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2話目

 静かな執務室に、沈んだ空気が漂っていた。


 重厚な机の向こう側には、バルバータン伯爵――チェルノ・バルバータンが座っていた。

 厳格な表情を浮かべた彼は、じっとティチェルリスを見つめている。


 一方、ティチェルリスは気まずそうに視線を泳がせながら、もじもじと足を動かしていた。

 拗ねたように頬を膨らませ、つま先で床をこつんと突く。


(なんで私がこんな話を聞かなきゃいけないのよ……)


 彼女は不満げに眉を寄せながら、小さくため息をついた。


 そんな娘の様子を見て、伯爵は重いため息をつく。

 静かな執務室に、彼の低く深い声が響いた。


「……お前ももう16だ。結婚を考える時期かもしれんが……」


 彼はそこで言葉を詰まらせ、疲れ切ったように額を押さえた。

 そのまま、信じられないというような口調で続ける。


「……まさか、あの廃人公爵と結婚することになるとはな……」


 ティチェルリスは、ぱちりと瞬きをした。


「……廃人公爵って、何なの?」


 彼女は首をかしげながら、父を見上げる。

 "廃人"などという言葉を、王族の血を引く高位貴族に対して使うのはあまりにも異様だった。


 しかし、伯爵は真剣な表情のまま、深く息をつき、静かに口を開いた。


「……お前の旦那になるビトリアン・ガーナンドブラックはな……」


 彼の声はどこか重く、静かに続く言葉が、ティチェルリスの耳にじわりと響く。


「幼少の頃に両親を殺され、後継者争いに巻き込まれ続けた結果――感情がなくなり、まるで廃人のように過ごしているそうだ」


 伯爵の表情が険しくなる。

 握りしめた手が震え、ティチェルリスはその様子をじっと見つめた。


「旦那としての役目どころか……何もできないかもしれん」


 まるで絶望を語るかのような父の言葉に、ティチェルリスはふっと肩をすくめ、わざとらしく微笑んだ。


「……私、異端児だし、ちょうどいいかも…」


 どこか拗ねたように呟く。

 彼女自身、自分の能力が"水属性なのに熱湯しか出せない"異端児だとずっと言われてきた。

 だからこそ、"廃人"と呼ばれる公爵との結婚も、別に大したことではない……そう思いたかった。


 だが――。


 ドンッ!!


 突然、執務机が大きく揺れるほどの衝撃音が響いた。


「ッ!?」


 ティチェルリスが驚いて父を見ると、

 伯爵は怒りに燃える目で彼女を睨みつけていた。


「お前の能力は、決して異端児なんかじゃなかったんだ!!」


 低く、しかし力強い声だった。

 ティチェルリスの青い瞳が大きく見開かれる。


「……どういうこと?」


 伯爵は一度深く息をつき、娘の瞳をまっすぐに見据えた。


「お前の中には雷の能力があったんだ」


 ティチェルリスは息を飲む。


「お前が今まで"熱湯しか出せない"と蔑まれていたのは、水の力だけが作用していたわけじゃなかった……お前は水と雷、二つの力を持っていた」


 伯爵の説明に、ティチェルリスは呆然とする。


「雷……? でも、私は水属性のはず……」


「本来なら、水と雷は交わらない。しかし、雷の力が宿ったことで、水が異常に高温化し、結果として熱湯が発生していたんだ」


 伯爵は力強く言い切る。


 それは、今まで誰も解明できなかったティチェルリスの"異常"の答えだった。


(……私の力は、異端なんかじゃなかった……?)


 ティチェルリスは震える指先を見つめる。

 今まで"欠陥"だと思っていた力が、実は"特別"なものだったとしたら――?


 その思考がまとまる前に、コン、コンと執務室の扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 扉が静かに開き、使用人が姿を現す。

 その口から発せられた言葉に、ティチェルリスはさらに驚いた。


「公爵家からの迎えが、到着しました」


「な……早すぎる!!」


 ティチェルリスが思わず叫ぶ。

 いくらなんでも、決定からわずか半日で迎えが来るなんて、尋常じゃない。


「もっと遅くとも……!」


 抗議する彼女の声を遮るように、伯爵が低く呟いた。


「……王が急いでいるんだ」


 その言葉に、ティチェルリスの喉が詰まる。

 王が――急いでいる?


(……そんなに早く、私を公爵家に送り込もうとしてるの?)


 胸の奥がざわつく。

 雷の共鳴を見て歓喜した王の姿が、頭に浮かぶ。


 彼女はギュッと拳を握りしめた。


(どうしてこんなに急ぐの……?)


 胸の奥がざわつく。

 雷の共鳴を見たあの夜、王が満面の笑みで叫んだ言葉が脳裏に蘇る。


 ――「結婚をしなさい!!」


 ティチェルリスはギュッと拳を握りしめた。


(……どうしてこんなに急ぐの……?)


