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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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19/52

19話目

――ガーナンドブラック公爵家。


季節の境目、春と夏の間の夜は、ほどよく涼しく心地よい。

開け放たれた窓からは、微かに夜風が入り込み、薄絹のカーテンを静かに揺らしていた。


執務室の奥――


燭台の明かりに照らされた木製の机の上には、分厚い書類が山積みになっている。

その山を前にして、ビトリアンは深いため息をついた。


(……次から次へと仕事が尽きないな。)


公爵としての仕事にも慣れてきたが、領地の管理や王宮とのやりとり、さらには貴族たちとの外交と、すべてをこなすのは相変わらず骨が折れる。

けれど、"公爵として"のビトリアンは、実に様になっていた。


――淡々と書類に目を通し、無駄のない筆さばきで決裁していく。


その様子を静かに見守っていた執事のマルチェが、ふと口を開いた。


「そろそろ、ティチェルリス様の湯浴みが終わる頃かと。」


ビトリアンの手が、ぴたりと止まる。


(……そっか、ティチェが風呂から出る時間か。)


「……うん。」


短く返事をしながら、視線を机の上に落とす。


机の端には、未開封の手紙が何通か積まれていた。

それらに目をやると、彼はペンを置き、静かにマルチェへと視線を向ける。


「……あのさ、ティチェ宛のベルブロッサ子爵家とユーディル侯爵家の招待状は、事前に僕のところへ持ってきて。」


「……ふむ。」


「絶対にティチェに見せないで。」


マルチェは一瞬驚いたように片眉を上げたが、すぐに納得したように微笑を浮かべる。


「ベルブロッサ子爵家に、ユーディル侯爵家……。

ふむ、どちらも坊ちゃんの元婚約者候補だった家ですね。」


品のある落ち着いた声。


そして、マルチェは意味深な笑みを浮かべながら言った。


「ほほほ……そうですね、奥様がヤキモチを妬いてしまわれるかもしれませんからね。」


ビトリアンの指が、一瞬ぴくりと動く。


(……ヤキモチ。そんな可愛いものですめばいいけど。)


問題はそこではなかった。


ベルブロッサ子爵家の次女ディアンナは、微弱な雷属性を持っている。

それは、彼女の母親の血にガーナンドブラック家の血が混じっているからだ。


そして、ユーディル侯爵家の養女は、もともとガーナンドブラック家が"高値で売った娘"。

言ってしまえば、侯爵家は"電力を買った"ようなものだった。


どちらの家も、"ガーナンドブラック家の雷"に関わりがある。


――ティチェを彼女たちと引き合わせるわけにはいかない。


ティチェルリスの"雷の純度"は桁違い。

万が一、彼女が感情を昂らせて力を解放しでもしたら……"よその家で大穴をあける"ことになりかねない。


(ただでさえ、修繕費がとんでもない額になったっていうのに……。)


あの時――

彼女の雷がビトリアンを伝い、共鳴し、屋敷の天井に大穴をあけた。


(……もう屋敷を壊すわけにはいかない。)


もし、招待を受けて、彼女が他家で同じことをやらかしたらどうなるか……。


想像しただけで、胃が痛くなる。


「……絶対だよ。」


ビトリアンの声が、少し低くなる。


マルチェは、それに対して微笑を深めた。


「かしこまりました、公爵様。」


そう言って、静かに手紙の束を片付けていく。


ビトリアンは、再び溜息をつきながら、机の上の書類へと視線を戻す。


その机の上――


脇には、別の"積み重なった本の山"があった。


【彼女を束縛する方法】

【監禁の仕方】

【マインドコントロール方法】


まるで犯罪計画でも立てているかのようなタイトルの本が、堂々と積まれている。


(……どうやって、ティチェを安全に囲っておくか。)


彼は、本の背表紙を指でなぞりながら考える。


自分がいない間に、彼女がどこかに行ってしまうことも防がなければならない。

誰にも訓練を手伝わせないようにするのも、限界がある。


彼女を"守る"ために、どうしたらいいか――。


(……束縛って、どうやるのが一番自然なんだろう。)


監禁? いや、それはまずい。

マインドコントロール? それも無理だろう。


どんな策を講じても、"もし見破られたら"、間違いなく"僕の命がない"。


(……やっぱり、一番は機嫌を取ることかな。)


彼は、ひとつ頷く。


(よし、甘いものと、撫でることと……それと、適度な褒め言葉か。)


対ティチェルリス用戦略を思案しながら――

ビトリアンは、静かに書類を片付けると、立ち上がった。


――———————

――———


湯気が立ち込める広々とした浴室の中で、ティチェルリスは湯船にゆったりと身を沈めていた。

 温かいお湯が肌を優しく包み込み、一日の疲れを癒してくれる。


 彼女の背後では、金髪碧眼の美しい女性――専属侍女となったダリアが、慣れた手つきでティチェルリスの髪を丁寧に洗っていた。

 ダリア・メンタルス。

 すらりとした長身に、冷静な瞳を持つ彼女は、表向きは公爵夫人付きの侍女だが、その実態は代々ガーナンドブラック家に仕えてきた"暗殺者"の一族である。


 彼女が"専属"になったということは――それ自体が大きな意味を持っていた。

 それほどまでにティチェルリスの存在は、公爵家にとって重要だということだ。


「ねぇ、ダリア。」


「はい?」


「ビトーって……私のこと好きなのかな?」


 不意に漏れたその問いに、ダリアの手がわずかに止まった。

 ティチェルリスは、泡まみれの髪の毛を撫でられながら、ぽつりと呟く。


 彼の感情は、未だに掴めない。

 時折優しくて、時折ぶっ飛んでいて、時折不器用すぎるくらいまっすぐで。

 そんな彼の気持ちを、ちゃんと信じていいのか分からない。


 すると、ダリアはくすっと微笑んだ。


「そうだと思いますよ。」


「え?」


「だって、旦那様がわざわざ私を奥様の専属侍女にと任命されたのですから。」


「……?」


「メンタルス家が何を担う家柄か、奥様ならご存じでしょう?」


 ティチェルリスは、はっと息を呑む。


 そうだ。

 メンタルス家は、ガーナンドブラック家直属の"影"の一族。

 王族にも知られていない、暗殺や諜報を生業とする存在だ。

 その一員であるダリアを、ビトリアンが"専属"にしたということは――


(……私のために、私だけの"影"をつけたってこと?)


