表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/52

17話目

 焼け焦げた戦場に、静寂が訪れる。

 空には黒煙がゆらめき、遠くで鳥が鳴いているのがかすかに聞こえた。

 大地は雷の爪痕で焼かれ、敵軍の影はもうなかった。


 ビトリアンは、ぼろぼろのマントを翻しながら、その場に立ち尽くす。


「……終わった。」


 そう、呟くように呟いた。


 しかし――彼の戦いは、まだ終わっていない。


 バチバチと、彼の手元に雷が宿る。

 指先が震え、まだ放電しきれていない雷光が身体を駆け巡る。

 それでも、ビトリアンは休まなかった。


(……まだだ……!)


 戦場に、雷の力を巡らせていく。

 ただの攻撃ではない。


 "結界"を張るために。


 バチッ! バチバチバチッ!!


 青白い雷光が、空間を網目のように駆け巡る。

 まるで見えない檻のように、雷の壁が周囲を包み込んでいく。

 戦場一帯に、青白いラインが張り巡らされる。


 まるで、"巨大な雷の檻"。

 その中に、戦場の跡が完全に閉じ込められた。


 何をしているのか分からず、騎士や兵士たちは困惑する。

 誰も見たことのない魔法に、ただ立ち尽くすしかなかった。


「……お、おい、何を……?」


 呆然とする兵士の一人が、仲間に囁く。

 その声すら、ビトリアンには届いていない。


(こんなところに大穴でも空いたら……大変なことになるぞ……!)


 彼は、今は誰にも分からない"危険"を感じ取っていた。

 この場所は、雷撃によって何度も攻撃を受け、地盤が脆くなっている。

 もし、ここにティチェルリスが現れてしまったら――


 地面ごと崩れ落ち、戦場の地形が"変わってしまう"。


(ティチェがここに来る前に……この戦場を、封じ込める……!)


 全身が痺れ、雷を制御する負荷が体を蝕んでいく。

 魔力の消耗は限界に近い。

 しかし――彼はやめなかった。


「……くっ……!」


 膝が、ぐらつく。

 汗が額を伝い、指先の痙攣が止まらない。


 ようやく――ようやく、雷の檻が完成した。


 戦場の跡地は、雷光に覆われ、誰も容易に立ち入れない"封鎖区画"となった。


「……はぁ……。」


 ビトリアンは、重い息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。

 全身が鉛のように重い。


 しかし、今はそれどころではない。


「……騎士と兵を……全員集めろ……。」


 低く、疲れた声で命じる。


 ――今まで、公爵がこんな命令を下したことはなかった。


 戸惑いながらも、兵士たちは次々と集められていく。

 戦場に残った者すべてが、一堂に会する。


 ビトリアンは、ぐらつく体を支えながら、ゆっくりと顔を上げた。


 ――そして。


「いいか!!」


 今まで聞いたことのない、大きな声が響いた。


 ビトリアンは、まるで雷鳴のような声で叫ぶ。

 その表情には、切羽詰まった焦燥が滲んでいた。


「絶対に誰も!! ティチェルリスを鍛えるなよ!!」


 騎士たちが息を呑む。


「鍛えるのに手を貸したものは――減給だ!!!」


 ――バリバリバリッ!!!


 戦場に雷が轟いたかのような衝撃が、兵士たちの間に走る。


(……げ、減給!?)


 あの"無感情公爵"が、減給なんて言葉を使うとは……。

 騎士も兵士も、誰もが唖然とする。


(今まで、そんな命令を出したことなんてなかったのに……!!)


「よし……帰る……。」


 疲れ果てた声で呟くと、ビトリアンはそのまま馬に乗った。


 そして、ふと顔を上げ――


「……あ、既婚者は僕の周りにつけ。」


 突然の指示に、場がざわついた。


「え?」


「……既婚者……?」


 側近であるハークは、一瞬理解が追いつかず、困惑した表情を浮かべる。


(な、なんで急に既婚者限定……?)


 しかし、公爵の命令は絶対だ。


 慌てて、ハークは周囲を見渡し、手当たり次第に既婚者の騎士たちを集めていく。

 数十人の騎士たちが、不思議そうな顔をしながら、ビトリアンを囲むように馬を進める。


 ビトリアンは、深く息を吐きながら――静かに口を開いた。


「……それぞれ、嫁の機嫌の取り方を述べてくれ。」


 ――また、雷が落ちたような衝撃が走った。


 騎士たちが、まるで"雷に撃たれた"ような表情で固まる。


「え……。」


「機嫌の……取り方……?」


「それは……その……。」


(え、俺たち、いま戦争帰りだよな!?)


(な、何を言ってるんだ公爵様は……!?)


