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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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15/52

15話目

あれから数週間が経っていた。

 ティチェルリスは変わらず訓練を続け、日々の執務にも慣れつつあった。

 少しずつ公爵夫人らしく振る舞うことも増えてきたが、それでもやはり、彼女の根本は変わらない。


 そして、今夜もまた――


「はぁ~~……疲れた。早く休みたい。」


 入浴を終えたティチェルリスは、湯上がりの体をバスローブで包みながら、静かな廊下を歩いていた。

 濡れた髪をタオルで拭きつつ、自室へ戻ろうとしたその時――


 スッ


 目の前に、執事が立っていた。


「うわっ……びっくりした。」


 一瞬、心臓が跳ねる。

 しかし、すぐに相手の顔を認識して、彼女は小さく眉をひそめた。


(……マルチェ?)


 彼はビトリアンの側近であり、長年この屋敷を仕切っている執事長。

 年配ながらも背筋はピンと伸び、白髪を綺麗にオールバックに撫でつけ、方眼鏡(モノクル)をかけたその姿は、まさに"完璧な執事"そのものだった。


「……どうしたの?」


 彼女がそう問いかけると、マルチェは表情ひとつ変えずに告げた。


「本日より、寝室が変更となります。」


「……は?」


 一瞬、思考が停止する。


「変更? いや、何勝手に決めて――」


「こちらでございます。」


 マルチェは有無を言わせず、静かに手を差し出し、奥の部屋へと案内した。


(え? え???)


 混乱しつつも、なぜか足は動いてしまう。

 促されるままに歩き、指し示された扉の前へ。


 そして、その扉が開かれると――


「……!!!」


 中にいたのは、満面の笑みで手を振るビトリアンだった。


「……なっ。」


 ティチェルリスは、反射的に後退る。


(えっ、なんでビトリアンがいるの!? っていうか、なんでそんな楽しそうなの!?)


 動揺している間に、後ろから、スッ……と、マルチェの手が伸びる。


「では、ごゆっくりおやすみくださいませ。」


 そう言ったかと思うと――


 バタンッ!!!


「ちょ、ちょっと――!」


 扉が閉められた。


 そして、鍵をかける音。


(嘘でしょ!?)


 呆然とするティチェルリスの前で、ビトリアンは静かに近づいてきた。


「……どういうつもり?」


 彼女は少し警戒しながら問い詰める。


 しかし、ビトリアンは何も言わず、ただティチェルリスの手を取り――


 指先を、そっとにぎにぎする。


「……。」


 柔らかく、優しく、しかし執拗に。


 豆ができた部分を、指先で確かめるように。


(だって、訓練しちゃうでしょ?)


 そう言いたげな仕草。


「……だからって、これはやりすぎじゃない?」


 少し呆れながら見上げると、ビトリアンは静かに首を横に振った。


 そして――


「夫婦だから。」


 シンプルに、淡々と告げる。


「……。」


 ティチェルリスは、一瞬言葉を失う。


(夫婦だから……って、今更…。)


 でも――彼の表情は、本当に自然だった。

 ごく当たり前のことを言っている、という顔。


 なんだか力が抜けた。


 これ以上、何言っても無駄な気がする。


ティチェルリスはさっさとベッドに入った。


 もはや、突っ込む気力もない。

 諦めの境地。


 背中を向け、毛布を引き寄せ、静かに目を閉じる。


(もう寝よう……。)


 すると――。


「……。」


 背後で、ベッドが微かに沈む感覚。


 ビトリアンが、静かに隣に横たわる。


 ティチェルリスは、少しだけ毛布の中で目を開けた。


(……まあ、夫婦だからって、寝るだけならいいけど。)


 そう思いながらも、なぜか心臓が妙に落ち着かない。


(この距離、ちょっと近くない?)


 しかし、これ以上何か言うと、また面倒なことになりそうで――。


 そのまま、ティチェルリスは目を閉じた。


(……もう知らない。)


 寝たふりを決め込む。


 けれど、すぐ隣から聞こえる静かな呼吸音が、どうしても意識から離れなくて――


 なかなか寝付けないまま、夜は更けていくのだった。


――———————

――—————


(……最悪。)


 ティチェルリスは、ぼんやりと天井を見つめながら、心の中で深いため息をついた。


 昨夜、ビトリアンと同じ寝室で眠ることになったものの――ほとんど眠れなかった。


(なにあの無駄に落ち着いた寝息……。)


 彼女がずっと寝返りを打ちながら眠れずにいたというのに、隣の男は実に快適そうに眠っていたのだ。


 視線を横に向けると、そこにはすっきりと目覚めた様子のビトリアンがいた。


 青い瞳はどこまでも澄んでいて、表情はいつも通り涼しげ。  さらには、しっかりとした姿勢でベッドから起き上がり、普段通りの穏やかな態度を崩していない。


 完璧な目覚めだった。


(いいわね……そんなにちゃんと寝れて……!)