 納得する間もないまま、周囲の人間は次々と勝手に動き出した。

 使用人たちは何も言わずに彼女の荷物をまとめ、屋敷の外へと運び出していく。

 彼女の意思など関係ないかのように、まるで"契約が決まった品物"のように。


「ちょっと、私の荷物勝手に持っていかないでよ!」


 抗議しても、誰も答えない。

 彼女の声はむなしく空間に消えていった。


 そして、そのまま強引に用意された馬車に押し込まれた。

 扉が閉じられると、カタン、と鈍い音を立てて馬車が動き出す。

 車輪が石畳をこすり、ゆっくりと加速していく。


 窓の外には、バルバータン伯爵邸が遠ざかっていくのが見えた。

 しばらくそれを眺めていたが、ティチェルリスは深く息を吐き、座席に体を預けた。


(……こんな形で結婚ね。)


 彼女は苦笑し、窓の外に視線を移す。


 馬車は長い道のりを進む。

 時間が経つにつれ、外の景色が変わっていった。

 木々の葉は色を失い、いつの間にか灰色の空から雪が降り始めていた。


 ひらひらと舞い落ちる白い結晶が、窓に張り付き、ゆっくりと溶ける。

 ティチェルリスは無意識に手を伸ばし、指先でガラスをなぞった。


「……ガーナンドブラック公爵領って、寒いんだっけ?」


 ぽつりと呟く。

 この土地のことを詳しく知らないが、どうやら北方の領地らしい。


 冷え込む車内で、自分の未来がますます分からなくなっていくような気がした。


――――――——

――————


 馬車は長時間の移動を経て、ようやく目的地に到着した。

 石造りの立派な邸宅が目の前に広がる。


 大きな門が開かれると、屋敷の前にはたくさんの使用人たちが並んでいた。

 皆、待ちわびていたような顔で彼女を出迎える。


「お待ちしておりました!」

「お嬢様、ようこそガーナンドブラック公爵家へ!」


 口々に喜びの声が上がる。

 あまりの歓迎ぶりにティチェルリスは目を瞬かせた。


(……なんでこんなに喜ばれてるの?)


 まるで長年待ち望んだ救世主でも来たかのような反応だった。

 戸惑いながらも屋敷の中へと通される。


 暖炉の温もりが広がる廊下を進み、案内されたのは広々とした客室だった。

 だが――その中央に座る人物を見て、ティチェルリスは思わず足を止めた。


 そこには、背丈が同じくらいの一人の青年がいた。


 ビトリアン・ガーナンドブラック。


 彼は椅子に腰かけたまま、ぼーっと一点を見つめていた。

 机の上には、すでに婚姻届が広げられている。


 その場には、王家の承認役と教会の使者も同席していた。

 どうやら、ここで正式に婚姻の手続きをするらしい。


 ティチェルリスは不満げに眉をひそめた。


「……こういうのって、普通は婚約が先じゃないの?」


 呆れたように口を開くと、王家の使者が淡々と答える。


「王が決めたことですので。異例ではありますが、正式に結婚となります」


 彼女は軽く舌打ちをしそうになるのをこらえた。


(……また王ね。)


 あの王のことだから、「とにかく結婚させてしまえ!」くらいの勢いで決めたに違いない。


「なお、式はさすがに公爵家の格式に則り、半年後となります」


 そう説明される間も、ビトリアンは無表情のまま、まったく動こうとしなかった。

 まるで"ただそこにいるだけ"の存在のように。


 ティチェルリスは婚姻届に目をやると、ふっと息を吐き、迷うことなくペンを手に取った。


 さらさらと、自分の名前を書く。


 そして、隣に座るビトリアンを見つめ、堂々と口を開いた。


「書きなさいよ。」


 少し挑発的な口調だった。


 すると、無表情だったビトリアンが、ふっと視線を彼女に向ける。

 一瞬の沈黙の後、何も言わずにゆっくりと手を動かし、ペンを取った。


 彼の指が、静かに紙の上を滑る。

 筆跡は整っていたが、そこには何の感情も感じられなかった。


 その様子を見ていた王家の使者が、不満そうに眉をひそめる。


「……なんて口の利き方だ」


 ティチェルリスがビトリアンに対してぞんざいな言葉を使ったことが、気に入らなかったのだろう。


 だが、彼女はまったく気にした様子もなく、肩をすくめるだけだった。


 ビトリアンは何も言わないまま、淡々と最後の署名を終えた。


 王家の使者と教会の使者は、出来上がった婚姻届を確認すると、わずかにため息をつく。


「……本当に大丈夫なのか? この結婚は……」


 ぼそぼそと呟きながら、婚姻届を持ってその場を後にする。


 扉が静かに閉じ、部屋に再び沈黙が訪れた。


 ティチェルリスは、無表情のままのビトリアンをちらりと見やる。

 彼の青い瞳には、やはり何の感情も宿っていなかった。


(……この結婚、どうなるのかしらね)


 半ば呆れつつも、少しだけ好奇心が混じる。


 こうして、異例の結婚が成立した――。


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