 一同がざわつく中、側近のハークは深いため息をついた。


「……あの、ご夫婦仲は、順調ということでよろしいのでしょうか……?」


 ビトリアンは、ハークの問いに対して、少し考え込んだ。


 そして――。


「……うん。順調……なはず。」


 なぜか、言葉に少し迷いが混じる。


(不安があるんだろうか……)


 ハークは、頭を抱えそうになったが、仕方なく既婚者たちに向き直った。


「……さあ、皆さん。順番に公爵様にご指南を。」


 騎士たちは顔を見合わせながら、一人、また一人と口を開いていく。


「……うちの嫁は、甘いものを買ってくると機嫌が良くなります。」


「うちは、足をマッサージすると喜びますね……。」


「とりあえず謝っておけばなんとかなる時もあります。」


 まるで"既婚者の知恵袋"のような時間が始まった。


 そんな騎士たちの話を聞きながら、ビトリアンは静かに頷いていた。


「……なるほど。」


(……とりあえず、お菓子とマッサージか……。)


 戦場帰りの公爵の頭の中は、妻の機嫌を取る方法でいっぱいになっていた。


 そんな異様な帰路の光景に、ハークは改めて思った。


(……公爵様って、時々、本当に何考えてるのかわからない。)


 しかし、それでも――騎士たちは、彼を囲みながら馬を進めていった。


 公爵の"戦い"は、まだ続く。


 そう、"帰った後"に。


 ――ティチェルリスの怒りを、どう鎮めるかという、新たな戦いが。


――—————————

――———————


甘く、ふんわりとした香りが漂う。

 それは、まるで夢の中にいるかのような、優雅で穏やかな空気だった。


 ティチェルリスは、ゆっくりとまぶたを開く。

 視界がぼんやりと霞み、まだ眠気が抜けきらない。


(……なんだか、とても気分がいい。)


 最近は、まともに眠れていなかった。

 けれど、今は驚くほどぐっすりと眠れた気がする。


 伸びをしようと、わずかに手を動かした瞬間――


 ひらり。


「……え。」


 薔薇の花弁が、ひとひら頬に落ちた。


(……えっ?)


 違和感に気づき、ゆっくりと視線を巡らせる。


 そして――


「……っ!?」


 キングサイズのベッドが、一面の薔薇に埋め尽くされていた。


 まるで、誰かが惜しみなく花をばら撒いたかのように、

 真紅の花びらがシーツを覆い、甘やかな香りが部屋に充満している。


(な、なにこれ……!?)


 戸惑うティチェルリスが、隣を向くと――


 白いシャツをはだけさせたビトリアンが、ゆったりとした姿勢で横たわっていた。

 無造作にかかった黒い髪が、朝陽を浴びて柔らかく輝いている。


 そして――


「おはよう。」


 青い瞳がこちらを見つめ、彼は優しく微笑んだ。


 ティチェルリスは、完全に固まった。


(……え? え? え????)


 頭が追いつかない。


 だって、ビトリアンがこんな表情を浮かべるなんて――

 これまで一度たりとも見たことがなかった。


(無感情だったのが気に食わなかったから……その影響で……夢?)


 そう考えると、妙に納得がいく気がする。

 こんな状況、現実であるはずがない。


 ――夢だ。


(……なら、もう一度寝よう。)


 そう思い、ティチェルリスは再び布団を被り、目を閉じた。


 しかし。


「ティチェ……。」


 低く、穏やかな声が耳元に落ちる。

 それと同時に――


 頬に、そっと柔らかな感触が触れた。


「……っ!」


 目を見開くと、ビトリアンが至近距離で見つめていた。

 優しく唇を押し当てたのは――彼。


(……あ、れ?)


 心臓が、跳ね上がる。


(……夢……だよね?)


 これは、夢だ。


 現実にこんな甘いシチュエーションがあるわけがない。


 そう思い込もうとしたその時――


 突然、意識の奥に"ある記憶"が蘇る。


(そういえば……私は……どうして寝て……)


 ピリッ――。


 雷の残滓を思い出す。

 身体がふわりと浮いた感覚。

 最後に見た、ビトリアンの顔。


(……戦争……!!)


 ガバッ!!!


 ティチェルリスは勢いよく起き上がった。


「戦争は!?」


 息を切らしながら、ビトリアンを見つめる。


 しかし、彼はまるで何事もなかったかのように、ゆるく微笑んだ。


「……兵士の早とちりだったみたい。」


「……はやとちり?」


 ティチェルリスは、眉をひそめる。

 あれだけの報告が"早とちり"だったというのか?


(なんか怪しい……。)


 疑いの眼差しを向ける彼女に、ビトリアンは「ほら」と手を差し出した。


「ティチェ。チュールトークのお菓子、買ってきたよ。」


 そこには――美しく詰められたマカロン。


「チュールトーク……?」


 その名を聞いた瞬間、ティチェルリスの頭がフル回転する。


(チュールトークって、王都にある老舗の有名菓子屋じゃない!?)


 ここはガーナンドブラック公爵領。

 王都までは相当な距離がある。


(……どうやって、王都の老舗に買いに行けるのよ……!?)


