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第八話 信頼して蹴っ飛ばす

 


 誰もいない、静かな教室。

 突然その扉が急に開き、中に恐ろしい速度の物体が転がり込む。

 ルクバトだ。ソラを小脇に抱えたその身体は猫のように着地。慣性に従い、置かれていた机や椅子、イーゼルスタンドを吹き飛ばし、壁に叩きつける。

 次いで間髪を入れずに振り向きざま、ルクバトは腕を真横に薙いだ。

 その動きに呼応するようにガァン!と扉が閉まる。


 かすかな反響を残して、場は静まり返る。

 美術室。先ほどまで居た写真部の部室を過ぎ、渡り廊下を駆け抜けた先にある角の教室だ。



「あぶないところだったね……ソラ、怪我は?」

「大丈夫……ッ影狼は、」

「デコイ撒いたし、とりあえず撒けた……と思う」

「デコイ、?」

「僕らを模った幻を追わせてる。 認識阻害と鍵もかけた」



 その言葉に、ソラは扉を見やる。

 引き戸の取っ手には複雑な文様が刻まれ、きゅるきゅると音を立ててゆっくりと回っている。元の扉にはなかったものだ。あれがルクバトの言う『鍵』なのだろう。



「っと、りあえず、今は安全……ってこと?」

「今のところは」

「ッ……はぁ~~~~~~……!」



 張りつめていた糸がぷつりと切れるように、ソラは気の抜けた息を漏らした。



「最初はちょっと飛ばしただけでヘロヘロのグロッキーになってたのに……慣れた?」

「うるさい……ねえ、」

「ん?」

「なんかさあ……思い違いなら、いいんだけど、」

「うん」

「数、増えてなかった……!?」



 ソラは先程の対峙を思い起こし、そう聞く。

 相対したとき、目の数が増えているように見えた。

 以前は一そろいだけだったはずだが、今回は少なくとも二匹分────四つの目がこちらをとらえていた気がしたのだ。



「まあ、あいつら別に一匹しかいないわけじゃないし、うん」

「増えて合体してるってこと!?」

「そんな感じだね」



 どうやら影狼は一匹だけではないらしい。

 考えてみれば、狼は群れで狩りをする。そのものではないとはいえ仮にも名前を冠するものが、一匹だけであるはずがない。



「っていうか、もう狩場形成できるようになったんだ。早いな」

「何?かり、なんて?」

「窓見て」



 指が指す方をソラは見遣る。

 窓だ。先ほどまでの茜空は見る影もなく、べったりと黒く塗りつぶされている。


 が、よく見ればその黒は窓に塗られたものではない。ソラは立ち上がり、音を立てないように寄って窓の外を覗き込んでみる。

 すると、グラウンドなどは問題なく見ることができた。その代わり校門のあたりを境に、校舎をぐるりと囲むようにして黒い天幕のようなものが覆っている。

 色むらがなく、光沢もない。先ほど日が翳ったように感じたのはこれが原因のようだった。



「あいつら空間を指定して狩場作るんだよ」



 ルクバトはそうつぶやく。


 つまり、狩場として定めたその場を、一時的に自分のフィールドに書き換えているのだ。

 形成されたその狩場の中では影狼の能力が大幅に上昇する。陽が翳っているのもその効果の一つだ。影狼は影であるから、暗いところの方が濃く、強くなる。


 あの暗幕自体はあくまで目印であり、実体としてあるわけではないため、完全に光を遮っているわけではない。

 しかしルクバトに言わせれば、これだけ翳っていれば能力の上昇も著しいらしい。



「……範囲と時間は?」

「全体が見えないからなんとも言えないけど、多分学校全域。時間制限はなし。形成したことで何かデメリットや消費するものがあるわけじゃないから、あいつらが無事な限り何度でもやってくる」