 自分はこの数時間、ひたすら寝返りを打ち、時々ビトリアンの寝顔を見てしまい、そのたびに謎の敗北感に襲われていたというのに――。


(何が夫婦だからよ……! 枕が変わると寝れないのよ!!)


「ティチェ……眠れなかった?」


 ビトリアンが、まだ半分眠気の残る彼女を覗き込むように尋ねる。


「……枕が変わると眠れないのよ。」


 ティチェルリスは、少し不機嫌そうに答えた。


 すると、ビトリアンは少し考え込むように目を伏せた後、静かに口を開いた。


「じゃあ、もっと一緒に寝れば慣れる?」


「いや、そういう問題じゃないから!!」


 目をカッと見開いて即座に否定する。


 だが、ビトリアンはまるで"何か名案を思いついた"かのように、小さく頷いていた。


(……ダメだ、この人。なんか変なスイッチ入った気がする。)


 その時、コンコンと控えめなノックの音が響いた。


「失礼いたします。朝の支度を――」


 執事や侍女たちが、いつものように朝の準備を整えるために部屋へ入ろうとする。


 すると――


「待って。」


 ビトリアンが、静かに手を上げて制した。


 扉の前で動きを止めた使用人たちは、怪訝そうな表情を浮かべる。


 ビトリアンは、寝起きの落ち着いた声で、さらりと言った。


「ティチェを寝かせてあげられなかったから、もう少し寝かせてあげて。」


「…………。」


 一瞬の静寂。


 そして、次の瞬間。


 使用人たちは、何かを"察した"ように、お互いに目を見合わせた。


 (……えっ、今の言い方……。)


 その意味深な言葉に、侍女たちは頬を赤らめながら、咳払いをし、微妙な笑みを浮かべる。


「……では、ごゆっくり。」


 そう言って、そそくさと退室していった。


「ちょっと待って!!!」


 ティチェルリスは、勢いよくベッドから飛び起きた。


 しかし、扉はすでに閉まっていた。


(ご、誤解された……!? 絶対、今の言い方、完全に夜通し何かあったみたいになってたわよね!?)


 慌ててビトリアンを見ると、彼は実に淡々とした表情で座っていた。


「……語弊があるわ!!!!!」


「?」


 ビトリアンは、きょとんとした顔でティチェルリスを見つめる。


 その表情は至極冷静で、まったく悪気がない。


(いやいやいや、絶対確信犯でしょ!?)


 ティチェルリスは顔を真っ赤にしながら枕を掴み、勢いよくビトリアンに投げつけた。


「もう知らない!!!」


 しかし、ビトリアンは枕を簡単に受け止めると、にこりと微笑んだ。


「ふふ……。」


 その顔が、あまりにも満足げだったので、ティチェルリスはさらに悔しくなった。


(くそ~~~~!!!!!)


 羞恥と怒りの間で揺れながら、彼女の朝は今日もまた波乱に満ちていた。


――———————

――—————

 王宮の奥深く、重厚な扉に守られた会議室。

 壁には美しいタペストリーがかかり、中央には金細工が施された大きな円卓が置かれている。

 窓の外には夕闇が迫り、燃えるような赤色がカーテン越しに差し込んでいた。


 その部屋の中央、王座の横に座る男――王国の主、ディバルデント・ナージストが、指先でワイングラスの縁をなぞりながら、静かに微笑んでいた。


 彼の前に、一人の騎士が跪いている。


「……ガーナンドブラック公爵家の件について、報告を。」


 低く、淡々とした声が響く。

 王の側近の一人が、静かに促した。


 跪いていた騎士は、一度頭を下げると、落ち着いた声で報告を始めた。


「……はい。現在のところ、公爵夫妻の関係は順調に進展している模様です。」


 王は、ワイングラスを軽く傾けながら、その報告を聞く。


「ほう?」


「仲睦まじく、閨も共にされており、特に問題はないとのこと。」


 会議室の中が、一瞬静まり返る。


 火の灯った燭台の揺らめく光が、王の表情をぼんやりと浮かび上がらせる。

 その唇が、わずかに弧を描いた。


「……なるほど。」


 その声は、満足げでありながら、どこか冷ややかだった。


 王の視線が、ゆっくりとワイングラスの中の赤い液体へと落ちる。

 鮮やかな深紅が揺れ、まるで血のように艶やかに光る。


 "ガーナンドブラック公爵家の純度の高い雷の能力"――それこそが、王国の電気供給を支えている要となる。


 しかし、その血が薄れれば、王国全体の安定が揺らぐ。

 王宮にとって、公爵家の能力が失われることは決して許されない事態だった。


(もし血が混ざり、能力が衰えれば……。)


 王は、ふと小さく息をつきながら、ゆったりと背もたれにもたれかかる。


「……別の令嬢を、と思ったが。」


 ワイングラスを回しながら、静かに呟く。


 騎士は、その言葉に反応しつつも、余計なことは言わなかった。


 そして、王の口元が、薄く微笑む。


「……もう少し、様子を見るか。」


 会議室に、再び静寂が落ちた。


 揺らめく炎の灯りの下で、王の微笑はどこか冷たく、不穏な影を落としていた――。


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