 疑問を抱く彼女をよそに、ビトリアンはひょいとマカロンを取り――


 ティチェルリスの口に、無造作に押し込んだ。


「んっ……!!」


 不意打ちに驚きながらも、口の中でふんわりと甘さが広がる。


 軽やかな食感。

 濃厚なバターの風味。

 口どけのいいクリームが、なめらかに溶けていく。


 ――間違いない。


 これは、本物の"チュールトーク"のマカロンだ。


(えっ、どういうこと!?)


 ティチェルリスが混乱していると――


 ビトリアンは、彼女の反応を満足そうに眺めながら、静かに微笑んだ。


「ティチェ……可愛い。」


 柔らかく囁かれる。


 その声と視線があまりにも甘くて――


 ティチェルリスの顔は、一気に真っ赤になった。


(な、なに今の……!?)


「ゆ、夢だわ!!!」


 反射的に叫び、彼女はもう一度布団をかぶった。


 ――無理。

 これは絶対に夢。

 そうじゃなきゃおかしい。


 自分でそう言い聞かせながら、ぎゅっと目を閉じる。


(夢だわ……きっと夢……!!)


 そんな風に自分に言い聞かせながらも――


 ティチェルリスの心臓は、爆発しそうなほど速く脈打っていた。

【オマケ】

戦場を後にし、馬を進める騎士たちの列。

 その先頭で、ビトリアンは静かに手綱を握っていた。


「ハーク……先に帰るから……馬を……お願い。」


 ぼそりとした声に、隣を走る側近ハークがぎょっとする。


「は? え? 先に帰るって、どういう――」


 ハークが困惑する間もなく、ビトリアンはそっと手綱を渡した。


「え? え? いや、え?」


 訳も分からず、馬を預かった次の瞬間――


ビトリアンが消えた。


「……は?」


 ぽかんと口を開けるハーク。


 それもそのはず、ビトリアンの体が青白く光を放ち、まるで雷そのものになったかのような速度で空間を裂き、一瞬にして姿を消したのだ。


 残された騎士たちも、呆然としたまま口を開ける。


「な、なんだ今のは……。」

「公爵様、今……光ったぞ……?」

「つ、つまり雷そのものに……?」

「え、雷ってそんな使い方できるの……?」


 誰もが唖然とする中、ハークは渡された馬の手綱をぎゅっと握りしめ、冷や汗をかきながらつぶやいた。


「……俺、まさか馬の世話係に降格したわけじゃないよな?」


 ――その頃、ビトリアンはすでに屋敷に到着していた。


 屋敷に戻るなり、彼は執事マルチェを呼びつけた。


「眠りの香を持ってきて。」


 静かにそう指示すると、マルチェは一瞬目を細めたものの、何も言わずに深く一礼した。


「かしこまりました。」


 しばらくして、香りの小瓶を受け取ったビトリアンは、そのまま寝室へ向かう。


 寝台の上では、ティチェルリスがまだ気絶したままだった。


 彼女の静かな寝息を確認すると、ビトリアンはそっと香を枕元に置く。


「……よし。」


 次に向かったのは――王都のチュールトークだった。


 王都の老舗菓子店、チュールトーク。


 ビトリアンが店の前に現れると、すでに長蛇の列ができていた。

 店の看板には、「本日限定!特製マカロン!」の文字が躍る。


(……並ぶのか。)


 公爵であるビトリアンが、庶民に混ざって普通に列に並ぶ。

 すぐ後ろの客が何度もチラチラと視線を向けるが、ビトリアンは一切気にせず、無表情のまま待ち続けた。


 ……30分後。


 ようやく順番が回ってきた。


「マカロンをください。」


「はい、公爵様――えっ、公爵様!?」


 店員が二度見したが、ビトリアンは特に気にせず、マカロンを受け取った。


 そして、次に向かったのは――


花屋。


「薔薇を、持てるだけ。」


「え、ええっ!? も、持てるだけ!? ど、どの色にいたしますか?」


「赤。」


 そして、店員が必死に用意した大量の薔薇を両手いっぱいに抱え、再びビトリアンは雷となって屋敷へ帰る。


――――――


 寝室に戻ると、すぐに動き出した。


 薔薇の花を、ベッドの上にこれでもかと敷き詰める。


(睡眠香の匂いが残っていたらバレる……。)


 バラバラと散らされる花びら。

 薔薇の甘い香りが、部屋中を満たしていく。


 最後に、ティチェルリスの周囲にもそっと花びらを添え――。


「……完璧。」


 準備が整ったことを確認すると、ビトリアンはそっとベッドの隣に横たわった。


 無造作な黒髪をかき上げ、白いシャツのボタンを一つ外す。


(……さて、後は待つだけ。)


 ティチェルリスが目を覚ました時――彼の目の前には、完璧に演出された"幻想的な光景"が広がっているはずだった。


 彼は、静かに目を閉じた。


(……これで、夢だと思ってくれるだろう。)


 ティチェルリスを騙すために、ここまで準備する公爵。

 しかし、それが"予想以上の効果"をもたらすとは、まだ誰も知らなかった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