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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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24/52

24話目

――ティチェルリスは、ぐったりとした表情でビトリアンにもたれかかっていた。


 背後に座る彼に支えられながら、両手を前に伸ばす。そして、ゆっくりと指先に意識を集中すると、ぽつぽつと水滴が生まれ、それが徐々に勢いを増して流れ落ちていく。


 ――夕日が、オレンジ色に輝く空を照らす。

 けれど、ティチェルリスの顔には、その美しい光はまったく映っていなかった。


「……いつまで続けなきゃいけないの……? うう……。」


 彼女の声は、今にも泣き出しそうだった。

 頑張っているのに、まるで赤ん坊のように頼りない水の流れ。

 思うようにいかない苛立ちと疲労に、ティチェルリスは項垂れた。


「訓練……やりたがってた。」


 ビトリアンの穏やかな声が、背後から降る。


「そ、そうだけどー……。」


 言葉の最後が、情けなく伸びる。

 確かに、訓練はしたかった。でも、こんなに大変だとは思っていなかった。


(雷のほうが簡単だったのに……!)


 唇を尖らせながら、まだまだ頼りない水流を見つめるティチェルリス。

 ビトリアンは、そんな彼女を静かに見つめ、いつもの淡々とした表情のまま微笑んだ。


 けれど、その目の奥には――驚きが宿っていた。


(すごい……。)


