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20話目

結婚式が近づくにつれ、屋敷は慌ただしさを増していった。


ティチェルリスは朝から晩まで準備に追われ、衣装合わせやマナーの見直し、歩き方の練習など、次々と予定が詰め込まれる。

公爵家の結婚式ともなれば、それは王族級の盛大なもの。招待客の数も膨大で、一つの所作の乱れすら許されないのだ。


(……はぁ、やっぱり貴族の式って面倒くさいわね。)


けれど、ティチェルリスは文句を言いながらも、そのすべてを完璧にこなしていた。

彼女は学園を首席で卒業した才女であり、貴族としての作法や立ち振る舞いを叩き込まれている。

普段のおてんばさや大雑把な行動からは想像もつかないほど、彼女は"優雅に"、"完璧に"振る舞うことができた。


背筋を伸ばし、肩の力を抜き、すっと流れるような動作で歩く。

その歩みは無駄がなく、まるで舞踏会の一場面のように美しかった。


「……うん、悪くないわね。」


鏡の前で優雅に一礼し、ティチェルリスは自分の姿を確認する。

どこからどう見ても、一流貴族の令嬢そのものだった。


そんな彼女の姿を――


じーっ。


「…………。」


少し離れたところから、じっと見つめる男がいた。


「……何よ。」


ティチェルリスが視線を向けると、ビトリアンがまばたきもせずに彼女を見ていた。

彼もまた、結婚式に向けての準備をしているのだが――彼の状況は、まったく異なっていた。


「公爵様、もう少し背筋を伸ばして!」

「足の運びがぎこちないです!」

「お辞儀の角度が不自然です!」


矢継ぎ早に浴びせられる指導に、ビトリアンは何度も注意を受けていた。

生まれながらの公爵でありながら、貴族らしい動作はまるでできない。

無表情で、直立不動で、ただ存在しているだけなら完璧なのに、動こうとするとダメなのだ。


そして、そんな"できないことだらけの公爵"は、休憩時間になると決まってティチェルリスを見つめていた。


「……黙っていれば、綺麗だなって。」


ぽつりと、ビトリアンが呟いた。


「――はぁ!?」


ティチェルリスの目が、カッと見開かれる。


(な、何言ってんの、この人!?)


驚きと戸惑いで一瞬固まるが、次の瞬間――


「あっ……」


ビトリアンが、自分の口を押さえた。


(しまった、言うべきじゃなかった。)


彼は、ハッとした顔をし、すぐに咳払いをする。


「……ごめん、照れ隠し……。」


その言葉を聞いた途端、ティチェルリスの顔が一気に熱くなる。


「ひっ……」


思わず変な声が出た。


(な、ななな、何なの!? そんなこと、さらっと言える!?)


彼は無表情のくせに、たまにこういう爆弾を落としてくる。

からかわれているわけではないのは分かる。

だからこそ――余計に恥ずかしい。


(ほんと……ずるい。)


一方のビトリアンは――


(危ない。また叩かれるところだった。)


過去の経験から、即ビンタの可能性があることを学んでいた。

幸い今回は、どうやら回避できたらしい。


(……よかった。)


ふと、彼は考え込む。


(……この間の修繕費があれば、領民にもっと楽な暮らしをさせてやれたのになぁ。)


ティチェルリスの雷の暴走で屋敷に大穴が空いた事件。

あの修繕費は、正直言ってとんでもない金額だった。


(もう、屋敷は壊させないようにしないと……。)


公爵領の経済を支える公爵としては、その予算を他の有意義なことに使いたい。

例えば、領民の生活支援や、インフラの整備など――。


(……まあ、まずは結婚式を無事に終わらせるのが先だけど。)