「じゃあ範囲外に出れば……」

「いやぁどうだろう、出ること自体は可能だけど……」



 ルクバトは冷静な瞳で窓の外を眺める。

 影狼の狩場。入退場の制限はかかっていないが、ただでさえ校舎内ということで下手にスピードを出せない状況下、相手は実力にバフが上乗せされた状態だ。逃げ切るどころか見晴らしのいい場所に出た時点で補足され、即ゲームオーバーだろう。



「やっぱり周り気にしなきゃいけないの面倒だな。 諸行無常って言うんでしょこういうの。 後で直すけど、それでもだめ?」

「やんなくて済むならやんない方がいいでしょ。 ガチでやばい時はいいけどまだやめて」



 そう言ってソラはルクバトを押し留める。



「じゃあ何か代わりの案を考えないと」

「わかってる。ちょっと待って」



「(落ち着け……順番に考えてみろ……)」



 まず、勝利条件はひとつ。心臓を取られないこと、即ちソラが生きていることだ。

 それを達成するためには以下の方法がある。


 ①狩場から脱出すること。

 これは先程ルクバトが言ったように不可能だ。

 この中では逃げきれないし、たとえ逃げ切ったとしてもう一度狩場を展開されたら堂々巡りになる。


 ②影狼に解かせること。

 どうやって?話が通じるどころか言葉すら通じないのに?それにわざわざ自分が有利なフィールドを解くわけがない。


 ③②の応用。影狼を弱らせて、狩場を維持できない状態にする。

 どうやって???無闇に近づくことすら出来ないのに?



 ソラは考えた。

 頭を捻り、首を傾げ、ひたすらに考えた。


 考えて、考えて、考えて……。







「あああもうッ思いつかない!」

「キレちゃった」



 キレた。

 当たり前だ。ソラにとっては命がかかっている。



「アイツ何か弱点とかないの!?」



 そうソラが半ギレのまま聞くと、ルクバトは動じないまま「一番効くのは光だね」と答える。



「影だから。狩場だって、日光をカットすることでパワーアップしてるわけだし」

「そんな全部掻き消せるバカみたいな光源ないんですけど……」

「だろうね。 うーん、本体は物理も一応効くけど……」

「?」



 そこまで言って、ルクバトはソラを見る。

 不健康に白く、細い。スレンダーといえば聞こえはいいが、ようは運動不足だ。シンプルに筋肉が感じられない。



「……何」

「いや……今度いっしょにスポーツしない?流石に不健康だと思う」

「余計なお世話……っていうか今は影狼でしょうが」



 抜けかけた気を引き締め、ソラは再度思考に戻る。

 しかしどう考えたとしても、学校に影狼を殺せるような設備なんてない。

 薬品やバーナーがあるであろう理科室は別の棟の別の階で、ここから随分遠い。以前のようなスピードに任せた逃走方法が取れない以上、捕まる確率があまりにも高い。

 そもそもその程度の火力で殺せるなら、ルクバトが提案してきているだろう。


 他に被害を極力出さず、影狼を殺せる、もしくは撤退を余儀なくさせられる程度の攻撃を与えることができれば────……



「……あ」



 ぴん、とソラの脳味噌に一本糸が通る。

 細い糸だ。しかし薬品やバーナー、あるはずもない光源を探し回るよりは、幾分か現実的な蜘蛛の糸だった。

 その糸を手放さないように、ソラは思考を深化させていく。自然と下がる目線、それをルクバトは興味深そうに覗き込んだ。



「何か思いついた?」

「いや、えっと、……いや高さが足んないか? 待って無理かも」

「いいよ言って。 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるんだ、藁がオオカミを打ち倒すことだってあるかもしれない」

「……わかった。これあんま、聞きたくないんだけどさぁ」



 あんた、────ってできたよね?


