、ほのかに青く輝き始めた。
光は徐々に強くなり、まるで小さな波紋が広がるように淡く揺れる。
(……やった……!)
魔力を込め終えたティチェルリスは、そっと指輪を見つめた。
ビトリアンもそれを確認し、満足げに口元をわずかに綻ばせる。
(……素直に聞いてくれて、よかった。)
こうして、二人は無事に指輪の交換を終えた。
――そして、ついに。
「……誓いのキスを。」
神父の厳かな声が響いた瞬間、ティチェルリスの顔が一気に真っ赤になる。
(……大丈夫、練習もしたし、いつもみたいに…。)
王族や貴族、そして令嬢たちが見守る中、誓いのキスが執り行われる。
ティチェルリスは、焦る気持ちを隠しきれず、ちらっと周囲の視線を感じた。
(うぅ……恥ずかしい! 早く終わらせて……!!)
心の中で叫びながら、ぎゅっと目を閉じた。
しかし――
次の瞬間、ビトリアンがそっと彼女の頬に触れた。
その手はとても優しく、けれど確かな力強さを持っていて。
「……ん。」
ゆっくりと、唇が重なる。
(……!!)
ティチェルリスの全身が、一瞬で熱くなる。
軽く触れるだけのものではなく、しっかりと、まるで彼女を刻み込むように深く重なる口づけ。
静寂に包まれた大聖堂の中、ビトリアンはまるで時間を止めるように、彼女を逃がすことなく、ゆっくりと唇を押し当てた。
ただの儀式のキスではない。
彼が愛おしさを込めた、情熱的なキスだった。
ティチェルリスは、驚きで目を開けそうになったが、彼の手がそっと後頭部を支えるように添えられたことで、さらに心臓が跳ねた。
(……な、なんでこんな……!?)
周囲からは、どよめきが広がる。
貴族たちがざわめき、王族たちは興味深そうに見守っている。
しかし――
何よりも焦ったのは、先ほどまでティチェルリスの悪口を囁いていた令嬢たちだった。
「な、なによ、あのキス……!」
「ちょ、ちょっと長くない!?」
「まさか……あんなに愛されてるなんて……!」
動揺したように顔を見合わせる彼女たち。
さっきまで散々言いたい放題だった彼女たちに、これでもかと言わんばかりの"愛されてる証拠"を見せつけられた。
ビトリアンは、ゆっくりと唇を離し、ティチェルリスの頬をそっと撫でた。
「……ティチェ。」
甘く、低い声。
「世界一綺麗だよ。」
そう囁くと、彼は優雅に微笑み、ティチェルリスの腰に手を回し、もう一度、額に軽く口づけた。
――パァン!!
その瞬間、大聖堂の天井から、一斉に白い花びらが舞い降りる。
光が差し込み、ティチェルリスの銀髪がきらきらと輝く。
幻想的な光景の中、二人は正式に夫婦として結ばれた。
頬を染めながら、ティチェルリスはビトリアンを見上げた。
彼は、静かに彼女の手を握りしめ、まっすぐな瞳で見つめている。
(……もう、敵わない。)
彼のまっすぐな愛情に、ティチェルリスは観念するようにため息をついた。
だけど、ほんの少し、嬉しくて――
唇の端に、小さな微笑みを浮かべた。




