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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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21/52

21話目

結婚式が近づくにつれ、公爵家の屋敷は一層慌ただしさを増していた。


 メイドや執事たちが忙しなく動き回り、飾り付けや衣装の最終調整、来賓への対応と、あらゆる準備が進められている。どこもかしこも人の動きとざわめきに包まれ、まるで城全体が息をしているかのようだった。


 そんな喧騒の中――ふと、ティチェルリスは違和感を覚えた。


「……ん?」


 何かが、足りない。


 屋敷全体がバタバタと動き回っているのに、最も騒がしくされるべき人物の気配がない。


(ビトー……どこ?)


 彼はいつも、何かしらの問題を起こしたり、勝手なことをして執事のマルチェに注意されている。今日のような忙しい日なら、普通は結婚式の指導者に文句を言われているはずなのに――。


 けれど、どこを見渡しても彼の姿はない。


 不審に思ったティチェルリスは、屋敷の廊下を進み、ふと開け放たれた部屋の扉の向こうに目を向けた。


 そこには――きっちりとした正装に身を包むビトリアンの姿があった。


 普段のゆるい服装とは違い、しっかりとした仕立ての上着を羽織り、ひとつひとつボタンを留めている。白いシャツの襟はきっちりと整えられ、黒い手袋をはめるその姿は、まるで王宮に出向くときのようだった。


「……ビトー、出かけるの?」


 ティチェルリスは眉をひそめながら、問いかけた。


 この慌ただしいタイミングで、彼が外出する理由が思いつかない。


 すると、ビトリアンは手袋をゆっくりとはめ終え、淡々とした口調で答えた。


「うん。王都に呼ばれた。」


「今から!?」


 ティチェルリスは思わず目を見開く。


 王都まで行くとなれば、片道二日はかかる。行って帰ってくるだけでも、結婚式直前のスケジュールが狂ってしまうのは明らかだった。


「今、こんな時に!? なんで!?」


「王宮の用事。」


「えぇ……。」


 ティチェルリスは思わず呆れたようにため息をつく。  

(この忙しい時に、なんでわざわざ王宮なのよ……。)


 しかし、当の本人はいつものように淡々とした表情のまま、ゆっくりとティチェルリスに歩み寄る。


 そして――ふわりと彼女の両手を包み込むように握った。


「すぐに戻ってくるよ。」


 低く、落ち着いた声が彼女の耳に届く。


「……すぐって、二日くらいかかるんじゃないの?」


「裏道があるから大丈夫。」


「……裏道?」


 そんなもの、聞いたことがない。


 けれど、ビトリアンはそれ以上何も言わず――


 すっと顔を近づけ、ティチェルリスの額に、ちゅっと軽く唇を触れさせた。


「――っ!?」


 突如として降ってきた甘い感触に、ティチェルリスの思考が一瞬吹っ飛ぶ。


(えっ……!?)


 額に触れた唇は、まるで羽のように軽く、それでいて温かい。


 ティチェルリスは、反射的に顔を真っ赤にしながら、おでこを押さえる。


 けれど、その頃にはもう、ビトリアンの背中は遠ざかっていた。


 彼は何も言わず、ただ静かに屋敷の出口へと向かっていく。


「……ちょっ……!」


 思わず何か言いかけたが、言葉にならなかった。


(……なに、今の。)


 驚きと戸惑いで、ただ彼の背中を見送ることしかできない。


 彼が振り返ることはなかった。


 けれど、その歩みはいつもより少しだけ軽やかに見えた。


――————————

――——————


夜の闇を切り裂くように、一筋の青白い閃光が大地を駆け抜けた。


 それはまるで天空を貫く神の槍のように、一瞬のうちに空を裂き、大地を焦がしながら疾走していく。


 ――ビトリアンは、雷そのものとなり、王都へと向かっていた。


 通常、馬車であれば数日を要する長い道のり。

 しかし、彼にとって、それは一瞬の瞬きほどの時間でしかなかった。


 体を構成するすべての粒子が雷へと変化し、風と同化しながら流れる。

 意識ははっきりと保たれているが、周囲の景色は高速で変化し、まともに認識することすらできない。


(結婚式の準備もある。長くは滞在できない……手早く済ませる。)


 頭の片隅で、屋敷に残してきたティチェルリスの姿を思い浮かべた。

 彼女の驚いた表情、頬を染めながら押さえていた額――。


 ほんのわずかな間だったが、彼女の表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。


(……怒ってるかな。)


 ふと、そんなことを考える。


 いや、きっと呆れている。

 それか、何事もなかったかのように過ごしているか――。


 どちらにせよ、"すぐに戻る"と約束した以上、無駄に時間をかけるわけにはいかない。

 王宮での任務を、可能な限り迅速に終わらせる。


 ビトリアンは、さらに速度を上げた。


 空気を裂く雷の軌跡が、王都へ続く森林の上を走る。

 通常なら昼間でも薄暗い森の中が、彼の発する雷光によって、まるで昼のように照らされていた。


 やがて、王都の輪郭が見えてくる。


 城壁の上では、夜の警備兵たちが交代の時間を迎えていた。

 いつものように、淡々とした様子で見張りをしていた彼らだったが――次の瞬間、その光景に息を呑む。


「……な、なんだ!?」


 夜の帳の向こうから、青白い閃光が一直線に王都へ向かって突き進んでいた。


 その光は、ただの雷ではなかった。

 まるで意志を持つかのように、一直線に城門を目指している。


「報告を……! 王宮に……っ!」


 警備兵の一人が慌てて動こうとした――その瞬間、雷光は轟音と共に空間を引き裂いた。


 ズバァァン――!!!