彼は溜息をつきながら、再び書類に目を落とす。


――こうして、ガーナンドブラック公爵家では、慌ただしく結婚式の準備が進められていくのだった。


――————————

――——————


 食堂の大きな窓からは、夕暮れの柔らかな光が差し込み、長い一日の終わりを静かに告げていた。

 豪華な食卓には、滋味深いスープと肉料理が並べられているが、二人ともその味を楽しむ余裕はない。


「……疲れた。」


 ティチェルリスはスプーンを持ったまま、ぐったりとした声を漏らした。

 一日中、結婚式の準備や礼儀作法の確認に追われ、さすがの彼女も疲労困憊だった。


 一方のビトリアンも、珍しく肩を落としながら静かに食事を進めている。

 普段は冷静な彼も、今日は指導者から散々怒られ、満身創痍だった。


 そんな中、ふとビトリアンがぽつりと呟く。


「ティチェって……ほんとに友達いなかったんだね。」


 ――ティチェルリスが動きを止める。


 それは、今日、結婚式の準備の一環として招待状のリストを作成した際に気づいたことだった。

 家族や王族、外交関係者を除けば、彼女の個人的な交友関係は驚くほど少なかった。

 普通なら社交界で親しくなった貴族の子女が何人もいるものだが――ティチェルリスには、そういう相手がほとんどいなかった。


「……。」


 次の瞬間――


 カチッ。


 ナイフが音を立てて持ち上がる。


「……喧嘩売ってる?」


 冷たく光る銀の刃が、真っ直ぐビトリアンの方へ向けられる。


 ティチェルリスの目は細められ、淡々とした声に怒気がにじんでいた。


「……。」


 ビトリアンは、一瞬視線を落とし――


 すっと 両手を上げた。


 ブンブンブンッ。


 左右に振る。


 (まずい、これは危険だ。)


 普段なら微動だにしない彼が、素直に降参のジェスチャーを見せるという珍しい光景だった。

 けれど、彼の表情はいつも通り、冷静で無感情に近い。

 そのため、「悪気があったわけではないのだろう」とティチェルリスは判断し、ナイフを下ろした。


 よろしい。


 と言わんばかりに、スープを口に運ぶ。


 それを確認し、ビトリアンはようやく息を吐くと、少し言葉を選びながら尋ねた。


「いや……その、なんでかな……って。」


 ティチェルリスはスプーンを置き、少し考え込む。


「他に主席になるべき人がいたからよ。」


「……?」


「タラトゥーラ公爵家。」


 ビトリアンは眉をひそめる。


(タラトゥーラ公爵家……? 確か、学問にも力を入れている名門の家だったな。)


「その家の三女、ミーシャデリア様がずっと一位だったの。私も憧れてたわ。」


 ティチェルリスは、どこか遠い目をしながら言葉を続ける。


「あの人みたいになりたいって思って、勉強も、所作も、一生懸命頑張った。でも――いつの間にか追い越しちゃってたのよね。」


「……。」


 ビトリアンは、しばし無言になった後、静かに呟く。


「悪意のない嫌味って……怖いよね。」


 カチッ。


「…………。」


 ナイフが再び持ち上がる。


「……。」


 ビトリアンは、またしても両手を上げ――


 ブンブンブンッ。


 首も振る。


(しまった。またやらかした。)


 ティチェルリスの表情が険しくなる前に、彼はすぐに次の言葉を続けた。


「公爵家に嫌われたら、みんなに嫌われちゃうのよ。仕方ないことだったというか……。」


 ナイフをくるくる回しながら、どこか諦めたような口調で呟くティチェルリス。


 その言葉に、ビトリアンは少し考え込みながら、ゆっくりと言った。


「……ティチェは、馬鹿正直にやれるだけ突き進んだんだね。」


 カチッ!!


「……殺すぞ。」


 またしてもナイフが向けられる。


「待って、待って!!」


 両手を上げながら、ビトリアンは冷静に言葉を続ける。


「僕なら、影で練習して、追い越さないようにする……。」


 ティチェルリスの眉がピクリと動いた。


「回りの空気……とか、読む。」


 ――沈黙。


 空気が張り詰める。


 次に来るのは、怒りか、それとも――


 ビトリアンは身構えたが――


「……あっ……あっははははっ!!」


 突然、ティチェルリスはお腹を抱えて笑い出した。


 肩を揺らし、涙がにじむほど大笑いする彼女に、ビトリアンは目を瞬かせる。


「……?」


「ビトーが……ビトーが空気を読む……!? 無理よ! あっはははは!!」


 可笑しさに耐えられず、彼女はテーブルに突っ伏してしまった。


 ビトリアンは、静かに席を立った。


 そして――


 ティチェルリスの前に立つと、彼女の両手を優しく取り、指を絡める。


「……?」


 笑いすぎて涙目になっていたティチェルリスが、不思議そうに彼を見上げる。


 その瞬間――


 ちゅっ。


「――っ!!?」


 ティチェルリスの頬に、そっと唇が触れた。


 ピタッ。


 彼女の動きが止まる。


 ――完全に、固まった。


(な、な、な、何今の!?!?!?!?!?)


 顔が一気に真っ赤に染まる。


 それを見届けたビトリアンは、静かに微笑んだ。


「僕を笑ったお仕置き……。」


 そう言い残し、彼はすっと背を向ける。


 そして、そのまま何事もなかったかのように、食堂から出て行った。


 ――カチャリ。


 扉が閉まる音が響く。


 その場に残されたティチェルリスは――


「……。」


 固まったまま、動けなかった。


(えっ……えっ……。)


 何が起こったのか、脳が処理しきれていない。


(お仕置き……? ……お仕置きって、なに……???)


 火照った頬を押さえながら、呆然とし続けるティチェルリス。


 食堂には、彼女の赤くなった顔と、まだ温かい食事だけが、ぽつんと残されていた。


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