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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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11/52

11話目

 翌朝――。


 屋敷の中は、どこか慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 デートに出発する二人のために、使用人たちが準備を整えていたからだ。


 ティチェルリスは、鏡の前で乗馬服の襟元を整える。

 動きやすく機能的な装いながら、ラインが美しく整えられた黒の乗馬服は彼女によく似合っていた。

 銀髪をきゅっと一つに束ね、いつものドレス姿とは違う、凛々しい姿だった。


 一方のビトリアンは――

 いつも通りの無表情で、普通の衣装を身に纏っていた。


(……デート、なのか?)


 "デート"という言葉が頭の中で何度も反響する。

 けれど、いまだにそれが何を意味するのか、しっくりこなかった。


「行くわよ。」


 ティチェルリスはそう言うと、躊躇いなく馬にまたがった。

 見事な手綱さばきで、軽々と乗りこなす。


 ビトリアンはその様子をじっと見つめる。

 ティチェルリスが手を差し出し、にっこりと笑った。


「早く。」


 しかし――ビトリアンは、その手を無視して黙って後ろに乗り込んだ。


 ティチェルリスは一瞬、呆気に取られたが、すぐにため息をついた。


「愛想がないわね。」


 「……愛想?」


 ビトリアンは小さく首を傾げるが、それ以上何も言わなかった。


 ティチェルリスは気にせず、手綱を引くと、馬が勢いよく駆け出した。

 護衛騎士たちが数人、後ろから間を取ってついてくる。


――——————

――———


道を進むにつれ、景色が変わっていく。


 やがて、彼らが向かったのは、ビトリアンの統治する領地の中心地だった。


 街の入り口に差し掛かると、ティチェルリスが後ろを振り返る。


「見て、ここ。あなたがおさめる領地よ。わかる?」


 ビトリアンは無言のまま、視線を前へ向けた。

 目の前に広がるのは、活気があるとは言えない町並み。


 そこには、どこか疲れたような表情の人々がいた。

 市場は閑散とし、冬の名残の冷たい空気が漂っていた。


 それでも、領主であるビトリアンの姿を見た者たちは、遠巻きに彼らの姿を見つめる。


 だが――誰も、挨拶すらしなかった。


(……。)


 ビトリアンはじっと、その光景を見つめたまま、何も言わなかった。


 そんな彼の様子を見て、ティチェルリスは遠慮なく尋ねた。


「どういう状況なのか、聞いてみるわよ。」


 そして、町の人々に直接話を聞いた。


 領民たちは、最初こそ戸惑ったものの、やがて少しずつ現状を話し始める。


「冬を越すのが精一杯で、毎年ぎりぎりの生活です。」

「領主様のお力添えがなければ、このままでは……。」

「税が重く、商人も定着しません。」


 口々に出てくるのは、厳しい生活の実態。

 次の町へ行っても、答えは同じだった。


(……。)


 ビトリアンは、それを静かに聞いていた。

 まるで、自分の領地の現状を知るのが初めてであるかのように。


――———————

――—————


 昼になると、ティチェルリスは木陰の広場に馬を止めた。

 護衛たちが周囲を警戒する中、草の上に布を広げると、持参した籠を開く。


 中から取り出されたのは、彼女が朝から準備した手作りの弁当だった。

 焼きたてのパンに、しっかりと味付けされたロースト肉、チーズやハーブを添えた副菜。

 彩りも考えられた美しい仕上がりだった。


 しかし――。


 ビトリアンは、それを見た瞬間、あからさまに顔をしかめた。


「……。」


 まるで"毒でも入っているのでは"と疑うような視線を弁当に向ける。


 ティチェルリスは、そんな彼の態度を見ながら、余裕の笑みを浮かべる。


「早く食べなさいよ。」


 命令口調ではあったが、その声にはどこか優しさが滲んでいた。


 ビトリアンはしばらく視線を落としたまま、ナイフとフォークを手に取る。

 目の前の料理にどう手をつけるべきかと迷っていたその時――

 ふと、ティチェルリスの手が視界に入った。


 細かい傷が、いくつも刻まれていた。


 慣れない料理を作る中でできたであろう、小さな傷跡。

 指先の赤みが、ほんの少し痛々しく見えた。


(……。)


 ビトリアンは、小さく息を吐いた。


 ためらいがちに、ナイフを肉に入れ、一口、口に運ぶ。


 噛む。


(……意外と、美味しい。)


 驚くほど、普通に食べられる味だった。

 前に食べた"あの"料理とは比べ物にならない。


 しかし、ビトリアンはそれを素直に認めることができなかった。


(なんで……最初からこういうふうに作らなかったんだ……?)