 一瞬の閃光と共に、ビトリアンの姿が王都の城門前に立っていた。


 ――まるで雷の化身が、そのまま人の姿へと戻ったかのように。


 彼はゆっくりと立ち上がると、焦げた空気の中で一歩踏み出した。


 「ガーナンドブラック公爵、王宮へ入る。」


 低く響く声と共に、雷がはじける音が微かに鳴る。


 ――瞬間、門兵たちは慌てて敬礼し、王宮への道を開けた。


(……問題ない。)


 ビトリアンは、一瞬たりとも足を止めることなく、王宮の奥へと向かっていく。


 通り過ぎる衛兵や使用人たちが、次々と彼を振り返る。

 なにせ、公爵がこうして直々に王宮へやってくることは滅多にない。


 しかし、彼にとってはそんな周囲の視線などどうでもよかった。


 彼の目的はひとつ。


 ――王への正式な謁見と、"王宮への電力供給"。


 それを手早く済ませ、一刻も早くティチェルリスの元へ戻るために。


 王宮の中枢へと続く廊下を、彼は迷いなく進んでいった。


――———————

――—————

 煌びやかな装飾が施された広大な玉座の間。


 高い天井には、巨大なシャンデリアが燦然と輝き、壁一面には細やかな装飾が施された黄金のレリーフが並ぶ。

 深紅の絨毯が、まっすぐ玉座へと続き、その先には威厳を湛えた王が静かに座していた。


 ――この国の頂点に立つ、絶対的な存在。


 ビトリアンは、その前に歩を進め、片膝をつく。

 動作は一分の隙もなく、完璧に洗練されていた。


「ガーナンドブラック公爵、ビトリアン・ガーナンドブラック、謹んでご挨拶申し上げます。」


 低く響く声は、以前の彼とはまるで違うものだった。

 かつて無感情で、"人形のような"少年と呼ばれていた彼の姿は、もうそこにはない。


「……うむ。」


 王は、玉座から静かに彼を見下ろしていた。

 その目には、かすかな興味が滲んでいる。


(……やはり、気づいているか。)


 王宮へは"電力供給"のために呼ばれた。

 この国において、雷の力を持つ"ガーナンドブラック公爵家"は、王宮の魔力供給の要とされている。

 王宮の動力源として使われる"雷の玉"には、定期的な充電が必要だ。


 それが、彼がここにいる理由だった。


 ビトリアンはゆっくりと立ち上がり、王へ一礼すると、

 玉座の横に置かれた巨大な水晶の玉へと歩み寄る。


 近づくにつれ、水晶の内部にうごめく微細な電流が、彼の雷に呼応するように揺らめき始めた。


 指先に、青白い雷光が宿る。


(静かに……整然と……無駄なく。)


 そのまま、彼は水晶へと雷のエネルギーを注ぎ込んでいく。

 じわりと波紋のように広がる雷光が、水晶全体へと浸透し、やがて部屋全体を照らし始める。


 その静寂を破ったのは、王の何気ない一言だった。


「ティチェルリス嬢だったか?」


 ビトリアンの手が、一瞬止まる。


「……仲良くできているのか?」


 問いの意図はわからない。

 だが、警戒すべき言葉だった。


 ゆっくりと顔を上げる。

 王の視線が、鋭く彼を見据えていた。


(……試されている。)


 だが、迷いは見せなかった。

 ただ静かに、一切の感情を表に出さずに答える。


「はい。とても素晴らしい方です。ありがとうございます。」


 王の目が、細められる。


 ――かつて、彼はただの"道具"だった。

 ただ命じられるままに雷を操り、命じられるままに役割を果たしていた。


 それが今、目の前の男は堂々と立ち、しっかりとした声で"自らの意志"を持って言葉を紡いでいる。


 王の表情に、一瞬だけ驚きの色がよぎる。


(昔は、挨拶すらまともにできなかったというのに……。)


 成長した――。

 そう思わずにはいられなかった。


 そして、王はふと唇を歪め、ゆっくりとした口調で続ける。


「……そうか。だが、彼女の能力は、さして目立つものでもないようだな。」


 ――雷が、微かに弾ける音を立てた。


 ビトリアンの指先が、無意識に強張る。


「提出された報告書では、"ガーナンドブラック公爵の電の力を強める作用が混じった湯"だったとか?」


(……そこを突くか。)


 ビトリアンは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


 これは、彼が"仕組んだ報告"だった。


 本当のティチェルリスの力――

 自分以上に"純度の高い雷属性"を持つ彼女の存在は、絶対に知られてはならない。


 もし知られれば、どうなるか。


 彼女を公爵夫人ではなく、王族のものにしようとする。


 最悪の場合、"離婚"させられ、王子の妃として無理やり王宮に囚われる可能性すらある。


 「ふむ……いい仕上がりだな。」


 水晶に込められた雷の力が王宮へと広がり、空気が静かに震える。

 すべてのエネルギーが循環し、この瞬間、王宮全体がわずかに活性化するのを感じる。


 ビトリアンは、作業を終えながら静かに目を伏せた。


 (これでいい。)


 ティチェルリスの力を隠し続けること――それが、僕の役目だ。

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