 ティチェルリスの魔力量は、彼の予想を遥かに超えていた。

 このまま鍛えれば、彼女の水の力は――国を支配するほどの規模になるかもしれない。

 でも、それを彼女に言うつもりはなかった。

 今は、ただ彼女を守ることだけを考える。


「……ティチェ、聞いて。」


「ん……?」


 半ば眠たそうな声で返事をするティチェルリス。

 彼女の指先では、相変わらずちょろちょろと頼りない水が流れている。


「ティチェは、前に言ってたよね。」


「?」


「自分は学園で主席になるべき人じゃなかったって。」


「……うん。」


 ティチェルリスは、ちらりと横目で彼を見る。

 その顔は、どこか優しく、そして真剣だった。


「僕は、そうは思わない。」


「……どうして?」


「王都で少し、調べてきた。」


「えっ?」


「ティチェは……凄かった。」


 彼の言葉に、ティチェルリスの目が丸くなる。

 しかし、次の瞬間――


 ビトリアンは、そっと彼女の頭に手を置いた。


 ふわりとした動きで、ゆっくりと撫でる。


「えらいね……ティチェ……。」


 優しく、温かく、労わるような声。


「頑張ったね……。」


 ――その瞬間だった。


 ティチェルリスの瞳に、ぐらりと涙が溜まる。


「~~~~っ!!」


 頑張っても報われないことばかりだった。

 どれだけ努力しても、正当に評価されることはなかった。

 でも――


 「えらい」って。

 「頑張ったね」って。

 そんなこと、誰にも言われたことがなかった。


 涙が、一筋、頬を伝う。


「ティチェ……目からじゃなくて、手から水を出すんだよ?」


「わかってるわよ!! そんなこと!!!」


 涙に濡れた顔で、ティチェルリスは叫んだ。


 ビトリアンは、一瞬目を瞬かせ、ティチェルリスの涙まみれの顔をじっと見つめた後、そっと肩を震わせた。


「……ふっ。」


「笑うなぁぁぁ!!!」


 夕焼け空の下、ティチェルリスの怒鳴り声が響き渡った。


――————————

――——————


――月が高く昇る頃、公爵邸の大広場には異様な緊張感が漂っていた。


 夜の冷たい風が吹き抜ける中、ずらりと並ぶ使用人たち。彼らの顔には不安が色濃く浮かんでいる。

 その視線の先――段差のある高い椅子に座るのは、公爵ビトリアン・ガーナンドブラック。

 普段の無表情よりもさらに冷えた目をして、静かに広場を見下ろしていた。


 ――ゴロゴロ……。


 遠くで雷鳴が低く唸る。

 誰もが息を呑み、動くことすらためらうほどの緊張感が広がっていた。


 ビトリアンは、指先で手袋の裾を軽く引きながら、静かに口を開く。


「……この中に。」


 ――静寂が張り詰める。


「この中に……愚かにも、僕の妻を泣かせた者がいる。」


 その言葉が夜の闇に溶けると同時に、広場の空気が凍りついた。

 使用人たちは互いに不安げな視線を交わし、誰もがじっと息をひそめる。


 その中で――ビトリアンの視線が、ある一団へと向けられた。


 王宮より派遣された騎士たち。


 彼らは一斉に背筋を伸ばすが、すでに冷たい汗が流れていた。


 ビトリアンは、椅子の肘掛けに指を軽くかけたまま、目を細める。


「お前と……お前……それから、お前。」


 無造作に指を向けられた騎士たちの顔が、蒼白になる。


「お待ちください、公爵様!!」


 一人の騎士が慌てて進み出る。

 必死の形相で、汗を滲ませながら声を上げた。


「我々は長年、貴方様をお守りしてきました! それに、貴族間の権力争いで、貴方様の御両親が亡くなられた際も――」


 その言葉に、ビトリアンの目が微かに細められる。


「……殺害、ね。」


 彼は、つまらなさそうに椅子から立ち上がり、騎士たちを見下ろした。


「ジャルノーごときの雷で、父上や母上がやられるわけがないだろう?」


 その言葉に、騎士たちは言葉を失った。


 ビトリアンは、まるでどうでもいいことのように口を閉ざし、一歩ずつゆっくりと階段を降りる。

 冷たい夜気が彼の周囲を包み込む。


「……話が逸れたな。」


 低く響く声が、広場に静かに広がった。


 そして――


「まぁ、いい。もういらないから。」


 ――ピクリと、騎士たちの肩が跳ねた。


「お前たち、もういらない。」


 ビトリアンは、まるで不要な道具を捨てるように告げた。


「で、ですが!! 我々は王に!!」


「伝えてくれる?」


 ビトリアンは、ふっと笑った。


 その笑みは、ひどく優しげで、同時に、何よりも冷たい。


「僕はもう、自分の身は自分で守れるようになったって。」


 騎士たちの表情が、さらに硬直する。


「それと……。」


 ビトリアンは、再び彼らを見下ろし、手袋を外しながらゆっくりと歩み寄った。


「ティチェを泣かせたせいで、僕も悲しくて……領地内の空に雷を降らせてしまった。」


 ――ゴロゴロゴロ……!!


 言葉に呼応するように、夜空が不気味に唸る。


 恐怖に震える騎士たちを、無表情で見下ろしながら、彼は淡々と続けた。


「君たちがいると、また同じことが起きるかもしれないだろう?」


 その言葉と同時に――


 バチンッ!!


 雷が彼の指先に宿った。


 騎士の一人が、咄嗟に身を引こうとした瞬間――


 ビトリアンはすっと手を伸ばし、その肩に触れた。


 ――ドンッ!!!


 光が瞬き、次の瞬間――その騎士は、その場から消えた。


「……!!?」


 広場にいた全員が、息を呑む。


 ビトリアンは、動揺する周囲を一瞥し、再びゆっくりと歩を進める。


 次の騎士の肩に触れる。


 ――ドンッ!!!


 また、一人。


 次の騎士へと手を伸ばす。


 ――ドンッ!!!


 そして、また一人。


 次々と、彼の手が触れるたびに、王宮の騎士たちは光と共に消えていった。

 残された使用人たちは、誰もが震えながらその光景を見守るしかなかった。


 やがて、最後の一人となった騎士が、がくがくと膝を震わせながら、必死に懇願する。


「……お許しを……!!」


 しかし――


 ビトリアンは、微笑んだ。


 その笑みは、どこまでも優しく――どこまでも残酷だった。


 彼は騎士の手に、何かをそっと握らせる。


 それは、一通の手紙だった。


「……王に渡してね。」


 そして、最後の騎士にも触れる。


 ――ドンッ!!!