 それは、単なる使用人としての扱いではない。

 まるで"宝物を守るような行為"。


 ティチェルリスが言葉を失っていると、ダリアはさらに続けた。


「それに――」


「それに?」


「旦那様といえば、最近恋愛小説を何冊もお読みになり、ティチェルリス様とどう接すれば良いか、既婚者に聞いて回っているそうですよ。」


「ふえぇぇ!?」


 衝撃の事実に、ティチェルリスは思わず顔を真っ赤にして、**ブクブクブク……!**と湯船に沈みかける。


(ちょっと!? 何それ!? 私と接するために恋愛小説読んで、既婚者に指南を受けてるの!?)


 慌てて湯から顔を出し、バシャッと水しぶきを上げながら息を整える。

 湯気と羞恥で頬が熱い。


(や、やめてよ……! そんなん聞いたら、今夜ビトーの顔まともに見れないじゃないの……!)


 彼女は両手で顔を覆いながら、ぐったりと湯船に沈んだ。


◇◆◇◆◇


湯浴みを終えたティチェルリスは、ふんわりとしたパジャマに身を包みながら、静かに寝室へと向かっていた。

 肌にはまだ湯気が残り、ぽかぽかと温かい。


 だけど――心の中はそれとは違う、妙な熱がこもっていた。


(……ビトーって、本当に何考えてるのか分からないけど。)


(……でも、そうやって"努力"してるのは……なんか……。)


 少しだけ、嬉しい――。


 そんなことを考えながら、ゆっくりと寝室の前へ到着する。


 そして――


 ばったりと、ビトリアンと鉢合わせた。


「……っ!」


 彼女の足が、ピタリと止まる。


 目の前に立っていたのは、入浴後なのか、少しだけ湿った黒髪を整えたビトリアン。

 いつものように、感情をあまり表に出さない顔をしているが、なぜかほんの少し、目元が柔らかい。


 彼はティチェルリスを一瞥し――ゆるりと微笑んだ。


 ふっと、穏やかに、優しく。


(えっ!? ちょ、今の何!? なんかいつもより優しい顔してる!?)


 先ほどまで恋愛話をしていたせいで、ティチェルリスは無駄に意識してしまい、咄嗟に目をそらしてしまう。

 顔が、じんわりと熱い。


(やばい、やばい、変なこと考えてるわけじゃないのに、なんか恥ずかしい……!)


 逃げるように通り過ぎようとした――その瞬間。


 ヒョイッ。


「……うわぁっ!?」


 突然、ティチェルリスの体が宙に浮いた。


 ――いや、違う。


 お姫様抱っこされていた。


「な、なに!? なんなの!? おろしてっ!!」


 バタバタと暴れるも、ビトリアンの腕はびくともしない。

 むしろ、いつも通りの落ち着いた表情のまま、何事もなかったかのように歩き始めた。


(ちょっと!? なんでこんなに軽々と持ち上げるの!? 私、訓練してるからそれなりに筋肉あるんですけど!?)


「……暴れると危ない。」


「いやいやいや、抱っこすること自体が危ないでしょうが!!!」


 そんな彼女の抵抗をよそに、ビトリアンは淡々と歩を進める。


 そして――


「こちらへどうぞ。」


 サッ。


 絶妙なタイミングで、執事のマルチェが寝室の扉を開けた。


(……今の流れ、絶対打ち合わせしてたでしょ!?)


 まるで当然のことのように、ティチェルリスは寝室へ運び込まれ――


 ぽふっ。


 柔らかなベッドの上へと、そっと降ろされた。


 ようやく解放され、彼女は慌てて身を起こす。


「も、もう!! どうしてこんなことするのよ!」


 頬を膨らませながら詰め寄るティチェルリス。


 その時だった――


 ビトリアンは、静かに彼女の額に手を添え、そっと顔を近づけた。


 そして――


 チュッ。


 優しく、額にキスを落とした。


「……っ!?」


 一瞬、思考が止まる。


(え……? ええええええええ!?!?!?)


 驚きと混乱で、ティチェルリスは目を見開いた。

 額に残る柔らかな感触がじんわりと広がっていく。


「な、なにするのよ!!」


 反射的に声を上げ、思わずビトリアンを見上げる。

 すると、彼はまるで何でもないことのように、静かに口を開いた。


「……夫婦だから。」


 その瞬間、ティチェルリスの顔が一気に熱を帯びる。


「~~~~っ!!!」


 真っ赤になりながら、手に取った枕を思いっきり投げつけた。


「も、もう知らない!!!!」


 枕がビトリアンの胸元にぶつかるも、彼は軽くキャッチし、微かに目を細める。


(……なんか満足そうな顔してる!!)


 羞恥と怒りの入り混じった声が、夜の寝室に響き渡る。

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