 もやもやとした感情が胸の奥に生まれる。

 けれど、それを口にすることはしなかった。


 無言のまま、ティチェルリスをじっと睨む。


 それを見たティチェルリスは、唐突に笑い出した。


「あっはは! ビトリアン、面白い顔!」


 ビトリアンは、一瞬動きを止め、目を伏せる。

 そして、ぽつりと呟いた。


「……ビトーで、いい。」


 ティチェルリスは、一瞬驚いたように彼を見たが――

 すぐに肩をすくめ、軽く受け流すように答えた。


「あら、そう?」


 何の躊躇もないその返事に、ビトリアンは少しだけ考え込むような表情を浮かべる。


 そして、ふと問いかけた。


「君……僕が年上ってわかってる……よね?」


「え? そうなの? 身長も同じくらいだから、わからなかった。」


 ティチェルリスは、首を傾げながら聞き返す。


「何歳なの?」


「……21……。」


「21!? どう見ても子供じゃない!」


 ティチェルリスは目を見開き、おにぎり代わりに作った丸めたパンを片手に笑う。

 一方、ビトリアンは、少し睨むような視線を向けながら黙ってパンを食べ続けた。





 食事が落ち着いたころ、ティチェルリスは静かに問いかけた。

 風が木々を揺らし、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。


「……自分の領地はどう?」


 ビトリアンは、しばらく口を閉ざしたまま、パンの欠片を手の中で転がすように弄んでいた。

 けれど、やがて静かに答える。


「……大変そう……だった。」


 乾いた声だった。


 ティチェルリスは、彼の様子をじっと見つめる。

 ビトリアンの表情はいつもと変わらない。

 しかし、声のトーンがほんの少しだけ、僅かに揺れているように聞こえた。


「そうよね。」


 彼女は頷き、もう一歩踏み込んで問いかける。


「なんでかわかる?」


 ビトリアンは、視線を落としたまま、少しだけ考える素振りを見せる。

 しばらく沈黙した後――


「……僕が……怠って……たから。」


 ぽつりと呟いた。


 その言葉が口からこぼれた瞬間、ビトリアンの手が、無意識に胸のあたりを押さえる。

 まるで心の奥に鈍い痛みを感じるかのように。


 ティチェルリスは、それを見てふっと笑みを浮かべた。


「私、こう見えて、学校では主席だったの。一緒にやってみない?」


 ティチェルリスの口調は軽かった。

 けれど、その言葉には確かな意志が込められていた。


 ビトリアンは、ティチェルリスをじっと見つめた。


「……。」


 彼は、何かを考えるように少し目を伏せ、指先でそっと草をなぞる。


 ――そして、ティチェルリスはゆっくりと手を挙げた。


(……平手打ち数秒前。)


 ビトリアンの脳内に、これまでの経験から瞬時に警戒信号が鳴る。

 何度となく繰り返された"彼女の決断の前兆"――。


「……わ、わかった。」


 短く、観念したように答える。


 ティチェルリスは、ふっと笑みを浮かべた。


「よろしい。」


 予想していた平手打ちは、来なかった。


ビトリアンは、警戒しつつも少しだけ息を吐いた。


 ティチェルリスの提案に頷いたものの、正直、自分が本当に"公爵としての仕事"をやれるのか不安だった。

 けれど、彼女の表情はどこまでも自信に満ちていた。


 そんな彼女をじっと見つめながら、ふと、ビトリアンの口から何気なく言葉がこぼれた。


「ティチェは………友達……少なそうだな。」


 ――バシーーンッ!!!


「痛っ!!」


 瞬間、鋭い音が響き、ビトリアンの首が軽く傾いた。

 片頬に鋭い衝撃が走る。

 ジンジンと痛みが広がり、彼はゆっくりとその頬をさすった。


 一方のティチェルリスは、怒りの炎を瞳に宿しながら、拳をギュッと握りしめていた。


「そういうビトーだって、学校もまともに行けてたか怪しいんじゃないの?」


 ――ピキッ。


 遠くの空気が、一瞬で極寒のものへと変わる。

 まるで氷点下の冷気が周囲を包み込むかのように、ビトリアンの背筋が凍りついた。


(ほら、やっぱり)


 彼の中で、何かが崩れ落ちる音がした。

 ティチェルリスの言葉が、鋭く心の奥に突き刺さる。


 まともに学校へ通った記憶など――ほとんどない。

 幼少期から続いた後継者争い。

 命を狙われ、監視され、信用できるものなど何もなかった。

 勉強は、必要最低限のものを独学で身につけただけ。

 友人なんて、作る暇すらなかった。


 ――いや、そもそも"作る"という概念がなかった。


 ティチェルリスの言葉は、図星だった。


 けれど――


「……でも。」


 ビトリアンは、ゆっくりと視線を上げる。


 そこには、じっと彼を見つめるティチェルリスの姿があった。

 先ほどの怒りは消え、彼女は少し微笑みながら、はっきりとした声で言った。


「これから作っていけばいいし、学ぶことだって、これからやりなおせばいいわ。そうでしょ?」


 ビトリアンは、その言葉をじっと反芻する。


 ――これから。


 ――やりなおせばいい。


 そんなこと、考えたこともなかった。

 彼の人生は、ずっと"耐え抜くこと"がすべてだった。

 "今を生き延びる"ことしか、考えてこなかった。

 けれど、彼女は"未来のこと"を語っている。


 今まで無機質だった彼の瞳に、ほんの一瞬――


 光が宿った。


「……。」


 ビトリアンは、何も言わずにティチェルリスを見つめる。

 その青い瞳に、初めて"確かな意志"が映る。


 ティチェルリスは、そんな彼を見て、ふっと口元を綻ばせた。


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