 光と共に、その騎士も消え去った。


 ビトリアンは、静かに手袋をはめ直すと、広場を見渡した。


 そこに残されたのは、恐怖に震える使用人たちだけ。


 彼は、淡々とした口調で告げる。


「今後……僕の妻を悲しませた者は……わかるよね?」


 ピシャッ!!


 最後に、雷が小さく弾けた。


 広場に残された使用人たちは、一斉に息を呑み、誰もが震えながら深々と頭を下げた。


――————————

――—————


夜になり、屋敷の廊下はひっそりと静まり返っていた。


 煌々と灯るランプの明かりが、石造りの壁に淡い影を落とす。

 その中を、ゆっくりと歩く二つの影――ビトリアンと、執事のマルチェ。


 先ほどまでの冷徹な公爵の姿とは打って変わり、ビトリアンの顔にはどこか疲労が滲んでいた。

 けれど、その瞳には微かに柔らかい光が宿っている。


 マルチェは一歩後ろを歩きながら、じっと主を見守る。

 長年仕えてきた彼には、今のビトリアンの変化が痛いほど伝わっていた。


 しばらくの沈黙の後――


「マルチェ……」


 ふと、ビトリアンが口を開いた。


「もう僕は……大丈夫だから。」


 その声は、どこか安堵を孕んでいた。

 長年、無感情な"人形"のように生きてきた彼が、初めて口にした"自分の変化"。


「もう生きられるようになったから。」


 その言葉に、マルチェは静かに目を閉じる。


 そして――


「はい、坊ちゃん……」


 一度、幼い頃の呼び名を口にした後、ゆっくりと頭を下げる。


「いえ、旦那様。」


 マルチェの声音には、確かな敬意と、長年の主への想いが込められていた。


 ビトリアンは、微かに目を細め、わずかに口元を緩める。

 そして、そのまま足を進め、寝室の扉へと手をかけた。


 扉を静かに押し開けると、部屋の中には柔らかな灯りが揺れていた。


 カーテンがふんわりと揺れ、窓の向こうには静かな夜空が広がっている。


 そして――


 ベッドの上には、すやすやと眠るティチェルリスの姿。


 彼女は毛布にくるまり、小さな寝息を立てていた。

 薄く開いた唇からは、規則正しい呼吸が漏れ、その寝顔はどこか幼く見える。


 ビトリアンは、そっと扉を閉め、ゆっくりと彼女に歩み寄った。


(……眠っている。)


 無理もない。

 今日一日、彼女はずっと訓練で水を出し続け、最後には倒れるように眠りについた。


 そっとベッドの傍に腰を下ろし、彼女の顔を見つめる。


 目元には、まだ微かに涙の痕が残っている。

 けれど、穏やかな寝息を聞いていると、それが嘘のように思えた。


(僕、頑張ってきたよ。)


 心の中で、そっと呟く。


そっと手を伸ばし、彼女の髪を指先で梳く。

 やわらかな銀の髪が指に絡まり、ひどく愛おしく思えた。


 彼女の頬にかかる髪をそっと払うと、ティチェルリスが微かに身じろぎする。


「……ん……。」


 その小さな寝言に、ビトリアンは微かに微笑む。


 そして、静かにベッドの端に腰をかけ、そのまま横になった。


 ティチェルリスの隣に、そっと身体を沈める。


 彼女の温もりが、すぐ傍にある。

 心臓の鼓動が、すぐ近くで感じられる。


(……こうして隣にいられることが、こんなにも落ち着くなんて。)


 静かに目を閉じ、彼はゆっくりと息を吐いた。


 ティチェルリスの寝息に耳を傾けながら――


 ビトリアンは、心からの安堵を感じながら、そっと目を閉じた。


 ――深く、穏やかな眠りに落ちるように。

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