 ソラがそう聞くと、ルクバトは一瞬目を見開き、そして満足げに笑った。

 誰が見たってそれは間違いなく、作戦採用の笑顔だった。






 黒髪が空中で踊る。

 屋上、フェンスの前に立ったソラ。その背後に、流動性の四ツ足が舞い降りる。

 影狼だ。その四つの瞳を、ソラは怯えの見える目でなおしっかと見つめた。


 あれだけ晴れていた茜空も、今は見えない。

 黒が、敷地内を空まで覆い隠すように覆っているからだ。

 きっと今外から見れば、マットな黒いドームが出来上がっていることだろう。


 ソラは一歩、静かに後ずさる。影狼も同じく、一歩前へと踏み出す。

 背後には高いフェンスが存在し、屋上への出入り口への動線は影狼がふさいでいる。

 きちり、とかみ合わせた牙が鳴り、ソラの心を逸らせた。



「……信じるからね!?」



 叫ぶ。そうしてソラはあの夜と同じように、たん、と床を蹴った。


 宙に投げ出されるソラの身体。フェンスにぶつかり阻まれるかと思われたが、しかし。

 石を投げ込んだ水面が波紋を作るように、ソラに触れることなく瞬時にフェンスがしなり、ほどける。

 身体は傾ぎ、建物の蔭へと消えた。解けたフェンスは意思を持ったようにうねり、影狼へと襲い掛かる。



 《※⇆※ ⇆※⇆※ ※⇆⇆⇆》



 妨害に一瞬怯むも、すぐにソラを追って飛び降りた影狼。

 ロスは数秒。落下速度を鑑みれどすぐに追いつく時間差。ソラの見る視界に、黒が迫る。



「『 』」



 音とならないルクバトの声。

 瞬間、空間が歪んだ。硬質なコンクリート製の校舎が弓なりにしなり、落下速度が加速していく。

 あの夜のように、否、それ以上に速度が上がって、世界が前へと吹き飛んでいく。

 影狼の雄叫び。耳の奥でひゅうひゅうと鳴る風。ソラは恐怖で思わず目をつむり、身体を固くした。


 落下、落下、落下。そうして数分の後、隕石が落ちたような衝突音。

 誰のものとも知れない悲鳴が聞こえる。影狼の姿や狩場の暗天幕は見えずとも、そこから生まれた音は聞こえるのだ。

 数秒の後、晴れていく空。ざわざわと俄かに騒がしくなる階下。

 それにかき消されるように軽やかに、ソラの身体が『屋上にいるルクバトの腕に』抱き留められた。



「立てる?」

「……無理」



 一度は下されるも、ソラはその場に座り込む。足ががくがくと震えて、まともに立つことすらできそうにない。敵に追われながら紐もなしに屋上からバンジージャンプをしたのだから、当然といえば当然である。

 ルクバトは再びソラを抱きあげ、屋上の縁へと寄っていく。

 遥か下、グラウンドには大きなクレーターができ、黒煙が上がっている。影狼が衝突した跡だった。



「……死んだ?」

「いや、間一髪で逃げ出したね」

「ッはぁあああああ……」



 ソラはルクバトに身を預けたまま、一気に脱力した。ぶわぶわと熱くなっている額や頬には、ルクバトの肌は冷たくて気持ちがよかった。



「身体張ってバンジーまでしたのにぃ……」

「いやでも、実際ワープはいい案だったよ」



 ルクバトの顔のすぐ横に、淡い色をした亜空間が出現する。

 出会った日の夜、影狼から逃げる際に使用していたワープだ。目視できる範囲にしか出せないとルクバトは言ったが、屋上から地面までなら問題はない。

 影狼と共に落下し、ソラの体が地面に激突する直前でワープホールを展開。ソラのみをくぐらせ、すぐさま閉じる。結果的に、影狼のみが地面に激突するというわけである。



「……にしても、あれどうやったの」



 ソラはルクバトにそう聞いた。

 高校の校舎は四階建て、高さにして約十五メートル。人間ならば致命傷にもなろうが、影狼には効かないであろう高さだ。

 それに、落下の最中空間が歪んだのをソラは確かに視認していた。落下にかかる時間も非常に長かった。ルクバトの仕業であることはわかるが、何をしたのかまではわからない。この作戦を提案したのはソラだが、詳しくは教えてもらえなかったのだ。



「あーあれね、世界を部分的に書き換えた」

「は、」



 ルクバトはそう、なんでもなさげに言って見せた。


 先ほど落ちたあの数秒、ソラと影狼が落下するあの空間のみに限定し世界へ干渉。

 十五メートル程度しかないあの空間の情報を『書き換え』、無理矢理数百メートルまで拡張。校舎がしなり、窓ガラスが割れたのはそのためだ。世界が書き換えられた情報に適応しようとして異常を起こしていたのである。


 加えて、ソラと影狼にかかる重力と空気抵抗を操作。ソラに対してはかかる負担を消していたため、ただ視認する速度のみが変わったように見えた。故に影狼が衝突した場所は、小さい隕石でもぶつかったかのようなクレーターになっている。


 ソラはいかにもドン引きしたという目でルクバトを見つめた。

 元々この世界の法則に収まらないやつだとは思っていたが、まさか法則そのものを書き換えることすらできるのか。



「……そういうとんでもないことしたとき、代償とかフィードバック的なのあるイメージだけど」

「あるよ」

「あるんだ……!?」

「分不相応には代償がつきもの。でも命にはかえられないだろ」

「ええ……?」

「まあ今すぐ何かもってかれるってわけじゃないし、気にしなくていいよ」



 ソラに傷はないし、建物や他の人間にも被害なし。オールクリアだな。

 ルクバトはそう言って無邪気に笑った。





「……確かに、私はそう言ったけど、」



 ソラはため息をつき、人差し指でこめかみを掻く。この男といるとため息の消費が激しい。在庫もすぐになくなりそうだ。

 ソラが提案したのはワープの使用まで。そこから先、つまり世界を書き換え高度を稼ぐのはルクバトの独断である。

 もっといい案があったのなら提案していただろうし、これがあの時点でのベストなのだろう。それをソラも理解している。理解しているが、しかし。



「……あんたが危険になっていいとは、言ってない」



 ソラが呟いたその言葉に、ルクバトはぽかん、と呆けた。



「……ソラ、」

「うるさい今こっち見んな」

「見るでしょうよ」



 覗き込むルクバトの視線から逃げるように、ソラは顔を背ける。が、結局は腕に抱えられたままであるため、逃げようがない。



「心配してくれたんだ、ありがとう。 でも本当に、ソラは気にしなくて良いんだよ」

「だって」

「代償っていっても死ぬわけじゃない。 そもそも自分で決められるものじゃないから、いつどう来るかもわかんない。 いつ来るかわからないものをいつまでも悩み続けても、君の心が磨耗していくだけだよ」



 そんなのより僕は、助けてくれてありがとうって言って欲しいな。

 そう言ってルクバトはにこにこと笑う。毒気や偽りのないその笑顔に、ソラの息がぐっと詰まった。


 自分のことを度外視した発想。それを恩着せがましく言うわけでもない、その態度が腹立たしかった。けれど嫌なわけでは決してなくて、理解の出来なさに心臓がふつふつと焦げつく。

 そんな葛藤に苛まれているソラの思考を掻き消すように、ルクバトはふわりと顔を近づける。



「とにかく、君が無事でよかった」



 額のあたりに、微かな一瞬の感触。

 キスをされた。ソラがそう認識したその瞬間、しゃろしゃろしゃろッと、音がした。

 今までにないほど盛大に、尚且つ言い逃れのしようがないほどはっきりと。



「おやまぁ」

「…………」



 ソラは伏せた目を見開き、沈黙。その顔は段々と赤く染まる。肌が白いからわかりやすい。



「……かえる」

「OK、ちゃんと送ってくよ」

「おろして」

「きみ下しても歩けないだろ」

「いいから!」

「やだ」

「おーろーせーッ!!!!」



 ソラは腕の中でじたばたと暴れたが、ルクバトはものともせずに抱えなおす。

 そうして二人は騒ぎながら屋上を後にするのだった。


次回の更新は1/31(金)の予定です。

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